HSPの完璧主義がどんなに大事だったか。でどうしてそうなったか。
HSPの記事を確認しながら、思う。
どれもこれも似たことかてある。そして、ちょっと違う。
反感も多い私の発達障害の記事のせいもあるけど、やっぱり私たちは鏡合わせなんだと思う。
私たちが生きにくいように彼らも行きにくく、おのおの共存して生きていくことは本当に不可能なのか?それが私の焦点で今も困っている。
今でもひとつ言えることは、お互い抱えている生きづらさの歪みをお互いがとれた時、いい方向に行くのではないかと希望を持っている。
至極、簡単なことだけど、自己認知を受け止め、受け止めた上で、お互いの意見が違うねとまず、互いに認め合えることではないだろうか。
ま、自分のコップが満たされていないのに、他人のことまで考えるのは傲慢と最近自分を嗜めている日々。
では、HSPの完璧主義に戻ろう。
敏感なのは正しいけど、その感じ方を妄想の域に持って行きがちで、ロジカルシンキングできない習慣が、「最強の敵」=「完璧」を作り出している。
ただ、この完璧主義の根源のなっているのが、前後の辻褄が通っているかというこだわりへの緊張とも言える。
アスペルガーの人にあって、本当にその時その時言うことが違うんだよね。それを私はなんだか魅力的で自由に思っていたんだけど、HSPみたいに堅苦しく「道理があってない!合わせなきゃ」みたいなのができないという特性に気づいてよくわかった。
生きていく中でゆるさも身につけてきたけど、「道理」には非常に強い多い入れがある。「それが生きる人の道でしょ」的な。
幸いこれがあって、私だなと思う。
正しいことだけでは生きていけないけど、それでもやっぱり、自分の正しさをぶつけないと生きていけなかった。
そのおかげで、私の正しさの陰で我慢している人や環境の板挟みから矛盾でも通そうとしている人とか、そっと関わらずにいる人とか、ほんと気にしない人とかいることがわかった。
わかったからなんだ!って感じだけど、生きやすくなったのは、私が知った上で意地悪する人をアスペルガーを知って大好きになったからだ。
意思があって、優しくする、意地悪するとか本当にシンプル。
優しくしているつもりが誰かを孤立させてたり、意地悪に結果なっていていじめになってることが世の中にはいっぱいあることを知ったから、私はHSPで極力それをしない人でいられることが誇らしいし、なんなら、意思ある意地悪は大賛成になった。笑(もちろん、孤立やいじめではなくね)コクヨ野外学習センターの民俗学を聞いて、あぁ〜人間って面白いなって思う。
さて、HSPの完璧主義の脱出方法も書いておかないと。
①今は合格点60点で大丈夫。これから10年かけて80点にする計画にする
②前提条件、現状を再把握する。感情で動かない練習
③ひといちばい疲れやすいことを思い出して休む
④1日一個自分を褒める。褒め飽きたらしたことない行動をしてみて、したことを褒める。今までのことでも新しい感じ方をできたらまた褒める。
自分の成長を自分が楽しむことが一番の自己肯定感の育て方。
HSPのあなたがどんなに素敵か、私がこれから証明するぞ〜