わたしアダルトチルドレンだったんです!と言うことを説明してみようと思う。
HSPと知ってから、HSPが生きづらいのか?
と言う疑問にぶちあたった。
35歳くらいのことだ。ここはポイントだ。HSPを発見したアローン医師もたった数十年前の発見。その前はHSPだと知らずに死んでいった人だけだと言うこと。
敏感の何が問題なんだろうと思った。
とりあえず、敏感なことで「傷つきやすい」「疲れやすい」ケースを洗い出し、回避する方法を考えた。
人混み、満員電車、威圧的、パティーピーポーのいる場所は避けた。
それだけでも効果があった。
でも、それだけでは断然足りなかった。
35歳までHSPである自分の取説を完全に間違い疲労で脳みそ死にかけていた。ノイローゼ美味の死にたい願望。
人は疲れるだけで死にたがるんだという「仕組み」を初めて知った。
自分が死にたいわけではないのだ。
それから、体質改善という人間の基本に立ち止まった。
ここが基本のイチだとして、いろんなことがこれからだったけど、これがわたしの基本になった。なにがこれのすごいところかと言うと、「自分」「外界」「健康」と世の中を取り巻く最低限がバランスよくすでに構成されているところだ。
次に疑ったのは、自分が発達障害ではないかと言う点だった。
・HSPからHSS型HSPになった気がする
・HSS型HSPはADHDに似ている
・小学校低学年=学習障害(評価に1があった)
・小学校中学年=無気力
・小学校高学年=暴力的
・中学校に入って、怒られない、面倒を全く起こさない形態を取った
これが発達障害そっくりだった。振り返れば、振り返るほど、訳もわからず怒られるという「発達障害」特有のお叱りを小学校低・中学年味わった。幼すぎて記憶に薄かった。通知表には「内気」と書かれていた。曖昧な記憶な中で、自分の意識は「慢性鬱」が続いていたのを20歳くらいになるまで強烈に覚えている。が、まぁ通知表に書かれない程度の発達障害か?と謎が広がった。
HSPでは解けないが発達障害を通して少しずつ明るみになった。
社会人になって3ヶ月で仕事を辞める生活が始まった。発達障害と違って、3ヶ月で仕事がつまらなくなると言うものだった。また、家庭の事情で大学に行けず(自費で中退)というコンンプレックから必要にお金に執着した。
・過敏な神経からお酒がやめられなかった
・胃潰瘍になりながら飲み続け酒乱域に到達
・完璧思考、ゼロイチ思考の悪習慣が循環をますます悪くする
完全な2次障害がではじめ状況の把握をますます難解にしていた。
ぼろぼろになって独自に認知療法を始めた(病院に行くほどの経済力も豊かではないし、認定されるにしても時間もかかり、得がない、稼ぐしかない。)
私の救済はこのnoteだとはっきり言える。
そこで医療的にそうなりやすい原因を追求した、気になったトピックスから紐つけて自分が納得するまで、書き続けると言うものだった。
50記事に1個医学的な紐解きがある。そんな感じだった。
・毒親の存在(そもそもアルコール依存症の親の子供が対象から始まって)
・不完全家族というもっと大きなくくり
・アダルトチルドレンという存在
・アダルトチルドレンが幼少期、ADHDと似たような症状を出す事例
・鉄不足も思考停止になり発達障害傾向をだすという事例
・極度の緊張によるミラーニューロン異常+緊張スイッチ故障=ADHD症状
・副腎疲労というHSPからアル中がかかりやすい「疲労」
アル中の母、ASD傾向の強い父と私の家族の不幸は解消されない事実を突き詰め、事実上の離散をしてから(再会した父から大学費の代わりの留学費を14年けかて請求し、帰国後仲良く距離をとる予定が、今度は妹酒乱が私に暴行で家族内問題が拡張子し、修復不可)、今の人生を歩んでいる。
家族は最低。お見合いするたび家族の話になる時の説明が今でもしんど。
HSPと知って家族を恨むも数年(いや、これは成長過程として親を恨むのは仕方ないとなった。50%以上の親がそれに自動的に該当するし、自分も親になってたらその括りに絶対入っていた自信がある。また、これは遺伝でもないので、自立していない人間すべてが対象で、みなが明日は我が身というカラクリであった)その後、アドラーからの岸見さんの「嫌われる勇気」から「誰の課題」という抽出をはじめること数年して。
私の問題は、
・運動不足
・喫煙
・飲酒
・食生活の乱れ
でメンタル総出で自殺行為。
納得納得。この後、この親たちを変えようと(アドラーはいう。人は変わらないというのに)してしまったが、客観的な「説明」という点では、自分にとても有益なレッスンになった。つまりはなんでも、自分の習得につながるプラクティスには昇華できるという仕組みを得たのはありがたかった(ま、なんでも楽しむというやつの穂先なのだろう)。
そして、また大きな発見があった。夫婦などを含む人間関係の根幹にある「感情」が認識を歪める現状だ。
私的な言葉に変換すると
「人を殺した(ここでは何かしら奪うの最上級の例)のは、殺されるだけのことをその人がしたから、その人が悪い」
過剰に言ったが、一言でいうとそんな人生だった。
例えば、「人を殺す」はすでにそれだけで、アウトなのだが、「人を殺す」という行為には人はいろんな憎悪や憎しみ、恨みと鬼平犯科帳もなきなきの御涙頂戴が裏にあると「普通の人(これは普通の人括りでいいのか?感動ポルノに近いな)」いう「想像という忖度(裏つけなし、状況判断、「人を殺した」の懺悔とか)」で「許してあげないさい」が発動される家庭環境だった(皺寄せオンパレードの長女の肖像)。
それを探っていったら、ASDが出てきたのだった。父よ。
彼らに悪気はないのは非常によくわかった。父だからね。が、短絡的な理由で「人の領域の何かしらを奪う(ASDからしたら結果奪ってしまうがいいのんかな)」
娘として、なんどこの無責任の父親を庇う声を聞いたか「悪気はないのよ」「純粋なのよ」「許してやりなさい」
短絡的な理由(これもこと・人により大小がある、小で済む人たちは発達障害認定はいらないのでは?と思う)
短絡的な理由=悪いと思っていない=齟齬がまじでわからない
↓
怒られる=怒られるのは嫌=わからないけど謝る。または、沈黙
↓
「沈黙」「または状況をオウム返し」することで、一見反省しているかのように見えるがそうではないことを知った時の絶望感。
ASDでは自分がないことは確実に認識できた事件だった。
そもそも、ASDとADHDはとても深い関係性がある。らしい。所感で納得し頼んだが、ASD傾向ひとつの人は私はなかなかロジカルで好きな人が多い。HSPのADHDを疑っている人も元彼だったが、嘘はなかった。が、ADHD傾向の人をこの田舎のシャアハウスで初めてサンプルしたが、純粋なADHDはいないのでは?と感じ始めている。結局、ASD傾向を発動していた。
そこでの混乱は凄まじかった。
ASD、ADHDの人の表情を読み取れないことが、私たちにはわからない。
空気が読めないのも一緒に住んでよくわかった。
が、「外モード」で普通の人を演じ切れるというのを最近知って(いや、それは良いことなのだ)が、シェアハウスレベルで「内モード」レベルで地が出たこの恐怖はなかなかだった。
これを知って、20年ぶりに再会した父親が徐々になにも変わらないようだけど、変貌を遂げた理由がわかった(わかって飲みこんだのは最近)。
そして、そのカメレオン作戦を私もしていた記憶が蘇った
・小学校低学年=学習障害(評価に1があった)
・小学校中学年=無気力
この時だ。
振り返れば、振り返るほど、この時、意味なく(意味はなくはないのだろう)怒られている理由が自分はわからなかった。この「わからなかった」の感覚がドンピシャだと気づいたのだった。
(ぶっちゃけ、わからなかったからすぐ忘れられるASD傾向の人の方が、ことが起きてもいないのに悩み続けるHSPより「そこは」幸せそうだけど。な)
ACからのADHD症状。頭の中は慢性鬱で、そうそう、なぜか修行のようにしんどい道をゆけば楽になれるとかほんとに思い込んでた!!!エンドルフィン中毒の末期だ。で、全部できない。褒められても完璧主義が満足できない。どんどん、自己肯定感をすり減らし、酒やタバコで中和して。。。
自分で自分を不幸にしていたんだよな。
タイムマシーンで戻ってもあの時の私を私は救済できる気がしない。
ただ、真実が知りたい。前に進みたいと思っていた頑なな自分には感謝しないといけない。この変な執着がなければ死んでたし、その後、心と体の健康を戻して、やっと思考が通常軌道に乗った感じだ。
それがそれでも今の私の課題は。
というか、未だこの思考性顕在な気がする。
「エンドルフィン中毒特性からくる言動をその人の性格とされるもの」
についてテーマを変えていこう。
HSPの記事にいいねいただけたら、ますますHSP研究したいと思います。まだ新しい分野なので。正直生きるのに本業で精一杯なので、みなさまのサポートがあれば追求大いにがんばります。