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5点のわたしで生きていく

三連休初日、大好きなpodcast番組「ゲイと女の5点ラジオ」のイベントに行ってきた。
「5点ラジオ」では、マウント女子や親との関係性…など、「そうそう…!」と大人になったわたしたちがうなずきたくなる話が語られている。
コロナ禍以降雑談する機会がなくなった今、わたしの心の支えになっている番組だ。

番組のタイトルには、「5点の自分も認めて、愛していこう」という意味が込められている。(と勝手に解釈している)
その考え方は、「他人に認められなければ、他人に頼られなければ生きている意味などない」と思って生きてきたわたしの肩の荷を下ろしてくれた。

子どもの頃から、「のぞみは○○ができて偉いね。」と褒められて生きてきた。
ひとりで着替えができること、ひらがなを上手に書けること、エレクトーンが上手く弾けること。
たくさんの”できること”を両親は褒めた。

対して2歳年下の妹は、「愛想が良いね。優しいね。」と人間性を褒められていた。
存分に甘え、努力しなくても褒めてもらえる妹が羨ましい。ありのままを両親に愛されているのだ。
妹とは違ってわたしは、何か役に立てなければ優秀でなければ愛されないのだと思ってしまった。

優秀でなければ愛されない、という気持ちは大人になってからも拭えなかった。
だから良い大学に入り、大きな会社に就職し、いわゆるスペックが高い男性と25歳で結婚した。

わたしは仕事をしながら家事もこなすから優秀、愛される。今度は子どもだ、夫が望むように計画的に…
そうやって100点を目指し続けた31歳のとき、糸が切れてしまった。
努力が結果に比例しない妊活は、今までの直線的なやり方では太刀打ちできない。
夫に期待される成果を残せず、優秀でないわたしは愛してもらえないと落胆した。

結局、愛してもらおうと思っていたのだ。
自立した女になったつもりだったけれど、わたしは愛を他人に依存していた。
他人に100点をつけてもらうことで満たされていたし、他人に自分の幸せを決めてもらっていた。

順調に子供を設けることができず、夫を一途に愛することもできず、バツイチとなった自分の状況を最近まで隠していた。
みんなの幸せ像にあてはまらないわたしは、まったく100点をもらえないから。

でももう他人が決めた100点を目指さなくていいじゃないか。
自分自身が、5点の自分を認めて愛していこう。