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お菓子、菓子メーカーのミュージアムに行こう!【全国78カ所】


栗のクッキーを楽しんだ縄文人


お菓子の歴史を振り返ると、縄文時代、すでに菓子が食べられていた。砂糖がなかったので、今の菓子とは大きく異なるのだが。

栗などの木の実(ナッツ)や果物といった「果子」を食べており、縄文時代の遺跡から、栗の実を粉状にし、水でこねて焼いたと見られる栗のクッキーの痕跡が見つかっている。

飛鳥時代、遣隋使として随に派遣された小野妹子おのの いもこが中国の菓子を日本に持ち帰っており、奈良時代になると、遣唐使によって「唐菓子8種、菓餅14種」が伝えられ、日本各地の有力者が唐菓子を知ることになった。

奈良時代の記録に、阿米(飴)、大豆餅、小豆餅、煎餅などの記述があり、唐の僧、鑑真が蜂蜜、石蜜せきみつ(氷砂糖か飴のようなもの)、蔗糖しょとう(砂糖と思われる)、甘蔗(サトウキビと思われる)を日本に伝えている。

鎌倉時代には、禅とともに伝来した「点心」が紹介され、安土桃山時代から江戸時代初期には、ポルトガル人やスペイン人が「南蛮菓子」を伝授し、菓子の歴史に変革が起きた。

江戸時代以降、砂糖や寒天が菓子の原材料として普及し、茶の湯とともに和菓子を食べる文化が広がっていく。

動画が伝える、お菓子の世界

全日本菓子協会によると、2023年の菓子の小売金額は3兆6835億円。全国半生菓子協会の調査では、半生菓子の小売額は552億円で、国民1人当り、年間3万円強のお菓子を消費している。

「菓子の生産数量・生産金額等」

https://anka-kashi.com/images/statistics/r05.pdf

「人はパンのみにて生くるにあらず」は聖書の言葉だが、お菓子のミュージアムを調べていて、「人はパンやごはんのみにて生くるにあらず。お菓子によって豊かに生きてきた」と感じる。

身近な存在となってきたお菓子のミュージアムが、全国に数多く誕生している。旅行で訪れた町で、思わぬ発見することもあるだろう。

旅行に行かなくても、Web上のミュージアムなら、時間のあるとき、気軽に探訪できる。お菓子の歴史やお菓子の文化を伝える動画も充実している。

「京の食文化ミュージアム あじわい館」のホームページでは、和菓子の歴史、和菓子の種類などを動画で紹介している。

北海道の製菓メーカー、ロイズコンフェクトのホームページの「チョコレート大辞典」には、「チョコレートの旅」という映像番組をアップしている。「チョコレートの革命」「生チョコレートの秘密」などの動画をなんと52本も、観ることができる。

この記事の文章は長いので、目次を見て興味あるミュージアムをチェックしてほしい。各ミュージアムのホームページにジャンプすると、何かしらの情報が得られる。

Web上のミュージアムには時間のあるとき、気軽に訪問でき、写真や図解などを掲載し、分かりやすく紹介しているケースが多い。

菓子メーカーが、お菓子とは違うジャンルのミュージアムを開設しているケースもあり、それらも含めてリストを作成している。
★が付いているミュージアムは休館中、または閉館したことを表す。

北海道

白い恋人パーク チョコレートファクトリー

北海道札幌市西区宮の沢2条2-11-36
011-666-1481
10:00~18:00(有料エリアの最終受付は16:30) 800円

「白い恋人」で有名な石屋製菓が運営する「白い恋人パーク」はお菓子の製造工程が見学できるほか、チョコレートの歴史を学べる展示や石屋製菓のオリジナルスイーツが味わえるカフェ、自分だけの白い恋人作りが楽しめる。

「観て・知って・味わって・体験できる」チョコレートエンターテインメント施設となっており、夏はバラが咲き誇り、冬はイルミネーションがきらめく英国風の庭園は、恰好の撮影スポットだ。

有料エリアでは、白い恋人とバウムクーヘンの製造ラインを見学でき、「チョコトピアハウス」でチョコレートの4大革命、チョコレートができるまでの歴史をプロジェクションマッピングショーで学べる。

チョコレートやクッキーなど、お菓子を作る体験もできる(スイーツワークショップ・ドリームキッチン。要予約、体験料別)。

「ISHIYAミュージアム」では、1948(昭和23)年にお菓子の製造を始め、1976年、銘菓「白い恋人」を発売した石屋製菓の歴史を紹介している。

六花文庫

北海道札幌市南区真駒内上町3-1-3
011-588-6666
休館日 月曜日~木曜日
開館時間 11:00~16:00 無料

帯広市に本社を置く六花亭の創業者、小田豊四郎は母方の叔父が経営する札幌千秋庵に入社したが、4年後の1937(昭和12)年、もう1人の叔父が創業した帯広千秋庵(六花亭の前身)の経営を引き継いだ。

「男爵」「大平原」「十勝日誌」などの人気商品を生み出し、文化の振興にも力を入れ、1960年に月刊児童詩誌「サイロ」を創刊。

「十勝日誌」は、江戸末期から明治時代に北海道をくまなく探査し、アイヌ民族、アイヌ文化を研究・記録した松浦武四郎の著書の名称で、武四郎は「北海道」「石狩」「十勝」など、北海道の地名の多くを名付けた人物だ。

1977年の札幌出店を機に、千秋庵から独立し、六花亭製菓を設立。雪の結晶の多くが六方形をしているため、六花りっかは雪の別名で、雪にちなんで社名が付けられ、六花亭ろっかていとした。

1995年に社長を退いた豊四郎は「食を通しての街づくり」「北海道の食文化の発展」に寄与したいと、「小田豊四郎記念基金」を設立。六花亭は新たに進出した製菓工場を核に、地域の文化を育む「地域開発プロジェクト」を推進し、「中札内なかさつない美術村」と「六花の森」を創設する。

札幌市にある「六花文庫」は、六花亭真駒内店が2004(平成16)年に生まれ変わって創設された図書館で、ツタでおおわれてた外観が印象的。

食、料理、お菓子などに特化した文献を収集、展示しており、貸出はしていないが、約8000冊の本を自由に閲覧できる。

蔵書はすべて食に関わるもので、食や料理にまつわる小説、エッセイ、絵本、図鑑も揃う。一息つきたいときはコーヒーも飲め(有料。お代わり自由)、春は柔らかな日差し、夏は新緑、秋は紅葉、冬は暖炉でくつろげる。

ゆったりと座れる一人掛けのイス、ダイニングテーブルのように大きな木のテーブルと木のイス、暖炉の前のソファなど、お気に入りの場所で、食やお菓子の世界の読書を楽しめる。

ロイズカカオ&チョコレートタウン

北海道石狩郡当別町ビトエ640-15
0570-055-612
休館日 不定休
10:00~17:00(入館は15:00まで) 1200円  事前予約制
「チョコレートワークショップ」は10:30〜16:30(受付は16:00まで)で、所要時間は約30分。体験料金は1人1500円。予約は不要。

札幌市に本社がある製菓メーカー、ロイズコンフェクトは生チョコやポテトチップチョコレートが人気で、北海道の製菓メーカー売上高トップを誇る。

1985年に創業し、1995年に「シルクのような、なめらかなチョコレート」の生チョコレートの通年販売を開始。南米のコロンビアの自社農場で、2014年からカカオを栽培している。

石狩郡当別町のロイズタウン工場に併設した体験型施設「ロイズカカオ&チョコレートタウン」は2023年にグランドオープン。「チョコレートを旅しよう」というコンセプトで、チョコレートの原料であるカカオやチョコレートについて学べる施設だ。

広々としたエントランスにはロイズのチョコレートを販売する店舗があり、カカオをテーマにしたアート作品を楽しめる。この先の「ロイズカカオ&チョコレートタウン」からは有料エリアとなる。

施設は「カカオファームゾーン」「工場体験ゾーン」「ロイズコレクションストリート」「チョコレートワークショップ」の4つに分かれている。

エレベーターで3階に上がると「カカオファームゾーン」になっており、コロンビアにある自社農園を再現。ロイズが取り組むカカオ栽培やカカオ豆についての知識を得られる。

カカオの栽培には平均気温が27度以上で、年間を通して気温の上下幅が少なく、高温多湿な環境が必要。直射日光や風に弱いため、カカオの木を覆ってくれる、背の高いバナナなどの木が植栽されている。

カカオ農園でどのようにカカオが栽培されているのか、収穫したカカオ豆を発酵させた後、乾燥し麻袋に詰めて出荷される工程を、現地の映像を交えながら紹介。カカオに関する豆知識が随所に散りばめられている。

「工場体験ゾーン」は、「ワクワクが止まらない、ロイズのチョコレート工場」をテーマに、工場に届いたカカオ豆がチョコレートになるまでを見て、遊びながら、学べるエリア。カカオ豆プラントをガラス越しに見学できる。

作業工程の多くは機械の中で行われていて見えないため、壁のパネルで作業工程を分かりやすく解説。「ロイズシアター」では、チョコレートが商品としてでき上がるまでを映像で見る。

「ロイズコレクションストリート」は、チョコレートのラベルや缶、食器など、世界中から集めた貴重なコレクション、ロイズのパッケージやヒストリーなどを展示。

「ロイズミュージアム」では、北海道にゆかりのあるアート作品やアンティーク作品などを紹介している。

「チョコレートワークショップ」では、23センチ✕12センチの大きな板チョコに、ドライフルーツやナッツなどを自由にトッピングして、世界に1つだけのオリジナルチョコレートを作れる。

ロイズのホームページには「生チョコレートの秘密」、ロイズの工場や歴史を紹介する「ロイズのお話」、チョコレートに関する情報が詰まった「チョコレート大辞典」が掲載されている。

「チョコレート大辞典」ではチョコレートの歴史などを写真とともに紹介。ロイズ監修ミニ番組「チョコレートの旅」に、各地を取材した52本の動画をアップ。「チョコレートの革命」「生チョコレートの秘密」などのタイトルの映像が、チョコレートの世界に誘う。

当別町とロイズコンフェクトはJR北海道に駅の設置を要請し、北海道内の在来線として20年ぶりとなる新駅、ロイズタウン駅(学園都市線)を2022年に新設(札幌駅とロイズタウン駅間は30~36分)。駅からは徒歩7分だが、無料シャトルバスを運行してアクセスにも配慮し、外国人観光客からも注目される人気スポットとなっている。

ロイズチョコレートワールド ミュージアム(新千歳空港内)


北海道千歳市美々987番地22  新千歳空港国内線旅客ターミナルビル 連絡施設3F スマイル・ロード
0570-030-612
休館日 空港休業日に準ずる
8:30~19:00 無料

生チョコレートとポテトチップチョコレートで有名な北海道の銘菓、ロイズコンフェクトが運営する、新千歳空港内のミュージアム。

国内初の空港内チョコレート工場を見学し、ロボットが動く様子や、中が空洞で立体的な造形のチョコレートの製造工程が見られる。

チョコレートの原料、チョコレートができるまでのプロセスをパネルで紹介し、チョコレートを製造する道具、型、チョコレートを飲むためのカップ、世界のチョコレート缶のコレクションなどを展示。

ロイズが運営するコロンビアのカカオ農場の風景、カカオ豆を発酵させる様子などの映像も流れている。

メソアメリカ(メキシコ)のアステカ帝国を征服したスペイン人が、カカオ豆のドリンクを持ち帰り、スペインでホットチョコレート(飲み物)が流行。

ホットチョコレート好きのスペインの王女がフランスのルイ13世に嫁いだとき、コックも連れて行き、それ以降、フランスの貴族の間でもホットチョコレートが広がった。

ヒゲが汚れないようにヒゲ乗せが誕生したが、固形のチョコ、板チョコの誕生など、チョコレートの歴史を解説したパネルとともに、カップとヒゲ乗せなども紹介。

ロイズチョコレートワールドでは、オリジナル商品約100点を揃えたショップがあり、ベーカリーでロイズオリジナルのパンを販売する。

新千歳空港オリジナルの「プチベア」や、中が空洞のクマやペンギン、サッカーボールとシューズなどのチョコレート製品は空港内の自動化された工場で生産され、原料から袋詰めまでのプチベアの製造工程を見学できる。

新千歳空港はレストランやショップが充実しているが、ロイズのチョコレートミュージアムは見どころが多く、オススメだ。この他、「エアポート ヒストリー ミュージアム」と「大空ミュージアム」もある。

ロイズコンフェクトの主力工場、ロイズタウン工場は札幌市に隣接した石狩郡当別町にあるが、体験型施設「ロイズカカオ&チョコレートタウン」が2023年にグランドオープンしている。

チョコレートの原料であるカカオやチョコレートについて楽しく学べる施設で、「チョコレートを旅しよう」がコンセプト。

六花亭アートヴィレッジ 中札内美術村

北海道河西郡中札内村栄東5線
開館期間 4月~10月の土曜日、日曜日、祝日 金曜日は美術館と庭園を開放 詳細はホームページで確認。
10:00~16:00 無料

帯広市に本社を置く六花亭を創業した小田豊四郎は、文化の振興に力を入れ、1960年に月刊児童詩誌「サイロ」を創刊している。

「薄皮饅頭」で有名な福島県郡山市の和菓子の老舗「柏屋かしわや」が発行する児童詩誌「青い窓」に掲載されていた一編の詩に感動した豊四郎は、十勝帯広の子供たちにも詩を発表する場を提供したいと「サイロ」を発刊。十勝管内の小学校、中学校をはじめ、日本全国のファンに無料で届けている。

1995年に社長を退き、会長に就任した豊四郎は「食を通しての街づくり」「北海道の食文化の発展」を目的に「小田豊四郎記念基金」を設立。六花亭は新たに進出した製菓工場の周辺に、地域の文化を育む「地域開発プロジェクト」を推進し、「中札内美術村」と「六花の森」を創設した。

14万平方メートル強の敷地の中札内美術村は、かしわの林に囲まれた敷地に美術館、庭園、レストランなどが点在。建物は、銭湯として使用していた「帯広湯」を移築復元したものに、増築棟を併せて使用。

相原求一朗美術館(洋画家、相原求一朗の「北の十名山」などの作品やデッサンを展示)、小泉淳作美術館(日本画家の小泉淳作の作品、制作風景の写真、デッサンを展示)、真野正美作品館(児童詩誌「サイロ」の表紙絵を坂本直行とともに手掛けた画家、真野正美の作品を展示)、北の大地美術館(自画像公募展への応募作品を展示)、ギャラリー柏林(画家、中谷有逸の作品、十勝百景を展示)、小川游作品館(洋画家、小川游の作品を展示)、安西水丸作品館(イラストレーター、安西水丸の作品を展示)、百瀬智宏美術館(洋画家の百瀬智宏による十勝や中札内村の作品を展示)がある。

六花の森(六花亭)

北海道河西郡中札内村常盤西3線249-6
開館期間 4月~10月 詳細はホームページで確認。1000円

六花の森は、10万平方メートルの広大な大地に、自然に溶け込んだお菓子工場と、美術館、ミュージアムショップ、レストランなどがある。

六花亭の包装紙をデザインした画家、坂本直行などのミュージアムが点在する。坂本直行は、蝦夷地(北海道)開拓に情熱を燃やしていた坂本龍馬の子孫に当る人物。十勝で牧場経営をし、北海道の自然をモチーフとした風景画や植物画を描き、その後、画家に専念した。

「坂本直行記念館」は直行が描いた十勝の6つの花や十勝の山々の作品を展示し、「直行デッサン館」は、直行がいつも携行していたスケッチブックをそのまま展示している。

「花柄包装紙館」は直行が描いた六花亭の花柄包装紙をコラージュした原画7点を公開。

六花亭の創業者、小田豊四郎は、十勝の子供たちに詩を発表する場を提供したいと、月刊児童詩誌「サイロ」を創刊したが、「サイロ歴史館」は児童詩誌「サイロ」の歴史を紹介したミュージアムだ。

他にも「サイロ表紙絵館」「直行絶筆館」などがあるが、建物はクロアチアの古民家を移築したもの。広々とした草原には、彫刻家の作品が点在する。

岩手県

南部煎餅の里。小松シキ・記念館 

岩手県二戸市石切所荒瀬49-1
0195-23-6311(巖手屋)
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 祝日
10:00~16:30 4月~10月
10:00~16:00 11月~3月  無料

https://www.iwateya.co.jp/%E5%8D%97%E9%83%A8%E7%85%8E%E9%A4%85%E3%81%AE%E9%87%8C%E3%80%82%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/

南部せんべいの巖手屋いわてやの創業者、小松シキは12才の頃、青森県の小さな町の奉公先で煎餅焼きを覚え、煎餅焼き一筋の人生を歩んだ。

南部せんべいは、青森県の八戸、二戸、岩手県の盛岡など、旧南部藩の領内で野戦食として焼かれ、食べられていた。保存が利き、蕎麦粉や小麦などの材料も身近にあり、米を口にできない、貧しい農民にとって、かまどや囲炉裏で焼くせんべいは、主食として大切な食料だった。

1948(昭和23)年、シキと夫の小松実は、小松煎餅店を創業。当時は胡麻せんべいが主流であったが、落花生、醤油などの南部せんべいを発売し、「おばあちゃんシリーズ」として定番の人気商品となった。

1980(昭和55)年頃、漫画家のおおば比呂司が、小松シキをモデルに、せんべいを焼くおばあちゃんの絵など、温かみのある絵の包装紙を作成。シキはテレビや新聞の広告にも出演し、「南部せんべいのお婆ちゃん」として知られるようになる。

小松製菓の本社オフィス、せんべい工場に隣接する「南部煎餅の里。」に、小松シキを紹介する「小松シキ・記念館」が2017(平成29)年に開館した。小松シキが青森の奉公先で覚えたふるさとの味と歴史に触れることができ、シキゆかりの道具、各種資料、遺品などを展示。

小松シキは、逆境を乗り越え、日本一の南部せんべい屋になるまでを描いた本『むすんでひらいて』を著した。小松製菓は、土産用ブランド「巖手屋」と、スーパーや量販店など向けの「小松製菓」の2つのブランドを持つ。

山形県

鶴岡雛菓子 Webミュージアム

鶴岡市企画部 食文化創造都市推進課
山形県鶴岡市馬場町9-25

鶴岡雛菓子つるおかひながしは山形県鶴岡市で作られている和菓子で、独自の発展をし、菓子職人の技術が継承されてきた。

鶴岡を含む庄内地方の和菓子は材料に「練り切り」(生菓子)を使用しており、これは和菓子としては類例が少ない。北前船きたまえぶねでもたらされた京菓子の技術を基盤に、特有の発展を遂げ、野菜、果物、魚などを色鮮やかにかたどる。鶴岡では雛祭りに飾る家庭も多い。

雛菓子といえば、一般的には菱餅や雛あられが有名だが、鶴岡では盛菓子(落雁やあめ)や生菓子(練り切り)が雛菓子の主流になっていて、現在も菓子職人の手によって、春の節供せちくを華やかに彩る。

『「鶴岡雛菓子」調査報告書』がサイトにアップされており、動画の「つるおか伝統菓子 鶴岡雛菓子」では鶴岡雛菓子の歴史や菓子作りの技が紹介されている。

福島県

★会津駄菓子資料館 閉館

福島県会津若松市飯盛2-14-28

お菓子の老舗、会津長門屋は1848(嘉永元)年の創業で、昔なつかしい駄菓子を製造し、その後、オリジナルの和菓子、季節限定のお菓子などを販売している。

長門屋飯盛店の2階に「会津駄菓子資料館」があり、本家長門屋に伝わる江戸時代からの菓子製造道具をはじめ、カルタ、模型飛行機、剣玉などの遊び道具、紙芝居など昔懐かしい品々を展示し、子どもから大人まで楽しめる施設だっだが、閉鎖された。

会津長門屋の歴史は、ホームページの「暖簾のあゆみ」で紹介されている。

「会津 長門屋のこだわり」

東京都

菓子資料室 虎屋文庫

東京都港区赤坂4-9-17 赤坂第一ビル2階 虎屋 虎屋文庫
03-3408-2402
常設展なし、不定期開館
9:00~17:30

虎屋は室町時代の後期、京都で創業し、5世紀にわたり和菓子屋を営み、後陽成天皇の在位中(1586~1611年)から御所の御用を勤め、1869(明治2)年の東京遷都に伴い、京都の店はそのままにして東京に進出し、現在に至る。

販売している菓子の中には、1695(元禄8)年の菓子見本帳に記録が残る菓子など、伝統のあるものも多いが、試行錯誤と技術革新を続けてきた。

「虎屋文庫」は和菓子文化の伝承と創造の一翼を担うことを目的として、1973(昭和48)年に創設された「和菓子の資料室」。

虎屋には菓子の見本帳、古文書、古器物などが多数伝えられており、虎屋文庫ではこれらを保存・整理するとともに、さまざまな菓子資料を収集し、展示をしたり、機関誌の発行を通して和菓子情報を発信している。

「虎屋文庫資料展」を不定期で開催しており、昨年秋の「和菓子の〈はじめて〉物語」展が81回目となった。

「歴史上の人物と和菓子」では、歴史上の人物にまつわるお菓子のエピソードを連載していて、「紫式部と亥の子餅」「島崎藤村と餅」「田山花袋と羊羹」「種田山頭火と草餅」「武者小路実篤とおはぎ」「円地文子とかき氷」などが掲載されている。

この連載を基に『和菓子を愛した人たち』(虎屋文庫編著)が刊行された。

虎屋には、江戸時代から近現代に至る経営史料が残っており、食文化史や商業史を研究する上でも貴重で、史料の保存管理に努め、虎屋の社史を編纂。『虎屋の五世紀』通史編はホームページで読むことができる。

「和菓子史料コレクション」というタイトルの動画も公開している。

ヨックモックミュージアム

東京都港区南青山6-15-1
03-3486-8000
休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日) 年末年始
10:00~17:00(入館は16:30まで)。金曜日は20:00まで(入館は19:30まで) 1200円

洋菓子の製造、販売を手掛ける「ヨックモック」の創業者、藤縄則一が30年以上かけて精選したパブロ・ピカソのセラミック(陶芸)作品のコレクションを展示する美術館で、2020(令和2)年に開設された。

ピカソの豊かで自由な発想が投影された作品を通じて、驚きと発見に出会える場を提供している。コレクションは「エディション」と呼ばれるセラミック作品を中心に収集したもので、約500点を収蔵。

2階の常設展示室は明るい室内に色彩豊かな作品が並び、自然光のもとでピカソ作品を楽しめる。地下1階の企画展示室は黒い壁に囲まれたシックな空間で、作品にじっくり向き合う造りになっている。

「友人を招くように、みなさまをお迎えしたい」と、南青山の住宅地に建てられ、1階にはヨックモックグループのハイエンドブランド「アン グラン」のスイーツを楽しめる「カフェ ヴァローリス」があり、ライブラリー、ミュージアムショップも併設されている。

日本のお菓子@あじわい Webミュージアム

全国銘菓(全国銘産菓子工業協同組合)
東京都港区南青山5-12-4
03-3400-8901

全国銘菓は季刊広報誌「あじわい」を発行しており、「あじわい」のアーカイブをホームページで見ることができ、以下のようなレポートが掲載されている。

「菓子街道を歩く」「銘菓の装い」「菓子屋のAnother Work」「Nipponの歳時記」「日本の文化――四季のうつろい」「お・い・し・い・エッセイ」「資料に見る和菓子」「和菓子探検」「全国銘菓とは」「全国銘菓加盟店map」「全国銘菓加盟店一覧」「特集『あじわい』の50年」「特集『全国銘菓』の70年」など。

「菓子街道を歩く」では、小布施、川越、津などの街と老舗菓子店を紹介。「Nipponの歳時記」には「和菓子と和食」「世界に広がる小豆文化」などの情報を載せている。

お菓子何でも情報館 Webミュージアム

全国菓子工業組合連合会(全菓連)
東京都港区南青山5-12-4
03-3400-8901

お菓子を製造する企業の全国的な連合組織「全国菓子工業組合連合会」が運営しているのが「お菓子何でも情報館」。

お菓子と伝統的な行事との関わりや、お菓子の歴史、お菓子の種類などを、「日本の時代詳細」「お菓子の歴史」「和菓子の分類」「お菓子の種類」「洋菓子の分類」のテーマで紹介している。

高校生が楽しく和菓子に触れ、和菓子の素晴らしさを体験してもらおうと「全国和菓子甲子園」も主催している。

全国菓子工業組合連合会の機関誌「菓子工業新聞」のバックナンバーを読むこともできる。

菓子博物館 Webミュージアム

東京都港区海岸3-9-5 LOOP-X 4階

菓子専門商社のリーディングカンパニーで、丸紅グループのARISTA 山星屋が運営するインターネットミュージアム。

山星屋の創業は1909(明治42)年で、菓子食品を主体とする卸流通事業、菓子食品の流通に関するコンサルティング事業を展開する。

菓子メーカー約160社とともに、1年に1度、国内最大級の菓子専門の展示会「アリスタフェア」を開催。

菓子文化を後世に伝えるため、山星屋が収集したお菓子についての貴重なコレクションを掲載しているのが、Webミュージアムの「菓子博物館」だ。

日本だけでなくアジア、ヨ-ロッパのお菓子の型、懐かしいパッケージ、広告、関連資料など業界随一のコレクションで、3万点を超える所蔵品から、広告、パッケージ、道具、その他に分類して、貴重な品々を掲載している。

チョコレート・ココア大事典 Webミュージアム

東京都港区新橋6-9-5 JBビル内 
03-5777-2035

日本チョコレート・ココア協会が、チョコレート・ココアの情報を「チョコレート・ココアができるまで」「カカオ豆のはなし」「チョコレート・ココアの歴史」「チョコレート・ココアの用語辞典」に分類して紹介。

榮太樓ミニギャラリー

東京都中央区日本橋1-2-5 榮太樓總本鋪 日本橋本店内
03-3271-7785
休館日 日曜日 祝日
9:30~18:00 無料

榮太樓ミニギャラリーは日本橋本店の入口を入ってすぐ右手にあり、茶道具、書画、美術工芸品などを公開している。

榮太樓總本鋪は、埼玉県飯能で菓子商をしていた細田徳兵衛が、2人の孫を連れて江戸に出て、1818(文政元)年に和菓子業の「井筒屋」を九段坂に構えたのがの始まり。

1857(安政4)年に、現在の栄太楼ビルの地に店舗を構え、自らの幼名、栄太郎にちなんで屋号を「榮太樓」に改めた。

安政年間(1855~1860年)に現在の看板商品となる「梅ぼ志飴」、文久年間(1861~1864年)に甘納豆の元祖の「甘名納糖あまななっとう」、明治に入って「玉だれ」「黒飴」を発売し、礎を築いた。

榮太樓ミニギャラリーは、茶道具、美術工芸品などを展示。榮太樓のホームページには200年を超える歴史が記され、お菓子の作り方を紹介する動画もアップされている。「動画・榮太樓の200年」。

「金鍔の製法動画」

「梅ぼ志飴の製法動画」

しおせミュージアム Webミュージアム

東京都中央区明石町7-14
03-3521-8811

しおせミュージアム – 塩瀬総本家 (shiose.co.jp)

中央区明石町の塩瀬総本家は、日本の饅頭発祥の店と言われている。初代の林浄因りん じょういんが中国から来日、奈良に住み、創意工夫して甘い餡を生み出し、1349(貞和5)年、日本で初めて餡入りの饅頭を作った。

中国では、肉の入った饅頭作りが得意だった浄因は、肉が食べられない僧侶のために、小豆を煮詰めて甘葛あまずらの甘味と塩の味を加えて餡を作り、これを皮で包んで蒸上げ、餡入りの饅頭として売り出した。甘葛は砂糖が普及する以前の甘味料。

林浄因の饅頭は、後村上天皇に献上されるまでになり、後村上天皇は饅頭を喜び、浄因はしばしば宮中に上がるようになった。天皇は浄因を厚遇し、宮中の女性と結婚することになった。

浄因は結婚に際して、紅白饅頭を作り周囲に贈ったが、今日、嫁入りや祝い事に紅白饅頭を配る風習があるのは、このことが起源となっている。

浄因の孫の林紹絆りん しょうはんは中国に渡って製菓を学び、大和芋を用いた塩瀬饅頭のベースとなる薯蕷じょうよ(大和芋、山芋、つくね芋などを指す)饅頭を開発。帰国後、応仁の乱(1467~1477年)を避け、三河の塩瀬村に疎開し、これより塩瀬と名乗った。

林浄因に代表される林一族には、『饅頭屋本節用集』を書いた林宗ニなど、日本文化の醸成に大きな貢献をした人物もいる。

節用集はイロハ引きの通俗国語辞典で、内容を天地、時候、草木、人倫、肢体、畜類、財宝、食物、言語、進退などに分け、利用しやすいよう配慮したもので、文化史上、重要な辞書だ。

林家に関する資料を整理し、塩瀬の歴史、和菓子の歴史をまとめることは、日本の文化史、文学史の背景を知る上でも貴重だと考え、ホームページに「しおせミュージアム」を作成し、塩瀬の歴史を掲載。

「しおせミュージアム」の1つの項目で、司馬遼太郎が新聞記者だった20代に創作した「幻の習作」について触れている。

本名の福田定一の名前で、浄土真宗本願寺派(西本願寺)が創刊した機関誌『ブディスト・マガジン』に8作品が発表されたが、その1つが林浄因をモデルにした『饅頭伝来記』という作品で、史実に基づいて書かれた小説だ。

ギンビスミュージアム  Webミュージアム


東京都中央区日本橋浜町3-23-3

焼き菓子のアスパラガス、たべっ子どうぶつなどを製造販売している老舗の菓子メーカー、ギンビスは1930(昭和5)年に東京都墨田区で宮本製菓という屋号で創業した。

1945年3月10日、約10万人の死者を出した東京大空襲に見舞われた2カ月後、銀座に営業所とレストランをオープンしたのを機に、名称を「銀座ベーカリー」に改めている。

「銀座で一番おいしいビスケットを作ろう!」をスローガンに、主力商品の「ギンビスコ」が全国菓子博覧会で名誉大賞を受賞するなど人気を博し、1974年、創業の地である「銀座」と「ビスケット」へのこだわりから、社名を「ギンビス」に変更。

通常、ビスケットは甘い焼き菓子であるが、塩味を効かせ、黒胡麻を混ぜた生地を焼き上げたスティック状のビスケット、アスパラガスを1968年に発売。形や名称が奇抜で、当初、売れなかったが、軽食や酒のつまみにもいいと、大人にも購買層が広がりロングセラーのヒット商品となっている。

ギンビスはホームページに「ギンビスミュージアム」を開設し、以下のようなコンテンツを掲載。

ビスケットの生地は生きているんです。
モンドセレクションはギンビスから始まった?
46種類ものどうぶつビスケットは世界唯一?
変わらぬ人気を保ち続けるアスパラガスの秘密
なんで「ギンビス」という社名なの?

「ギンビスミュージアム」に加え、ホームページの「ギンビスの取り組み」で「焼き菓子」の製法の特色を紹介。生地の状態、温度管理、焼成時間などの管理や、チョコレートを菓子にしみ込ませる「含浸技術」が重要であることが分かる。

中村屋サロン美術館

東京都新宿区新宿3丁目26番13号 新宿中村屋ビル3階
03-5362-7508
休館日 火曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始
10:30~18:00(入館は17:40まで)展示により異なる。年間パスポート1000円

1901(明治34)年、文京区本郷の東京大学正門前にあったパン販売店の中村屋を相馬愛蔵・りょう(相馬黒光)夫妻が買い取り、小さなパン屋として個人経営で創業した。

創業者夫妻は、お客さま第一に考え、新商品の開発でも「お客さまに喜んでもらえる商品とは何だろう」と考え、栄養価の高いクリームパンを創案。

1909年に新宿(現在の本店)に移転し、菓子や缶詰などの製造販売も始めるが、「休む場所がほしい」という声に応え、1927(昭和2)年に喫茶部を開設するなど、客の声に寄り添う経営を行ってきた。同年、現在の中華まんのルーツとなる「天下一品支那饅頭」を発売している。

喫茶部では、インドの独立運動家、ラース・ビハーリー・ボースから提案を受け、カリーライスを売り出す。

創業者夫妻は文化人、芸術家を支援し、新宿本店に、愛蔵と同郷の彫刻家の荻原守衛(碌山)、洋画家の中村彝なかむら つね、詩人で彫刻家の高村光太郎、作家の木下尚江きのした なおえ、女優の松井須磨子、歌人で、美術史家、書家の会津八一あいづ やいち、劇作家の秋田雨雀あきた うじゃくらの交流の場を提供した。

新宿中村屋本店を建て替えて、2014年に「新宿中村屋ビル」が開業したが、3階に「中村屋サロン美術館」が開設された。相馬黒光がかつて主催していた文芸サロン「中村屋サロン」にちなんで命名されたミュージアムだ。

中村屋サロン美術館が所蔵する作品は、荻原守衛の「女」、中村彝の「小女」、高村光太郎の「自画像」、會津八一の書「林下十年夢 湖邊一笑新」などがある。

開催中の展覧会や過去の展覧会を紹介した動画がホームページにアップされている。

和菓子ものがたり Webミュージアム

東京都渋谷区代々木3-24-3 新宿スリーケービル8階
03-3375-7121

全国和菓子協会は、和菓子を後世に伝えることを目的に1950年に設立された業界団体で、約2000店の和菓子事業者が参加している。

「和菓子ものがたり」では、「和菓子を知る」「和菓子の味わい」「暮らしの中にある和菓子」「和菓子と健康」「和菓子を贈る」の項目で、和菓子に関する情報がまとめられている。

あられ・おせんべいの魅力 Webミュージアム

東京都台東区松が谷4-11-3 穀粉会館3階
03-5826-7166

全国米菓工業組合のホームページで「あられ・おせんべいの魅力」「あられ・おせんべいの種類」「あられ・おせんべいが出来るまで」を動画、図解、イラストで紹介している。

埼玉県

ロッテ おかしの学校

埼玉県さいたま市南区沼影3-1-1 浦和工場
0570-054-610
休館日 土曜日 日曜日 祝日 お盆休み 年末年始 工場メンテナンス日
10:00~(受付は9:30~) 14:00~(受付は13:30~) 所要時間90分
完全予約制でWEBで予約 無料

ロッテの浦和工場はチョコレート菓子やアイスクリームを製造するロッテ最大級の工場で、見学施設「おかしの学校」を併設。

パイの実コースとガーナチョコレートコースのいずれのコースにも、デジタル技術を活用した解説や体験型展示がある。配布された教科書を持ち、展示物、製造工程を説明したパネルを観ながら、お菓子の秘密を学べる。

「ロッテのおかしヒストリー」「ロッテのおかし大百科」「ロッテのSDGs」などのコンテンツもある。

ホームページの「バーチャル工場見学へようこそ!」で、バーチャル工場見学も可能だ。

明治なるほどファクトリー坂戸

埼玉県坂戸市千代田5-3-1  明治 坂戸工場内
049-283-1398
休館日 土曜日 日曜日 工場休業日
9:30~ 11:30~ 14:00~ 完全予約制  無料

明治の坂戸工場の見学施設「明治なるほどファクトリー坂戸」が2016(平成28)年にリニューアルオープンした。チョコレートの製造工程の見学やチョコレートの栄養素や健康効果、明治の「食と健康」への取組み、安全・安心なモノづくりについて、展示物や映像で楽しく学ぶことができる。

明治で見学できる工場は、坂戸の他に、十勝(北海道河西郡芽室町)、守谷(茨城県守谷市)、東海(静岡県藤枝市)、愛知(愛知県稲沢市)、大阪(大阪府高槻市)、関西(大阪府貝塚市)があり、工場によって、チーズ、牛乳・乳製品工場、ヨーグルトなど製品が異なっている。

グリコピア・イースト

埼玉県北本市中丸9-55
048-593-8811
休館日 金曜日 お盆休み 年末年始 工場メンテナンス日(金曜日は一部開館する日もあり、予約カレンダーで確認)
9:00~16:00 無料

埼玉県、千葉県、兵庫県にあるグリコの工場見学施設「グリコピア」の1つ。埼玉にある工場見学施設「グリコピア・イースト」は、ポッキーとプリッツの製造ラインの見学をはじめ、クイズチャレンジツアーが楽しめるスタジアムホール、記念撮影ができるフォトスタジオゾーンなどの施設がある。

1500点もの「グリコのおもちゃ」が展示されたおもちゃ展示ミュージアムでは、昭和初期の「発声映写装置つき自動販売機」の実演も行っている。

中村屋 中華まんミュージアム

埼玉県入間市狭山台234
04-2935-1592
休館日 水曜日 木曜日 夏期工場休業期間(5月頃~8月中旬) 年末年始
10:30~ 14:30~(1日2回) 所要時間 90分 予約制(WEBで予約) 無料

新宿中村屋の創業者の相馬愛蔵・良(相馬黒光)夫妻は、1901(明治34)年に文京区本郷でパン屋を始め、シュークリームからクリームパンを創案。

1909年に新宿(現在の本店)に移転し、菓子や缶詰などの製造販売も手掛けた。翌年、喫茶部を開設し、現在の中華まんのルーツとなる「天下一品支那饅頭」を発売している。

埼玉県入間市にある武蔵工場は、1日約40万個の中華まんを作る大規模な工場で、2019年に「中華まんミュージアム」がオープンした。

エントランスでは歴代の中華まんや中華まんの種類の解説があり、見学通路に展示物が置かれている。映像で概略を学んだ後、実際に中華まんができる様子を製造工程の順を追って見学する。

オートメーション化が進んでおり、最新鋭の生産システムが見られるのも特徴。新宿中村屋の歴史は、ホームページに詳しく紹介されている。

サツマイモまんが資料館

埼玉県川越市元町1-15-5 お菓子の紋蔵庵 蔵の街店2階
11:00~16:00  無料  2週間以上前にホームページから予約 

さつまいもの伝来のルート、川越いもの歴史と文化、焼き芋の文化、さつまいもの品種・栄養・機能性などを、イラストのパネル展示などで紹介するミュージアム。

資料館は約100年前に建てられた蔵造りの建物(川越市指定文化財)の2階に2019(平成31)年に開設し、希望者には解説も行う。開館日は月に数回程度で、2週間以上前にホームページから予約するシステム。

1989(平成元)年に川越のサツマイモ料理店「いも膳」を営んでいた神山正久が店の敷地内に私費で「サツマイモ資料館」を開館。

「原産地」「サツマイモが日本へ来た道」「栄養と料理」「品種」「川越がサツマイモで有名なわけ」などのテーマ別に展示し、初代館長だった山田英次によるイラストの解説、関連資料を展示していたが、2008年に閉館した。

サツマイモ文化研究家でイラストレーターの山田英次は、「サツマイモまんが資料館」を2019年に開館し、サツマイモ文化研究家で、東京国際大学名誉教授のベーリ・ドゥエルとともに館長を務める。

1992(平成4)年からの16年間、サツマイモ資料館の館長を務めたのがサツマイモ歴史文化研究者の井上浩。「サツマイモ資料館長日記」がWebにアップされている。

サツマイモまんが資料館 川越いも学校

埼玉県川越市元町1-15-5 お菓子の紋蔵庵 蔵の街店2階
休館日 月曜日(紋蔵庵の休業日)
11:00~16:00 2週間以上前にホームページで予約

川越市を中心に、三芳町と坂戸市を含めた川越地方はサツマイモの産地で、商品数も多く「サツマイモ天国」とも呼ばれている。2018年に調査を実施し、「川越地方サツマイモ商品文化世界一宣言」を行っている。

サツマイモの振興を図り、親しみやすい情報発信の拠点として、2019年、「サツマイモまんが資料館」を開設し、川越のいもの歴史、文化、サツマイモの世界を分かりやすく伝えている。

「日本いも類研究会」の中の「サツマイモ情報センター」や、他の機関・団体などと連携し、「川越いも学校」を併設している。

内容は「サツマイモ学入門」「川越いもの歴史文化」「川越いも文化活動とまちづくり」「各種の品種解説と用途紹介」「焼き芋学入門」「サツマイモ基礎科学入門」などで、会場は同資料館で行われる。

講義30分+質疑応答15分で、授業料(資料代)500円/1名。一部、出張授業も受けているが、別途、交通費などがかかる。

講義の講師および各テーマは、ホームページの「ミニ講義一覧」に記載。「川越おいも自慢店マップ&リスト」もアップされている。

千葉県

グリコピア CHIBA(千葉)

千葉県野田市蕃昌新田字溜台10
04-7127-3355
休館日 電話で確認
9:30~16:00 無料 完全予約制 

グリコ初のアイスクリーム工場見学施設で、工場と企業ミュージアムが一体となっている。シアタールームでは、200インチの大画面に映し出される、創業者の歩みが分かる映像「創意工夫 ――創業者 江崎利一物語」と、アイスクリームに関する映像「アイスクリームができるまで」を上映。

グリコキッチンでのアイスクリーム手作り体験は1セット(2名分)1500円(3~4人で1セットの体験も可能)。工場見学の所要時間は約70分で、アイスクリーム作りは40~50分。

成田羊羹資料館

千葉県成田市上町500
0476-22-2266
休館日 展示替え時
10:00~16:00(1月1日~1月3日は9:00~17:00) 無料

「成田のお不動様」で有名な成田山新勝寺は、940(天慶3)年に朱雀天皇の勅願によって東国鎮護の霊場として開山した。

最初に御堂が建てられたのは、成田市域の南方、公津ヶ原こうづがはらと呼ばれた場所。その後、室町時代中期以降は、偉容を誇った伽藍もすっかり荒れ果てた。

近在の名主たちが相談し、成田村の名主、諸岡三郎左衛門が、ご本尊の不動明王を自分の屋敷内に遷し、1566(永禄9)年まで守ってきた。

三郎左衛門は米屋よねや株式会社の創業者の遠祖に当り、その屋敷跡は「なごみの米屋總本店」の敷地内の「お不動様旧跡庭園」になっている。

1897(明治30)年に成田鉄道の佐倉~成田間が開通すると、成田山新勝寺への参拝客が増え、家業が米穀店であった諸岡長蔵は1899年、成田土産として、羊羹を製造販売する「米屋」を創業。

21世紀の和菓子文化の創造を目指すため、米屋は企業理念、キャッチフレーズを「ようかんの米屋」から「なごみの米屋」に変更。「和+味」の文字を組み合わせて「なごみ」とした。

2002(平成14)年に「なごみの米屋」總本店をリボーン(生まれ変わる)オープンしたとき、「成田羊羹資料館」を開館。

米屋の歴史、羊羹のルーツ、菓子を製造する道具、大正時代の番頭台、パッケージやポスター、北海道から九州までの全国のさまざまな羊羹、創業者の諸岡長蔵の愛用品などを展示。映像コーナーでは、現在の羊羹の作り方を紹介し、企画展を年に2回、実施している。

米屋のホームページの「米屋の歴史」から、羊羹の原料、練羊羹と水羊羹の製造法の違いなどが分かる解説ページに飛ぶことができる。

神奈川県

森永エンゼルミュージアム MORIUM(モリウム)

神奈川県横浜市鶴見区下末吉2-1-1  森永製菓 鶴見工場内
休館日 土曜日 日曜日 祝日 年末年始 工場休業日
10:00~ 12:30~ 14:00~ 無料 事前にWEBで予約

「森永エンゼルミュージアム」は、森永製菓の歴史や技術、商品にこめた作り手の想いを紹介する施設で、2022(令和4)年にオープンした。

ミュージアムと鶴見工場の見学ツアー(ガイド付き)は「シアタールーム」から始まり、3メートル×15メートルの巨大スクリーンに、森永製菓の創業と歩み、お菓子の製造工程の映像が流れる。

展示コーナーでは、それぞれの商品の特徴や、原料、技術、製法、美味しさの秘密を紹介し、商品の巨大な模型や過去の広告資料などを展示。

鶴見工場で生産している小枝、ハイチュウプレミアムなどのお菓子の製造ライン、包装ラインの一部を窓越しに見学できる。

「おいしさのヒミツエリア」では、森永製菓の5つの人気商品、チョコレート、ハイチュウ、アイスクリーム、ビスケット、inゼリーに隠された秘密を解説。

「ヒストリー」コーナーでは、創業時のエピソード、商品作りや先進的な企業戦略を写真、資料と共に振り返る。

森永製菓は1899(明治32)年、創業者の森永太一郎が「日本に西洋菓子を普及させる」「栄養価の高い、おいしいお菓子を届けたい」という夢を抱いて、東京・赤坂に構えた2坪の工場からスタートした。

当時、日本人にはなじみのなかったマシュマロ、キャラメル、チョコレートといったお菓子を製造・販売して日本に普及させていく。新たなチャレンジに積極的だったことが資料などから分かる。

創立125年を迎えた2024年、本社を田町駅前の森永プラザビルから芝浦ビルに移転し、新たなスタートを切った。

モリナガデジタルミュージアム Webミュージアム

1899(明治32)年に創業した森永製菓の歴史や「おいしく、たのしく、すこやかに」を掲げたチャレンジ精神が分かるミュージアム。

「モリナガデジタルミュージアムとは」「創業者 森永太一郎」「森永製菓のあゆみ」で構成されており、創業者の幼少期から起業時の試行錯誤を短編ドラマ化した動画「森永太一郎物語」を見ることができる。

貧乏で学校に通えず12歳まで名前も書けなかったこと、関東大震災後、乳飲み子を抱えた人たち約30万人にミルクを無料配布し、ビスケット6万袋、キャラメル10万個、米9万合弱、トラックいっぱいのドーナツなどを配ったエピソードなどが盛り込まれている。

宮川香山 眞葛ミュージアム

神奈川県横浜市神奈川区栄町6-1  ヨコハマポートサイド ロア参番館1F-2
045-534-6853
休館日 月曜日~金曜日 年末年始(土曜日、日曜日のみ開館)
10:00〜16:00 800円

「お菓子を通じて横浜の歴史・文化を継承する」を企業理念とする三陽物産は、1962(昭和37)年の創業で、洋菓子の製造販売、自動販売機の販売からスタート。

老舗洋菓子店の「横浜モンテローザ」を展開し、横浜土産菓子の開発にも力を入れている。1859(安政6)年の横浜開港以降、横浜には外国人居留地ができ、欧米から文物が流入し、国際都市に変貌していく。

横浜港のシンボル「キング」「ジャック」「クイーン」の3つの塔を一望できるポイントを訪れると、幸せが叶うという言い伝えから、三陽物産は3つの味のスティックケーキ「横浜三塔物語」を開発。

洋菓子店の出店や、横浜の歴史にちなんだ商品開発を進める一方、三陽物産は横浜で誕生した陶磁器、眞葛焼まくずやき(横浜焼とも)の創始者、宮川香山のミュージアムを2010年に開設している。

宮川香山は明治時代の日本を代表する陶工で、1871(明治4)年、輸出向けの陶磁器を作る工房「眞葛窯」を横浜に開いた。

出身地である京都東山の眞葛ヶ原にちなんで眞葛焼と命名し、海外で好まれていた豪華で、華やかな金彩の京薩摩焼を研究。器の表面に立体的で精密な彫刻を彫ったり、貼り付ける高浮彫たかうきぼりと呼ばれる技法を大成させて、海外で高い評価を受けた。

世界で人気の高かった眞葛焼は、1923(大正12)年の関東大震災や1945(昭和20)年の横浜大空襲などにより、その伝統は途絶え、幻の焼き物と呼ばれている。

三陽物産の2代目社長、山本博士は、横浜から海を渡り、世界を魅了した眞葛焼の収集家としても有名で、コレクションの一部を「宮川香山 眞葛ミュージアム」で常設展示している。

ホームページに「宮川香山VRミュージアム」をアップしており、真葛焼の作品を360度回転させて鑑賞したり、3Dギャラリーでは陶磁器の裏も観ることができる。

鎌倉・吉兆庵美術館

神奈川県鎌倉市小町2-9-1
0467-23-2788
休館日 第1、第3月曜日(祝日の場合は開館) 年末年始
10:00~17:00(入館は16:30まで) 600円 

鎌倉駅東口の小町通りにある和菓子店「宗家 源 吉兆庵」の鎌倉本店に隣接して、「鎌倉・吉兆庵美術館」があり、「和菓子の器として蒐集した作品を皆様に広くご覧いただきたい」と、2001(平成13)年に開館した。

鎌倉にゆかりの深い美食家で陶芸家、北大路魯山人の作品約20点を常設展示している。料理を装う食器、書画、漆工芸品など、多岐に渡って才能を開花させた魯山人が精魂込めた作品を楽しめる。

茶室を構え、茶道具や茶懐石のしつらえ、漆器、人形も展示しており、鎌倉の四季の移ろいも感じられる。

外郎博物館

神奈川県小田原市本町1-13-17
0465-24-0560
休館日 水曜日 第3木曜日 年末年始
10:00~17:00 無料

戦国時代に北条早雲に招かれ、京都から小田原に移り住んだ外郎ういろう家。創業650年を超える外郎家が営む店舗は城のような建物で、薬と和菓子を製造販売しており、小田原最古の商家。

店舗の奥にある蔵に「外郎博物館」がある。1885(明治18)年に建てられた蔵だ。24代に渡る外郎家の歴史、一子相伝の薬「透頂香とうちんこう」、接待用に作られていたお菓子のういろうについて紹介し、これまで使ってきた道具類、調度品、歌舞伎十八番の「外郎売」や京都の祇園祭に関する資料などを展示する。

株式会社ういろうの創業は1368(応安元)年で、中国の「明」が建国した年だ。「元」の役人だった陳延祐ちん えんゆうは元が滅亡したこの年、博多に亡命。元では礼部員外郎という役職に就いていたことから、日本に帰化した折に、陳外郎と名乗り、外郎を唐音で「ういろう」と読ませた。

現在では「ういろう」と言うと、お菓子を連想する人が多いが、棹菓子さおがしの「ういろう」も、実は外郎家が創作したものだ。

応仁の乱(1467~1477年)により、京都の治安が悪化し、外郎家と家伝薬の存続が危惧されるようになり、5代目の外郎藤右衛門定治は1504(永正元)年、伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)に誘われて、小田原に移住した。

豊臣秀吉が1590年に小田原攻めをして、北条家が敗れると、外郎家は北条家重臣としての武家の地位を捨て、医薬師と商人となった。「透頂香」の製造と家の存続が認められ、江戸時代には家業を営みながら、街の発展に尽力した。

約300年前の享保年間に、2代目市川團十郎が丸薬の「透頂香」でのどの持病が治ったことで、お礼にと創作されたのが「外郎売」。

早口の台詞で薬効を述べる。後に市川宗家のお家芸として選定した18の歌舞伎演目の1つで、「歌舞伎十八番」で知られる。

外郎博物館には、外郎家がこれまでに使用してきた品々や、看板、薬箱、道具類など、お菓子と薬の起源に関する展示を行っている。

茨城県

★お菓子博物館  休館中

茨城県水戸市見川町2139-5
029-305-0310  亀じるし本店
製造工場は水曜日、日曜日が定休日
10:00~18:00

亀印製菓は1852(嘉永5)年の創業で、梅干を製造する漬物商として水戸でスタートし、2代目が漬物商をしながら菓子製造に乗り出す。

煉った白餡を紫蘇の葉にくるみ「星の梅」として1892(明治25)年に発売。3代目の代に「星の梅」を「水戸の梅」と改名し、水戸の名産品に育てた。

戦後は漬物商をやめ、菓子製造に専念し、「のし梅」「吉原殿中」などの改良に注力。カステラ、サブレなどの洋菓子も作っている。

1999年に本社と工場を移転して「お菓子夢工場」を作り、水戸の新名所となった。「お菓子の博物館」、製菓工場、お菓子の広場がある全天候型のアミューズメントだが、お菓子博物館は休館中。

博物館の2階から、水戸名物の「水戸の梅」「吉原殿中」の製造工程の一部を見ることができる。

栃木県

お菓子の城 那須ハートランド

栃木県那須郡那須町高久甲4588-10
0287-62-8701 那須 花と体験の森
0287-62-1800 お菓子の城
定休日 なし
那須 花と体験の森 9:00〜17:00(入館は16:00まで)
花と体験の森の入場料は500円 冬期料金(12月1日~4月20日)は300円
お菓子工場の見学は10:00頃スタート 無料  森のこけし館 無料

お菓子メーカーの株式会社いづみやが運営する「お菓子の城 那須ハートランド」は1989(平成元)年に那須高原にオープンし、販売しているお菓子すべてをこの工場で作っている。

販売施設がある「お菓子の城」の店の奥が工場となっていて、お菓子の製造風景がガラス越しに見学できる。

1997(平成9)年に「お花の城」が誕生し、現在、「那須 花と体験の森」に名称を変更。この施設には1500メートルの木道があり、森林浴が楽しめ、時にはリスなどの生き物に出会える。

2015年に「森のこけし館」(無料)がオープンし、江戸時代末期から、子供用玩具として東北地方で作られたこけしなどを収蔵。那須ハートランドを運営する「いづみや」の創業者が30代から収集したもので、秋田県の木地山きじやま系、青森県の津軽系、宮城県の弥治郎系など東北6県のこけし約600本を収蔵し、約300本を公開。切手の図案にも採用された岩手県の「忍び駒」などの郷土玩具も展示している。

長野県

日本のあかり博物館

長野県上高井郡小布施町973 (竹風堂小布施本店の中庭)
026-247-5669
休館日 水曜日(祝日の場合は開館。8月・10月・11月は無休) 年末年始
9:00~17:00(3月21日~11月20日)
9:30~16:30(11月21日~3月20日) 500円

長野市から長野電鉄長野線で30分ほどの小布施町おぶせまちは、葛飾北斎と小布施栗が観光資源で、年間100万人を超える観光客が訪れる。

北斎は83歳から4度、小布施を訪れ、小布施の豪商の庇護のもと、多くの肉筆画を描いた。北斎の作品を所有する小布施の町民も少なからずおり、海外への流出に危機感を抱いた小布施町は、作品を町民から買い上げたり、貸与を受けるなどして1976(昭和51)年に「北斎館」を開館。

小布施栗は約600年の歴史を有する。酸性の土壌で、水はけ、日当たりがよく、甘くて上質な栗ができる条件がそろい、松代藩から将軍への献上品となるほどで、町内に何軒もある和菓子屋が最上級の菓子へと磨き上げ、全国に知られるようになった。

栗にこだわり、美味しさを追求してきた菓子屋の1つが竹風堂ちくふうどうだ。江戸時代、小布施は菜種の産地でもあった。菜種油を生産していたこともあり、竹風堂は、本店の中庭に「日本のあかり博物館」を開設。

あかりの歴史はたき火から始まり、燃料が油、蝋燭、石油、ガスへと変化していくのに合わせ、道具も大きく形を変えてきた。

小布施は江戸時代から明治にかけて、菜種の生産が盛んで、最盛期には搾油所が29軒もあった。

日本初の灯火具専門の博物館として1982(昭和57)年に開館した日本のあかり博物館は、館長の金箱正美かねばこ まさみが長年収集したコレクションを中心に展示。コレクション963点は国の重要有形民俗文化財に指定され、学術的にも貴重である。

灯火具、引き札ひきふだ(江戸から大正時代にかけて、宣伝のために作られた広告チラシ)、看板、ろうそく作りや油絞りなど、あかり産業に関する資料、灯火具が描かれた浮世絵や絵画なども含まれる。

建物は明治時代末期の米蔵2棟と、昭和初期の倉庫1棟を改装し、土壁が剥き出した壁や、瓦を敷き詰めた廊下には大正浪漫を思い起こさせる電灯笠がつり下がり、風情のある、あかりの世界へと誘う。

1879(明治12)年にトーマス・エジソンが電球を発明し、日本でも明治時代後半には各地に電灯が普及し、新しい照明器具に切り替わった。

日本のあかり博物館は、忘れ去られたあかりの道具を通して、灯火の歴史や人々の生活を紹介し、後世に伝える役割を担う。

関西電力は神戸市に「神戸らんぷミュージアム」を運営していたが、2022年に閉館。「神戸らんぷミュージアムコレクション」は「日本のあかり博物館」が譲り受け、企画展などを行っている。

愛知県

抹茶ミュージアム 西条園 和く和く

愛知県西尾市上町横町屋敷15
0563-77-6572
休館日 第1木曜日(繁忙期を除く)
45分プラン10:00~ 13:00~ 15:00~ 事前予約制 無料

https://museum.saijoen.jp/

三河湾に面した愛知県西尾市は、歴史の長さ、品質、生産量で全国トップクラスの抹茶の産地で、深い味わい、豊かな香り、鮮やかな緑で、高い評価を得ている。

西尾市と周辺地域の特産である「西尾の抹茶」は2009年、特許庁の地域ブランドに認定された。

抹茶市場をリードしてきた株式会社あいやは1888(明治21)年の創業で、ブランドは「西条園」。

「抹茶ミュージアム 西条園 和く和く」はいくつかのコースが用意されており、「45分プラン」は無料。内容は、世界の抹茶製品紹介、抹茶製造の様子を窓越しに見学、抹茶の試飲をしたり、茶臼ひき体験やビデオ鑑賞、店舗でお買い物。

お茶菓子というように、お茶に添えて、菓子を楽しむのは日本の伝統文化の象徴であり、習慣。起源は平安時代にまでさかのぼる。貴族たちが詩を詠み、音楽を奏でる際、お茶とともにお菓子を味わっていたと言われており、茶の湯が広まると、菓子を先に食べ、抹茶の引き立て役になった。

長寿寒天館

長野県茅野市宮川4350
0266-72-4121
休館日 土曜日 日曜日 祝日 年末年始
9:00~16:00 無料 完全予約制(原則、見学の1週間前まで)

江戸時代後期の天保年間に、信州の諏訪に寒天作りが伝えられ、信州の厳しい寒さ、澄んだ空気、良質な地下水などの条件に恵まれて、寒天生産地として発展し、現在も、長野県は寒天生産量で日本一。

1938(昭和13)年創業の松木寒天産業は、先人から受け継いだ知恵に、現代の科学技術を加味しながら良質な寒天作りに取り組んでおり、寒天情報を提供する「長寿寒天館」を開設した。

天然角寒天の製造風景、天然寒天の歴史、海藻の状態から製品ができるまでの工程を写真やイラストで紹介し、健康食品として寒天の効果や、寒天を使ったお手軽レシピを公開。寒天作りに必要な道具や原材料も展示している。

かんてんぱぱの寒天教室 Webミュージアム

長野県伊那市西春近5074 伊那食品工業本社

1958(昭和33)年創業の伊那食品工業は寒天のトップメーカーで、寒天を原料にした商品開発を進め、食品だけでなく、化粧品、医薬品などに用途を拡げている。

海のきれいな海外のパートナー企業と連携し、現在、チリ、モロッコ、韓国、インドネシアから原材料を調達している。

伊那食品工業は一般消費者向けの市場では「かんてんぱぱ」ブランドで、業務用市場では「イナアガー」(アガーは英語で寒天の意味)ブランドの商品を提供。

ホームページで「かんてんぱぱの寒天教室」を開設し、「寒天ってなに?」「海藻の産地」「寒天ができるまで」「寒天の種類」「寒天の歴史」「全国の寒天料理」などのテーマで面白く、ためになる話題を伝えている。

「寒天」よりも「ところてん」のほうが歴史は古く、遣唐使の時代、中国から日本に伝わり、1300年前から食べられていた。ところてんを乾燥させたものが寒天で、誕生したのは江戸時代。

「Web上のミュージアム」からは歴史だけでなく、寒天と健康など、幅広い情報を得ることができる。「寒天の歴史」については以下のURLを参照。

岐阜県

寒天資料館

岐阜県恵那市山岡町田沢3058-4
0573-56-3140
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
8:30~16:00   無料

明知あけち鉄道の山岡駅は「細寒天の里」にあり、2014(平成26)年に「寒天資料館」が開館した。

寒天には粉末寒天、角寒天(棒寒天)、細寒天(糸寒天)の3つの種類があり、粉末寒天は食品だけでなく、工業、医療、化粧品などにも使われている。角寒天は浸水や裏ごしが必要で、長野県を中心に生産され、家庭料理などに使われる。

細寒天は角寒天よりも強度が高く、羊羹などの和菓子作りに使われ、長野県に隣接する恵那市山岡町は全国シェア8割を誇る。

細寒天は海で取れる天草てんぐさ(海藻)が原料で、食物繊維を多く含み、ダイエットなど健康食品としても注目されている。

寒天資料館は、昭和初期に農家の副業として始まった寒天作りの歴史や、寒天作りに適した山岡町の風土と伝統製法、レシピなどを資料と映像で紹介。製造道具の実物を展示し、天日干しの風景を人形で再現。

寒天の国内生産額(出荷額)は約55億円で、その45%を長野県で生産している。長野が寒天王国になったのは、江戸時代後期の綿織物商人、小林粂左衛門くめざえもんが関西方面に行商に行き、京都の丹波で寒天作りを学び、1844(天保15)年に郷里の信濃穴山村(長野県茅野市)で寒天の製造を始めたことが契機となった。

原料の天草を仕入れて、製造方法を諏訪地方に広め、寒天が特産となる。晴天の日が多く、空気が乾燥し、昼夜の寒暖差が大きいといった信州の冬の気候が寒天の製造に適し、きれいな水が豊富なことも一大産業に育てた要因だ。

寒天が誕生したのは江戸前期、1658(明暦4)年頃。山城国伏見の旅館「美濃屋」の美濃屋太郎左衛門がところてんを屋外に放置したままにすると、翌朝凍結し、日中に解凍され水分が抜けて干物になった。

この変化に興味を持った太郎左衛門は、干物を煮て冷ましたところ、ところてん独特の臭みがない、透明な塊ができた。「瓊脂ところてんの干物」と名付けて売り出し、評判となった。

これに寒天と命名したのは隠元隆琦いんげん りゅうき禅師と言われている。隠元禅師は中国の高名な僧で、日本に帰化し、京都の宇治で黄檗宗おうばくしゅうを開き、当時日本に伝わってきた「いんげん豆」にその名を残す。

隠元は、寒天を食べて「仏家の食用として清浄、これに勝るものなし」と褒め称え、名前がないと知り、中国で「冬の空」を意味する「寒天」に、製法の「寒晒心太かんざらしところてん」の意味を込めて「寒天」と命名したという。

氷砂糖資料館

岐阜県海津市南濃町津屋2812-100 中日本氷糖 南濃工場内
0584-57-2711
休館日 土曜日 日曜日 祝日 お盆 年末年始
10:00~ 14:00~ 工場と資料館で60分〜90分 300円 事前予約制
電話、WEB、FAXで申し込む。電話は052-661-0113。

氷砂糖は、純度の高い砂糖の結晶のこと。余分なものを含まないので、上品な甘さに仕上がり、そのまま食べて、素早く栄養を摂ることもできる。果実酒、シロップ、ぜんざいなど、暮らしの中で氷砂糖が使われている。

1895(明治28)年に創業した中日本氷糖は、名古屋市に本社を置く製糖メーカーで、「馬印」ブランドで砂糖などを製造販売する。氷砂糖のシェアは国内トップで、約5割。グループ会社でどら焼きや饅頭なども生産。

創業100周年を記念し、岐阜県の南濃工場内に「氷砂糖資料館」を1995年に開館。氷砂糖に関する資料を保管し、氷砂糖の歴史や文化を多くの人に伝えている。

工場見学の際に資料館も併せて見学でき、砂糖と氷砂糖の製造プロセス、世界の氷砂糖、氷砂糖と健康、中日本氷糖の歴史などの写真、資料、道具類の展示を行っており、綿菓子作りも体験できる(小学校低学年までが対象)。

三重県

かどや民具館(二軒茶屋餅)

三重県伊勢市神久6-8-25
0596-23-3040
無休
8:00~17:00 無料

三河、遠江方面から伊勢神宮に参拝するとき、船で伊勢湾を横断し、現在の伊勢市の港湾、宇治山田港(大湊)から勢田川せたがわを上って伊勢神宮に向かう水運のルートがあり、舟参宮と言われていた。

勢田川と五十鈴川いすずがわが合流する河口の大湊は、日本有数の港町だった。

船で参拝する客は鐘や太鼓を鳴らしながら賑やかにやってくるので、親しみを込めて「どんどこさん」と呼んで歓迎。現在の川の駅二軒茶屋辺りに船着き場があり、角屋(現在の二軒茶屋餅)という餅屋と、湊屋という伊勢うどんの店があり、「二軒茶屋」と呼ばれていた。

角屋の二軒茶屋餅は、こし餡を薄い餅皮で包んで、きな粉をまぶした素朴な餅で、餅米を水に浸してから蒸して、臼で入念についた生餅は柔らかいが、歯ごたえがあると、人気を集めた。

三重県の津と山田(現在の伊勢市駅)を結ぶ「参宮鉄道」が1897年(明治30)年に開通するまで、舟参宮は賑わっていた。だが、鉄道によって、1935年以降、二軒茶屋に上陸する参宮者は激減。

二軒茶屋餅角屋本店は、1923(大正12)年に味噌や醤油の醸造を始め、1997(平成9)年には地ビール「伊勢角屋麦酒」の製造販売に乗り出している。

黒砂糖を貯蔵していた蔵を利用して、二軒茶屋餅角屋本店は「角屋民具館」を開設。江戸時代から使っていた餅造りの道具や商売に関する品々、生活雑器、古文書などを展示。

角屋民具館は「伊勢のまちかど博物館」の1つ。機械式石臼、本店で使われていた番台、昭和初期の大福帳、古いレジ、舟参宮を再現するために造った「どんどこ丸」など、海運と参宮客で栄えた往時の面影が偲ばれる。

二軒茶屋餅角屋本店のホームページには、ギャラリー「二軒茶屋・舟参宮の物語」が掲載されていて、写真と解説を見ることができる。

「二軒茶屋餅もの語り編集委員」の肩書きを持つ橘紀子氏が「note」に、インタビューをまとめた記事「二軒茶屋餅もの語り」を掲載。

柳屋奉善

三重県松阪市中町1877
0598-21-0138
休館日 火曜日
10:00~17:00 要予約 無料 

老舗和菓子店の柳屋奉善は、安土桃山時代の1575(天正3)年、近江国(現在の滋賀県)日野町で創業した。近江を支配していた蒲生氏郷がもう うじさとに砂糖を提供され、お茶菓子の製造の命を受けたと伝えられる。

蒲生氏郷は「利休七哲りきゅうしちてつ」の1人で、茶人としても名高い。国の支配者や有力者がお茶に造詣が深ければ、その城下には和菓子屋が多くなる。

利休七哲は、千利休の高弟とされる7人の武将のこと。蒲生氏郷の他、前田利長、細川忠興、古田織部、牧村兵部、高山右近、芝山監物を指す。

豊臣秀吉の命により、1588(天正16)年、蒲生氏郷が伊勢の松阪に国替えになると、蒲生家の御用菓子司ごようかしつかさとして仕えていた柳屋奉善も松阪に居を移し、銘菓の「老伴おいのとも」など、新たな和菓子を生み出し、この地で約450年続く。

老伴が全国的に知られるようになったのは、江戸時代、カ士の不知火しらぬいの一行が伊勢神宮奉納相撲に来たとき、老伴を手土産として江戸に持ち帰ったことがきっかけ。江戸に2カ所の支店を出すほどの人気であった。

店舗の一角に、干菓子、練り物などの焼型や木型などの菓子道具類、看板、商標などを展示している。

栗羊かん博物館 大和屋

三重県名張市本町55
0595-63-2573
不定休
8:30~  商品が売り切れると閉店 無料 要予約 

和菓子屋の大和屋は、ペリーが来航した1853(嘉永6)年の創業で、名張藤堂家邸跡などの名所が残る城下町の初瀬街道沿いにある。

初瀬街道は奈良県桜井市の初瀬と三重県松阪市を結ぶ街道で、伊勢神宮への参拝に利用され、参宮表街道とも呼ばれていた。

大和屋の初代、藤井弥蔵は奈良県橿原市から移り住み、御菓子司おんかしつかさ(お菓子を作る人の意味)を始めた。大和出身だったことに因んで屋号とし、170年以上の歴史を誇る。近くには江戸川乱歩の生誕記念碑がある。

江戸時代に建てられた建物は県の登録有形文化財に指定されており、名物の栗羊羹の他、水羊羹、「羊かん屋さんが作る最中」を販売。

「伊賀まちかど博物館」が2000(平成12)年に相次いで開館するが、「栗羊かん博物館」はその1つ。菓子道具類、店舗で使用していた電話、火鉢、額、掛け軸などを展示。

伊賀まちかど博物館には、大正や昭和時代に使われた生活用品を展示する「レトロ博物館」、錦絵・印籠・根付けなど江戸時代の趣味の工芸品を紹介する「錦絵館」などがある。伊賀まちかど博物館のURLは以下の通り。

甘味手仕事博物館

三重県伊賀市上野東町2949
0595-21-0123
休館日 第2・第4火曜日
9:00~18:30 無料 要予約

伊賀上野は、大和、信楽、伊勢の山並みに囲まれた街で、津を本拠地とする藤堂藩の支藩として栄えた城下町。松尾芭蕉が生まれ、育った場所だ。

伊賀と伊勢を結ぶ伊賀街道、奈良県桜井市の初瀬と三重県松阪市の六軒を結ぶ初瀬街道、東海道の関宿(三重県亀山市)の西の追分から分岐し、三重県を抜けて奈良へと続く大和街道の、3つの街道の交差点に当り、交通の要衝として栄えた。

伊勢の津藩の初代藩主となった藤堂高虎は茶の湯、能楽を嗜んでいたこともあって、支藩の伊賀上野も、老舗の和菓子屋が軒を連ねている。

「桔梗屋織居」は江戸時代に伊賀上野の本町通りで創業し、藤堂藩御用商人として創業以来400年以上続く老舗の菓子処で、伊賀の風土と匠の技を折り込んだ菓子を提供。

「甘味手仕事博物館」は代々受け継がれてきた菓子道具類、押物おしもんの型、江戸中期からの看板、銭箱などを展示し、和菓子の製造工程を見学できる。

18代目店主が10年の月日を掛けて、2016年に「おかゆ大福」を開発したが、餅をのどにつまらせる事故が身内にあったことがきっかけだった。もち米の代わりにうるち米を使うことで、やわらかさと食べやすさを実現。

嚥下食えんげしょく(咀嚼、飲み込み機能が低下している場合に、飲み込みやすい形態や大きさに調整した食事)としても利用されており、伝統と革新を併せ持ったところに、老舗ならではの柔軟性がある。

昔菓子の館 湖月堂

三重県伊賀市上野中町3028
0595-21-0880
休館日 元旦 不定休
9:00~19:00 無料

和菓子の「湖月堂」は丁稚でっちようかん、きんつば、「高虎最中」「みかさんど」が人気の老舗で、伊賀上野城の南、大和街道沿いにある。

みかさんどは三笠(どら焼き)の生地に小豆の粒餡とクリームチーズを挟んだ和菓子だ。

湖月堂の店内には、大正時代に用いた蒸籠せいろ、木型などお菓子作りの道具、荒木又右衛門の仇討ち風景の錦絵、古い信楽焼、大正期の月ケ瀬梅林図などが展示されている。

「伊賀越の仇討ち」とも呼ばれる「鍵屋の辻の決闘」は、荒木又右衛門が渡辺数馬に加勢して、数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻(現・三重県伊賀市小田町)で討った事件。

伊賀上野城下の鍵屋の辻で決闘が行われ、現在は「鍵屋の辻史跡公園」になっている。「曾我兄弟の仇討ち」と「赤穂浪士の討ち入り」とともに、「日本三大仇討ち」に数えられる。

「昔菓子の館 湖月堂」は「伊賀まちかど博物館」の1つで、伊賀上野城の城内や周辺にはミュージアムが多い。「芭蕉翁記念館」「伊賀流忍者博物館」「伊賀伝統伝承館 伊賀くみひも 組匠の里」などの施設がある。

小澤製菓 忍者かたやき博物館

三重県伊賀市平野東町62
0595-23-1352
休館日 土曜日 日曜日 祝日
9:00~17:00 (見学・やわらか焼きの販売は9:00~15:00) 無料 要予約

「日本一堅いせんべい」と言われているのが、伊賀の名物「かたやき」。せんべいの製造、販売、卸売りを行っている小澤製菓が作るかたやきは、昔ながらの手焼きで、1枚1枚ていねいに40分間ほど焼き上げる。

青海苔と黒胡麻が表面に乗っていて、ほんのり甘い。かたやきは、木づちなどで食べやすいサイズに割って、口の中でゆっくり溶かして食べる。焼き立てで、半生の「やわらか焼き」も販売している。

伊賀名物のかたやきは、戦国時代、伊賀忍者がかさ張らず、長期保存できるため、携行食、非常食として持ち歩いたとされる。忍者は刀のつばで割り、細かく砕いて食べた。

小澤製菓の2代目が考案した「忍者せんべい」は巻物の形をしたせんべいに、忍者の文字の印や忍者の顔などが焼印で捺されている。

「忍者かたやき博物館」は「伊賀まちかど博物館」の1つで、せんべいの焼き印、菓子作りの道具類などを展示。

伊賀上野は風情あふれる城下町で、お菓子の食べ歩きができるよう「城下町お菓子街道マップ」を作成しており、地域おこしに活用している。

昔菓子の博物館 森内栄甘堂製菓舗

三重県伊賀市上野愛宕町1916
0595-21-1283
休館日 要確認
9:00~18:00 無料 要予約

伊賀市上野愛宕町の愛宕神社で夏祭りが開催されるが、愛宕神社夏祭りのお菓子と言えば、昔ながらの麦芽水飴を使った、伊賀名物の「じょうせん飴」。森内栄甘堂は、伊賀では唯一、昔ながらの製法、手作業でじょうせん飴を製造している。

「伊賀まちかど博物館」の1つの「昔菓子の博物館」には、押物の木型など、昔ながらのお菓子の道具を展示しており、タイミングが合えば、製造工程の見学、飴切り体験も可能。

かし熊 菓子つくり道具の博物館

三重県尾鷲市中井町1-2
0597-22-0225
休館日 日曜日
10:00~18:30  無料

明治初年の創業で、150年余の歴史を持つ尾鷲おわせの老舗和菓子店「かし熊」が運営するミュージアム。

内祝や縁起物である鯛、松竹梅、鶴亀といった菓子作りに使用していた木型やヘラ、材料の調合に使った天秤など、多様な道具類を展示しており、菓子作りの歴史が分かる。

「菓子つくり道具の博物館」は三重県東紀州地域にある「東紀州まちかど博物館」の1つ。

尾鷲市、熊野市など、東紀州地域5市町で、かつお節、干物作り、家具工房などの地場産業、趣味の工芸、コレクションなど、東紀州の魅力を紹介するミニ博物館が参加している。

石川県 

金沢菓子木型美術館

石川県金沢市大手町10-15 森八本店2階
076-262-6251
休館日 1月1日と2日
9:00~17:00(美術館・森八茶寮) 200円 本店の営業は18:00まで  

和菓子の森八は1625(寛永2)年の創業で、400年の歴史を持つ老舗。初代の大隅宗兵衛は、河北郡森本町から金沢城下の紺屋坂に居を移し、屋号を森下屋とし、名を八左衛門に改めた。

城下の大火で、藩主より替え地を命ぜられた2代目の八左衛門は尾張町に移り、菓子屋を創業。3代八左衛門が2代藩主(加賀前田家3代目)、前田利常から町年寄役を命ぜられ、代々、町年寄、銀座役を勤める。

11代目の八左衛門は、1863(文久3)年、苗字帯刀を許され、「森下屋」から森下を名乗り、屋号を「森八」に改称。明治期になって、12代の森下八左衛門は電気事業、鉄道事業などにも乗り出す。

第2次世界大戦が起きて休業するが、原材料の統制緩和もあり、1949(昭和24)年、和菓子の商売を再開。

事業を拡大するも、バブル崩壊が原因で、1995(平成7)年に和議を申請して倒産する。「森八は私物ではない、日本文化の誇りを守れ」との決意で、事業の立て直しに取り組み、2004年に再建を果たす。

2011年、金沢市大手町に新築移転し、本店2階に「金沢菓子木型美術館」を開館した。

菓子木型は、和菓子を成形する時に用いる木製の型で、落雁などの干菓子や砂糖菓子、煉りきりなどの生菓子を作る際に用いる。

金沢菓子木型美術館は、森八が前田藩の御用達を始めた江戸初期から現在に至るまでの菓子作りで使ってきた千数百点にも及ぶ菓子木型を一堂に展示。

焼き印や渋紙などの菓子作りの道具数百点、江戸期から明治・大正期にかけて作られた九谷焼などの菓子器100点余も公開し、加賀金沢の菓子文化の歴史が感じられる工夫がされている。

動画の解説も興味深い。落雁は米、豆、そば、栗などの穀類から作られたでんぷんを含む粉と、砂糖(水あめを使うことも)を材料とする和菓子だが、材料を混ぜ合わせ、木型に入れて、落雁ができるまでの映像を流し、木型の使い方を紹介。

事前に予約すれば、落雁手作り体験ができる(1650円。体験料、お抹茶、おみやげ用小箱、金沢菓子木型美術館の入館料を含む)。

★菓子文化ミュージアム愛菓 閉館

石川県金沢市尾張町2-12-1
076-221-8366

金沢市は和菓子の購入額が全国1位で、前田利家以来、茶道も盛んな土地柄。石川県菓子文化会館2階にある「菓子文化ミュージアム愛菓」では、加賀のお祝い事に欠かせない寿煎餅ことぶきせんべい、金沢の新春を彩る祝菓の福梅ふくうめなど金沢の銘菓を展示。

お菓子のルーツ、芸術性の高い工芸菓子、お茶の世界と関わりの深い和菓子などを紹介。3階では本物の菓子職人が教える菓子作り教室を開催し、和菓子や金沢の名産品を販売していたが、2011(平成23)年に閉館した。

ミュージアムを運営していた石川県菓子工業組合は、ホームページの「百万石の菓子文化」で「石川県のお菓子」を紹介している。

石川県菓子文化ギャラリー

石川県金沢市兼六町2-20 石川県観光物産館 地下1階
076-222-7788
休館日 第4火曜日 水曜日に休館日することもある。要確認
9:00~18:00 無料

加賀百万石の菓子文化を紹介するギャラリーを、石川県菓子工業組合は2014(平成26)年、石川県観光物産館地下1階に開設。

嫁入り道具運び入れ時の習わしである菓子箱「蒸籠せいろ」と、挙式当日に使用される「花嫁のれん」をエントランスに配置し、江戸時代から伝わる落雁の木型や菓子の見本帖などの資料、菓子技術の粋を集めた工芸菓子などを展示する。

正月のおもてなしや贈り物に使われる、前田家の家紋、剣梅鉢けんうめばちをかたどった最中「福梅」、お祝いに飾られる砂糖菓子「金華糖」などを見ることができる。

京都府

京菓子資料館

京都府京都市上京区烏丸通上立売上ル柳図子町331-2(俵屋吉富 烏丸店北隣)
075-432-3101
休館日 水曜日 木曜日 年末年始
10:00~17:00(入館は16:00まで) 700円(呈茶を含む)

老舗菓子店の俵屋吉富は1755(宝暦5)年の創業で、京都御所にほど近い場所に店を構え、長年、禁裏御用を勤めてきた。

茶道の表千家、裏千家の家元や京都五山第二位の相国寺しょうこくじも近くにあり、出入りしていた。

7代目菓匠の石原留治郎が、師と仰ぐ相国寺4代目管長の山崎大耕老師から「この『雲龍図』の龍のたくましさや雄々しさを菓子で表現できないだろうか」と提案があり、それに応えて誕生したのが「雲龍」という和菓子。

材料は小豆と砂糖と寒天のみで、こしあんをそぼろ状にして蒸したもので、小倉あんを巻き込み、雲に乗る龍を表現。「雲龍」は火を入れているので、通常の和菓子よりも日持ちする。人気の和菓子「雲龍」は2024年に100周年を迎えた。

「京菓子の資料館」は、当初、俵屋吉富烏丸店のオープンと同時に、3階に京菓子文化の資料館「ギルドハウス京菓子」という名称でオープンした(現在は俵屋文庫となっている)。

1978(昭和53)年のことで、その後、和菓子全般の資料を蒐集し、日本の菓子文化の歴史的考察を加味し、有識者が参画して財団法人を設立。

2001(平成13)年、隣接地に新設された龍宝館の中に移転増床し、「京菓子資料館」を開設。「京菓子の文化をより多くの人に正しく伝えていきたい」というコンセプトのもと、京菓子に関する古文書、絵画、和菓子の模型などが展示されている。

他にも、菓子の見本、菓子作りの木型、菓子を運んだ螺鈿らでんの菓子入れ、御所に納品した菓子の資料、菓子の図案帳、茶道具なども公開。

京菓子資料館では、お菓子の文献や図案帳から「再現菓子」を展示しているところにも特色がある。職人が参加し、資料の記述を基に実際に菓子を制作。文字情報だけではイメージしにくいため、実際に見て理解できるように演出している。

ホームページには、「和菓子の歴史」「人の一生と祝儀菓子」「糖芸菓子」「京菓子辞典」などの解説が掲載されており、和菓子に関する情報発信を続けている。

京の食文化ミュージアム あじわい館 

京都府京都市下京区中堂寺南町130 京都青果センター3階
075-321-8680
休館日 水曜日
8:30~17:00 無料

「和食 日本人の伝統的な食文化」が2013(平成25)年、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された。和食には、日本人が大切にしてきた心、知恵が詰まっていて、日本の食文化の伝統、価値が世界に認められたと言える。

無形文化遺産登録を機に「京の食文化」を見つめ直し、受け継いでいく機運が高まっており、その1つが「京の食文化ミュージアム あじわい館」。

長年の伝統を持つ「京都の食文化」を紹介するパネルでの解説、写真、道具類などの展示を行っている。

「暮らしを彩る食文化」では茶、和菓子、清酒が紹介されている。和菓子については、伝統行事や茶道の中で洗練され、原料の産地と良質の水にも恵まれ、多彩な発展を遂げてきた。

『日本書紀』によると、田道間守たじまもり常世国とこよのくにに行き、橘(みかんなど、柑橘類の原種)の実を持ち帰ったと伝えられ、田道間守は「菓子の元祖」「菓子の神様」とされている。菓子のルーツは、果物や木の実の果子だという。

和菓子、京菓子、工芸菓子に関して、サンプル、写真、パネルなどが展示されているが、一部は動画で配信している。

WEB京菓子博物館「和菓子ミュージアム」

京都府京都市東山区東町川端通正面下る上堀詰町292-2
075-561-4019

甘春堂かんしゅんどうは、藤屋清七が1865(慶応元)年に創業した京菓子の老舗で、方広寺の大仏正面に店を構え、生菓子、落雁や和三盆などの干菓子、饅頭などの和菓子を製造・販売している。

1999(平成11)年、甘春堂はWEBサイトを開設し、「WEB京菓子博物館 和菓子ミュージアム」を開館。

和菓子の歴史、和菓子の道具、和菓子の素材、和菓子の簡単レシピ、菓子の用語、京菓子の歳時記、上生菓子ギャラリー、上生菓子の製造風景などを、写真とともに解説している。

執筆しているのは、甘春堂6代目の当主、木ノ下きのした善正の長女、木ノ下千栄ちえ。和菓子の研究家で、和菓子ライター、テレビや新聞などで和菓子の情報を伝えている。

京文化 京菓子かるちゃー体験館

京ししゅう美術館 

京都府京都市右京区西京極西衣手町36
075-313-2151
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始
カルチャー体験 9:00~17:15(入館は16:00まで) 見学無料

施設名は「八つ橋庵かけはし」で、「京文化 京菓子かるちゃー体験館」と「京ししゅう美術館」を楽しむことができる。

「京文化 京菓子カルチャー体験館」では、生地から作る生八つ橋手づくり体験、生地から作る焼き八つ橋(せんべい)作り、京の上生菓子「ねりきり細工」、生麩まんじゅう作り、みたらし団子作りなどを、それぞれ1580円~1680円で体験可能。

京ししゅう美術館には、繊細で華麗な日本刺繍の芸術作品が数多く並んでいて、独特の光沢を持ち、刺繍という概念を超えている。刺繍によるアート作品が展示されており、ホームページの動画でも鑑賞できる。

ミュージアムを運営している「かけはし株式会社」は、1877(明治10)年、初代が徳島から京都に移住し、留袖、振袖、絵羽織などの刺繍加工業を始めたことが家業となり、その後、「かけはしの刺繍」を屋号にして、手刺繍加工を続けてきた。

5代目の梯義行が1988(昭和63)年、「日本刺繍館」を開設し、1995(平成7)年、全面リニューアルして、「八つ橋庵とししゅうやかた」に名称と内容を変更。ミュージアム、体験施設、飲食業、土産品事業、和・洋菓子業に業容を拡大している。

大阪府

江崎記念館

大阪府大阪市西淀川区歌島4-6-5
06-6477-8257
休館日 土曜日 日曜日 祝日 お盆休み 年末年始
10:00~11:00 11:30~12:30 13:00~14:00 14:30~15:30 事前予約制 無料

「おいしさと健康」を追い求めてきた江崎グリコが、創業50周年を記念して1972(昭和47)年に「江崎記念館」を開館した。

創業期からの江崎グリコと商品の歴史、グリコのおもちゃ、両手を挙げてゴールインするゴールインマークの由来、グリコの広告と宣伝の歴史に関する貴重な品々、写真、パネルを展示する。

現在の佐賀市蓮池町で薬種業を営む両親の長男として生まれた江崎利一は、有明海の漁師たちが水揚げする牡蠣かきに含まれる、栄養価の高いグリコーゲンを用いてキャラメルを製造し、1921(大正11)年に会社を起した。

38歳の利一は一家を連れて、大阪に移住。「ひとつぶ300メートル」のキャッチコピーを付け、「子供の2大楽しみ、食べることと遊ぶことを同時に満たす」との考えに基づき、おまけのおもちゃを同梱し、大ヒット商品になった。

その後も、酵母菓子のビスコ、棒状スナック菓子のプリッツ、ポッキーなど、日本だけでなく、アジアやヨーロッパ各国でも親しまれる菓子を開発。現在は大阪市西淀川区に本社を置き、菓子のほか冷菓、食品、健康食品、乳製品、食品原料、新素材などの分野で事業を展開。

本社の敷地内にある江崎記念館では、江崎グリコの歴史、数々の商品のパッケージ、懐かしいおもちゃの数々とともに、創業者、江崎利一ゆかりの遺品を展示している。

小さな駄菓子屋さん博物館

大阪府大阪市平野区平野本町4-12-21 全興寺内
06-6791-2680
無休
9:00~17:00 無料

聖徳太子が創建したと伝わる全興寺の一角にミュージアムがある。

「小さな駄菓子屋さん博物館」に入ると、昭和20~30年代(1945~1964年)に駄菓子屋に並んでいたおもちゃ、おめん、メンコ、昔の小学校の教室や銭湯・駄菓子屋などを再現したミニチュア模型、手絞りの電気洗濯機、木製の冷蔵庫、白黒テレビなどが展示されている。

「おばあちゃんのへや」を覗き込むと、古びたタンス、丸い卓袱台ちゃぶだい(明治から昭和にかけて使われた4本脚の食事用の机)、ご飯を炊く釜、昔のラジオ、アイロン、黒電話などが見え、昭和のレトロな部屋を再現。

「平野の町づくりを考える会」は1993年から「ミニ博物館運動」に取り組んでいて、住民が楽しみながら地域の良さを再発見しようという「平野町ぐるみ博物館」を推進。他に、平野区平野上町にある大念佛寺の「幽霊博物館」などがある。

★和菓子屋さん博物館 (平野郷菓 梅月堂) 休館中

大阪府大阪市平野区平野本町4-13-4
06-6791-3290
休館日 水曜日
9:00~19:00

平野郷菓  梅月堂は、旧奈良街道(大和街道)で営業していた老舗「太子堂」の分家として1909(明治42)年に創業し、平野の地で和菓子業を営んでいる。

店内の一角に「和菓子屋さん博物館」の看板を掲げ、菓子作りに関する資料、菓子の見本帳、生菓子の木型、干菓子の木型、紙の型、抜き型、焼印、へら類、菓子作りの道具などを展示していたが、現在、休館中。
ホームページに、看板、菓子の見本帳、菓子の木型を掲載している。

ミスドミュージアム

大阪府吹田市芳野町5-32
06-6821-5000
休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日) お盆 年末年始
10:00~16:00(入館は15:30まで) 入館は無料

ダスキンは大阪府吹田市にマットやモップの洗浄・加工を行う小さな工場を1963年に建てて創業。

その後、水を使わずホコリを取る「化学ぞうきん」を開発し、掃除の仕方、掃除文化を革新する。「ダスキン」は、ほこりやゴミを意味する「ダスト」と「ぞうきん」の合成語。

本場アメリカの「手づくりドーナツ」を1971年、日本に紹介し、ミスタードーナツを出店。「キレイ」と「おいしい」という2つの分野で、事業を展開している。

創業の地に2015年、「ダスキンミュージアム」を開設。掃除の歴史や、効果的な掃除を楽しく学べる「おそうじ館」と、ミスタードーナツに関する展示を行う「ミスドミュージアム」がある。

ミスドミュージアムは、ミスタードーナツで味わえるドーナツの歴史を紹介し、ミスタードーナツの原点、美味しさの秘密、ドーナツが完成するまでの工程を体験できる。

「ミスタードーナツヒストリー」では、商品や店舗デザイン、オリジナルグッズとユニフォームを年代ごとに紹介。1号店から最新のショップまで、これまでにオープンした2000店舗以上の写真を展示する。

コンペイトウミュージアム 八尾

大阪府八尾市若林町2-88
072-948-1339
休館日 年末年始
9:00~17:00 体験料金1釜3600円(3人まで体験可能)

大阪糖菓は、1940(昭和15)年に菓子卸問屋として創業し、1946年に菓子の製造を始めた。

初代の野村三男が戦後、得意先から「金平糖の釜を仕入れてほしい」と依頼を受け、手配したのに価格面で折り合いがつかず、巨大な釜が手元に残った。そのため、金平糖を作り始めた。

ユニークで独創的な製品開発、商品企画をモットーにし、金平糖の色や味のバリエーションを増やし、パッケージにも力を入れてきた。

数少ないコンペイトウ専門メーカーとして、2代目の野村卓は金平糖のあり方を考えるようになり、直径1ミリメートルの世界一小さなコンペイトウ、加工黒糖や和三盆糖のみで作った金平糖、適度な塩分と糖分を同時に摂取できる塩こんぺいとうなどを開発。

今後の少子化や人口減少で、製品を単に作っているだけではダメだと、コンペイトウの製造工程や、コンペイトウが持つ歴史・文化を伝える必要があると、コンペイトウミュージアムを開設し、手作り体験や工場見学を積極的に行う方針を打ち出した。

2003年(平成15)年、包装加工場を堺に移転したことを契機に「見て・聞いて・作れる体験型空間」をキャッチコピーにした「コンペイトウミュージアム 堺」をオープン。

同じ年に八尾工場にも「コンペイトウミュージアム 八尾やお」を開設し、2012年に福岡市に「コンペイトウミュージアム 福岡」を開設。

ポルトガルからやってきた南蛮渡来のお菓子、金平糖の歴史、製造工程、手作り体験を通して日本の伝統文化を学べ、後世に伝える施設となっている。

コンペイトウミュージアム 堺

大阪府堺市堺区南島町4-148-12
072-282-2790
9:00~17:00 体験料金1釜3600円(3人まで体験可能)

1940(昭和15)年に菓子卸問屋として創業した大阪糖菓は、1946年に金平糖の製造を始めた。

2003年(平成15)年、包装加工場を堺に移転したことを契機に「見て・聞いて・作れる体験型空間」をキャッチコピーにした「コンペイトウミュージアム 堺」をオープンした。

南蛮渡来のお菓子、金平糖の歴史、製造工程の変遷、手作り体験などを通して日本の伝統文化を学べ、後世へと伝える役割を果たす。

兵庫県

エーデルワイスミュージアム

兵庫県尼崎市尾浜町1-3-22  エーデルワイス本社工場4F
06-6426-8399
休館日 土曜日 日曜日 年末年始
9:00〜16:00 200円 予約制、1週間前に申請

アンテノール、ヴィタメール、ル ビアンなど人気ブランドを展開する洋菓子店、エーデルワイスは1966(昭和41)年に創業した。

2009(平成21)年に製菓の歴史と文化を継承する「エーデルワイスミュージアム」を開設し、ヨーロッパの製菓、製パンに関する道具や洋菓子文化を物語る資料を公開している。

木製の菓子型、薄く焼き上げたフランス生まれの伝統菓子のゴーフルの菓子型、フランス東北部の伝統的なお菓子のクグロフの型、動物や人物などさまざまな形のチョコレート用の型、プリンやゼリーの型など、菓子作りための型を展示。

カカオの実の絵画、ビスケットの型を一面に散りばめたポスター、王侯貴族のテーブルウエア、エーデルワイスのロゴマーク、菓子に関する書籍、レシピ本などの美術品や古書も並び、創業者が蒐集した約1万点のコレクションから、5000点ほどを展示。2、3階にケーキ工場があり、ガラス越しで見学できる。

展覧会動画 EXHIBITION VIDEO 「受け継がれる伝統 ピエスモンテ」ホームページにアップされている。

フェリシモ チョコレート ミュージアム

兵庫県神戸市中央区新港町7-1
078-325-5767
休館日 年2回の春と秋の展示替えの時期
11:00~18:00(入館は17:30まで) 1000円

兵庫(神戸港)は、1858(安政5)年の日米修好通商条約によって函館、横浜、新潟、長崎とともに開港が決まったが、尊皇攘夷運動や朝廷の反対があり、実際に開港したのは、1868年1月1日(慶応3年12月7日)であった。

神戸が日本初のものには、バームクーヘン、ラムネ、缶コーヒーなどがあるが、チョコレートも早い時期に神戸に伝わり、ケーキやパンの老舗も多い。

通販大手の「フェリシモ」は2021(令和3)年、神戸市中央区の本社ビル内にチョコレートの企業博物館「フェリシモ チョコレート ミュージアム」をオープンさせた。

フェリシモは、「幸福のチョコレート」というタイトルの通販カタログを、1996年から毎年編集・発行しており、世界各地の珍しいチョコレート、極上のチョコレートを発掘し、国内に紹介、販売している。

ミュージアムの入口にカカオを展示し、チョコやカカオに関する歴史や情報を紹介。世界中のチョコレートのパッケージを最も多くコレクションするミュージアムを目指す。

「神戸 街めぐり1dayクーポン」の対象施設になっており、神戸エリアの電車1日乗り放題券と施設利用券(800円以下の施設が1回無料、800円を超える場合は差額を支払う)付きで1000円。阪急電鉄全線無料などの拡大版も販売しており、阪急拡大版は1800円。

「神戸 街めぐり1dayクーポン」

グリコピア神戸

兵庫県神戸市西区高塚台7-1
078-991-3693
休館日 金曜日 お盆休み 年末年始 工場メンテナンス日(金曜日は一部開館する日もあり、予約カレンダーで確認)
9:30~16:30 無料 工場見学約80分、有料体験コーナー約70分 要予約

プリッツやポッキーなどのお菓子の製造工場で知られるの神戸ファクトリー(現在、グリコマニュファクチャリングジャパン株式会社)に、1988年、見学施設「グリコピア神戸」が併設された。

2018年にリニューアルオープンし、ポッキーやプリッツの製造工程、「江崎グリコ」の創業からの歴史、チョコレートにまつわる話、グリコのおもちゃの展示を、スタッフの案内で見学する。

ホームページの「神戸工場Web-VRの世界」では、VR技術を使用して、神戸工場内を再現している。

グリコピア神戸の周辺には「神戸ワイナリー」(農業公園、ワイナリーツアー、民具農具館、陶芸館など)があり、最寄り駅の西神中央駅の近くには「神戸市埋蔵文化財センター」がある。

神戸市内では、約1000カ所の遺跡が発見されており、神戸市埋蔵文化財センターでは、2万年前に神戸に住んだ人々の遺跡だけでなく、縄文、弥生、古墳時代、鎌倉時代など、各時代の生活の足跡を見ることができる。

あずきミュージアム

兵庫県姫路市阿保甲611-1
079-282-2380
休館日 火曜日 年末年始
工場見学11:00~11:30 無料 前日までに予約
あずきミュージアム体験企画10:00~17:00(入館は16:00まで) 実施日の7日前までに予約 1200円 

兵庫県姫路市に本社を置く株式会社御座候ござそうろうは回転焼や冷菓の製造、販売をしており、1950(昭和25)年の創業。本社、本社工場の隣接地に「あずきミュージアム」を2009(平成21)年にオープンした。

「あずきのオンリーワン企業」を目指す御座候は、小豆あずきがテーマの世界初のミュージアムを開設し、小豆に関する情報と文化を紹介する。

食用の豆としては少数派の「あずき」に特化した博物館では、小豆を深く掘り下げ、日本人と小豆の関わり、照葉樹林文化を享受していた日本の古代の姿も学べる。

小豆をテーマにした映像「あずき物語」(20分)を上映するハイビジョンシアターや、小豆のルーツをたどるジオラマ、関連書籍や資料を閲覧できるライブラリーがある。さまざまな展示と解説で、小豆の生態、栽培、歴史、文化、風習などを多面的に掴める。

回転焼、今川焼、大判焼、太鼓焼、おやきなど、さまざまな呼び方があるが、屋号、会社名の「御座候」は「お客さまに対して、お買い上げいただきありがたく御座候」という気持ちを込めて命名。

創業者の山田宗平は、戦後の物資が不足している中でも、「お客さまは本物の味を求めている」と感じ、希少だった上白糖や北海道産小豆など、高価な材料を使った「廻転焼 御座候」を販売。当時、一般的な回転焼が5円程度だったところ、御座候は10円で販売したが、本物志向の回転焼はヒット商品となる。

言語学者の岸江信介奈良大学教授は「回転焼の名称に関する調査研究」を行っており、「回転焼の名称分布図」によると、全国レベルでは「大判焼」という名称が主流だそうだ。兵庫県、大阪府、奈良県は「御座候」と「回転焼」が混在して使われるエリア。

1956(昭和31)年~1958年に「週刊朝日」で連載され、愛媛を舞台にし、その後、相場師になって活躍する主人公を描いた獅子文六の『大番』という小説がベストセラーになった。

そこから着想を得た愛媛県の製菓・製パン機器メーカーの松山丸三が、従来よりサイズをひと回り大きくした回転焼の製造機器を販売。小説のタイトルにちなんで「大判き焼機」と名付けて市場に投入。大型サイズの「大判焼」は景気がよいと評判となり、「大判焼」の名称が全国に広がっていく。

「場所によるものの呼び方の違い、日本列島あちこち、方言アレコレ」(岸江信介)では、回転焼の名称の分布が調査されている。

キングドーナツミュージアム Webミュージアム

兵庫県加西市下宮木町玉ノ坪555-1
0790-49-2924

1950(昭和25)年に誕生した丸中製菓は手焼きせんべいを売っていたが、「全国で勝負できる商品を」と作り始めたのが、当時お菓子の中で大きなウエートを誇っていた「かりんとう」だった。

だが、1960年代になると、人々の興味は目新しい洋風菓子へと移り、全国各地にスーパーマーケットが登場し、多様なお菓子が安く売られ、価格競争が始まった。

廃業寸前まで追い込まれた丸中製菓が、かりんとうに変わる商品として目を付けたのが「ドーナツ」。試行錯誤を繰り返し、オリジナルのミックス粉を開発できたのが1988年で、売上不振が5年間続いた。

かりんとうは、菓子市場全体の1%も満たない状態で、1日数時間の仕事しかなく、社員の多くはペンキ塗りやセメント練りで広大な工場を補修するのが日課になっていたほど。

当時、ドーナツメーカーやドーナツチェーンが市場を席巻しており、後発であったが、「ドーナツのトップになる」「絶対、キングになる」と決断。「かりんとう」への未練を捨て、退路を断って新工場を建設し、やるからには一番を目指そうと「キングドーナツ」と命名。

兵庫県加西市に本社を構える丸中製菓はホームページに「キングドーナツミュージアム」を掲げ、キングドーナツの誕生、キングドーナツの歴史、1時間に6万個製造するドーナツファクトリーなどを紹介している。

★神戸風月堂ミュージアム 閉館

兵庫県神戸市中央区元町通3-4-13

風月堂は、複数の洋菓子、和菓子メーカーが使用する屋号で、大坂から江戸に下った初代の小倉喜右衛門が、「上方にあるような美味しいお菓子を、江戸でも作りたい」と、江戸・京橋に「大坂屋」を1747(延享4)年に創業し、人気を博した。

初代喜右衛門には子供がなく、姪のじゅんを養女に迎えていた。恂が唐津藩主、水野忠光の屋敷に奉公に上がった後、側室となり水野忠邦(後の老中)を生んだ。

その後、忠光の長子が夭折したため、次男の忠邦が世嗣となり、生母である恂は当時の習わしに従って、宿下がりやどさがり(奉公人が暇をもらい、親元などへ帰ること)となり、喜右衛門の家に戻った。​

恂が、夫として迎えたのが2代目喜右衛門であった。2代目喜右衛門は、菓子を納めていた松平定信(寛政の改革で知られる老中。当時、隠居して楽翁と号していた)から、誠実な人柄を高く評価され、「これをもって屋号とせよ」と「風月堂清白」の五文字を賜る。

2代目喜右衛門は屋号を「風月堂」とし、雅号は「清白」と名乗り、それまで使っていた小倉姓も大坂屋の屋号にちなみ、「大住」に改めた。​

明治になって、5代目喜右衛門は西洋菓子の製造を始め、リキュール・ボンボンやビスケットを販売。上野風月堂を本店としていたが、「のれん分けシステム」を導入し、各地に「風月堂」が誕生する。

神戸風月堂は、初代吉川市三が、東京南鍋町の風月堂に徒弟奉公に入り、本店大住家から「のれん」分けされて、1897(明治30)年に神戸で創業。当初、マロングラッセを販売していた。

1926(大正15)年頃、ヨーロッパから帰ってきた客がフランスの焼菓子を持参し、「日本でも作ってみてはどうか」と提案されたのがきっかけで、和菓子作りの伝統と洋菓子作りの手法で試作・研究し、1927(昭和2)年にゴーフルを発売。後に神戸風月堂の看板商品になる。

神戸風月堂 元町本店の西側に「神戸風月堂ミュージアム」を2014年に開館。神戸風月堂の歩み、人気商品「ゴーフル」の歴史を振り返る写真、ゴーフル煎餅焼器、菓子作りの金型、昔の店舗で使われていたアンティーク家具、美術品などを展示していたが、2019年に閉館している。

鳥取県

お菓子の壽城

鳥取県米子市淀江町佐陀1605-1
0859-39-4111
年中無休
9:00~17:00 無料

寿製菓は1952(昭和27)年の創業で、飴、キャラメルなどを製造していたが、観光土産用菓子の高級化に取り組み、1968年に銘菓「因幡の白うさぎ」を発売。

全国各地の地元特産の果物を使い、その土地限定の土産用の菓子をOEM(相手先ブランドによる生産)で提供し、差別化していく戦略を1988年から始めた。

1990年代以降、経営不振に陥った各地の菓子会社を傘下に収め、さまざまなブランドで商品を販売している。

製造工程の見学ができ、エンターテイメント性の高い大型販売施設「お菓子の壽城」を1993(平成5)年に開業した。

城内には、山陰と米子城の歴史が学べる「展示コーナー」、日本海と大山だいせんを望む「天守閣展示場」、和菓子の製造工程がガラス越しに見学できる「工場見学ホール」がある。

山陰の名菓を販売する「福うさぎ」、海産物を扱う「飛助屋本舗」、旅の疲れを癒す「喫茶コーナー」、「テイクアウトコーナー」など、学ぶ、見る、休む、買う、食べる施設となっている。

寿製菓は1994年にジャスダック証券取引所に上場。2006(平成18)年に寿スピリッツ株式会社に社名変更し、会社分割によって純粋持株会社体制に移行し、新たに寿製菓を設立。

観光地の人気のお菓子を、寿スピリッツのグループ会社が製造。例えば「小樽洋菓子舗ルタオ」はケイシイシイという会社で、「名古屋 小倉トーストラングドシャ」は東海寿が製造、販売している。

岡山県

岡山・吉兆庵美術館

岡山県岡山市北区幸町7-28
086-364-1005
休館日 第1、第3月曜日(祝日の場合は開館) 年末年始
10:00~17:00(入館は16:30まで) 600円 

創作和菓子で有名な「宗家 源 吉兆庵」の岡山本店に併設されたミュージアムで、岡山県が誇る美術工芸品の備前焼を常設展示する。

備前焼の特徴は窯変ようへん(窯の内部で起きる焼成による変化のことで、特に灰などによって生じた色の変化)で、2週間ほどの時間をかけて1200度以上の高温で焼き締めるため、強度が高く保温力もある。

常設展では、備前焼の歴史、魅力、見どころ、備前焼の人間国宝などを紹介。吉兆庵美術館は陶磁器、漆器、人形などの工芸品を蒐集しており、コレクションを中心にした企画展も開催している。

山口県

カンロ記念資料館「CANDY PARK ヒトツブのヒカリ」

山口県光市大字小周防字高尾568 カンロ ひかり工場内
0833-76-1000
休館日 土曜日 日曜日 ひかり工場の休業日
9:00~15:00 資料館見学 予約制
9:00~11:30 工場見学 受付は9:00~10:00 約90分 予約制 無料 

飴を中心とした菓子の製造を行うカンロは、宮本製菓所として1912(大正元)年に現在の光市で創業。ドロップなどのキャンディメーカーだった。

昭和20年代になると、キャンディ業界ではライバル会社との競争が激化。創業者の宮本政一が開発したのが、カンロ飴。

「日本人には、日本人だけが好む、味のふるさとがあるはずだ」と、地元の醬油メーカーの協力を仰ぎ、醬油を隠し味にして、透き通った琥珀こはく色の飴にたどり着く。

1954(昭和29)年、砂糖と水飴に醤油を配合した飴「カンロ玉」を山口県内で販売。甘露は仏教の世界で、天から降る甘い露の意味で、飲むと不老不死になると言われており、「宮本のカンロ玉」と名付けた。

翌年、機械で個別包装にした「カンロ玉」を「カンロ飴」と命名して売り出すと、一躍人気商品となり、1960年に社名も変更した。

2012年に創業100周年を迎え、翌年、カンロ記念資料館「CANDY PARK ヒトツブのヒカリ」をオープン。

カンロが歩んできた軌跡を、展示物や写真、映像などで分かりやすく紹介。エントランスに入ると壁面に、その時々の写真を盛り込んだ100年の歴史年表を掲示している。

香川県

灸まん美術館

香川県善通寺市大麻町338
0877-75-3000
休館日 火曜日 水曜日 年末年始
9:00~17:00 500円 大森照成陶芸館、灸まん美術館ギャラリーは無料

「石段や」は元々、金刀比羅宮ことひらぐう参道の石段に軒を連ねた「麻田屋久八」という旅籠で、1765(明和2)年の創業だ。

麻田屋6代目の位野木峯夫いのき みねおが1948(昭和23)年に、旅籠から茶店に商売替えをし、「こんぴら堂」という屋号で飴や煎餅の製造・卸をしていた。

峯夫は、新しい事業を成功させたいと考え、琴平町出身の新聞記者(東京日日新聞社、現・毎日新聞)、漫画家、小説家、デザイナーの和田邦坊くにぼうに協力を依頼した。

邦坊は新聞社に十数年勤めた後、体調を崩し、故郷の香川で画家、デザイナーとして活躍していた。邦坊は峯夫の新事業に関心を示さず、峯夫の依頼を何度も断り続けた。

しかし「本物の琴平の土産物を作りたい」という峯夫の熱意に、新商品の開発からプロデュースまでを引き受けることになった。

邦坊は、新しい屋号、店の名前、商品開発だけでなく、パッケージ、内装などの商業デザインを手掛け、琴平を代表する銘菓「灸まん」を作り上げた。

屋号を「灸まん本舗石段や」と変更し、お灸の形をした饅頭「灸まん」を看板商品とした。饅頭の栞には、以下のエピソードが紹介されている。

天領地の琴平には、他国から学者、画家、やくざなどが出入りしていた。天保年間に、江戸の小金井小次郎という親分が麻田屋久八に泊まり、麻田屋の名物として知られている「金毘羅灸」を据えるよう、麻田屋の女中衆に所望した。小金井は美男子だったため、灸を据えるのに女中衆で取り合いになり、じゃんけんで決めたという。

灸を据えることになった女中が特別柔らかい灸を据えたため、小金井は「こいつは甘めぇお灸だわ」と言い、この灸が気に入ったらしい。以降、「よく効く甘いお灸の麻田屋の金毘羅灸」と、ますます評判になったという。

「名物『灸まん』由来」には、こうした説明が書かれているのだが、すべて邦坊の創作。挿絵も邦坊が描いている。

金刀比羅宮に近づく道路の電柱広告に「こんぴら名物 灸まん」という看板が目を引くが、500本以上の電柱に広告を出した。

「灸まん」の文字を大きくし、ドライバーはもちろん、観光バスの車窓からもよく見える。「名物 灸まん」としている広告もある。

峯夫は邦坊を人生の師と仰ぎ、晩年まで活動を支え、邦坊が亡くなる前年の1991(平成3)年、国道319号沿いに「灸まん美術館」を開館。

灸まん美術館は、琴平町出身の芸術家、和田邦坊の業績を顕彰するミュージアムで、邦坊に譲渡されたり、購入した絵画に加え、遺族から作品、資料、愛蔵品の寄贈を受け、和田邦坊コレクションを所蔵。「和田邦坊画業館」で公開している。

邦坊は新聞漫画家として、朝日新聞社の風刺漫画家、岡本一平と並ぶ絶大な人気を誇り、小説家として『うちの女房にゃ髭がある』などの作品で一世風靡した人物。

戦後は、香川県知事や文化人との交流を深めた。民芸、デザイン、絵画などの分野で、香川の文化・芸術に大きな影響を与え、「香川をデザインした男」とも呼ばれている。

灸まん美術館には「和田邦坊画業館」の他、香川出身の陶芸家、大森照成の作品を展示する「大森照成陶芸館」、地元作家の活動拠点となる「灸まん美術館ギャラリー」がある。

「香川をデザインした男」和田邦坊の作品・資料をまとめた本に関する動画で、和田邦坊が紹介されている。

高知県

★西川屋資料館「西川屋おりじん」 休館中

高知県香南市赤岡町470 西川屋 赤岡旧本店
0887-54-3066

1688(元禄元)年に創業した土佐藩御用菓子舗の西川屋が、赤岡旧本店を改装して、2011年にリニューアルオープンし、西川屋資料館「西川屋おりじん」を併設した。

店舗のリニューアル時に発見された、土佐藩の御用にまつわる貴重な歴史的資料を展示し、敷地内にあった菓子の製造工場を、多目的スペースの「西川屋与楽亭」として改築。

土佐藩の御用商人として仕えていたが、一般にも菓子類を売り出すため、西川屋は1688(元禄元)年に店を構えた。

そうめん、菓子を製造する道具や、包装用に使っていた木版印、幕末の絵師の「絵金(弘瀬金蔵)」が描いた幟などの美術品を展示していたが、現在、休館中。

高知市から東へ約20キロメートル、現在、香南市の「赤岡」は、大盃で豪快に酒を飲み干す「どろめ祭り」や、江戸時代末期から明治にかけて活躍した絵師、絵金が描いた屏風絵を所蔵する家々が軒先に展示する「絵金祭り」などで知られている。

赤岡に住み、芝居絵、絵馬、凧絵などを描いていた「絵金」については、以下のURLに詳しく解説されている。

福岡県

千鳥屋ミュージアム Webミュージアム

福岡県福岡市博多区上川端町9-157
092-941-5050

福岡市博多区に本社を置く千鳥饅頭総本舗は、1630(寛永7)年に創業した「松月堂」の流れを汲む「千鳥屋」の系列企業の1つ。

千鳥屋(福岡県飯塚市)を設立した原田政雄・ツユ夫妻の次男、原田光博は、チロル地方(オーストリアとイタリアにまたがるアルプス山脈東部の地域)伝統のロールクッキー「チロリアン」を開発し、菓子作りの修行でドイツに行き、ドイツ菓子店やベーカリー店を展開する。

光博が1997(平成9)年に設立したのが千鳥屋ファクトリー(2014年に千鳥饅頭総本舗に社名変更)で、福岡市に本社を置く。

千鳥饅頭総本舗のホームページに「千鳥屋ミュージアム」が掲載されており、鏑木清方、伊東深水に続く美人画の名手と言われる立石春美たていし はるみが描いた「季節の掛紙コレクション」「お熨斗について」「千鳥屋の原材料へのこだわり」「こぼれ話」などを紹介している。

「千鳥屋サイト案内」(サイトマップ)では、千鳥屋の定番のお菓子や季節のお菓子などが一覧で表示され、それぞれのお菓子の写真と解説が掲載されている。

コンペイトウミュージアム 福岡

福岡県福岡市南区清水1-16-11 クレールライフ高宮1F
092-554-3001
休館日 年末年始
9:00~17:00 体験料金1釜3600円(3人まで体験可能)

1940(昭和15)年に菓子卸問屋として創業した大阪糖菓は、1946年に金平糖の製造を始めた。

今後の少子化や人口減少で、製品を単に作っているだけでは限界があると、コンペイトウの製造工程や、コンペイトウが持つ歴史・文化を伝える必要があると、コンペイトウミュージアムを開設し、手作り体験や工場見学を積極的に行う方針を打ち出した。

2012年に福岡市に「見て・聞いて・作れる体験型空間」をキャッチコピーにした「コンペイトウミュージアム 福岡」を開設。

ポルトガルから伝わった南蛮渡来のお菓子、金平糖の歴史、製造工程、手作り体験を通して日本の伝統文化を学べ、後世へと伝える施設になっている。

佐賀県

村岡総本舗 羊羹資料館

佐賀県小城市小城町861
0952-31-2131
年中無休
9:00~17:00  無料 

長崎から北九州の小倉を結ぶ長崎街道は、江戸時代の鎖国政策の中で、海外から入ってきたものが、上方や江戸などを伝わる道でもあった。長崎街道を通じて日本に広まったものの1つが砂糖だ。

長崎街道は別名「シュガーロード」とも言われ、江戸時代の18世紀~19世紀に国産の砂糖が普及するが、長崎街道が通る佐賀は砂糖文化の中心地で、砂糖を使った南蛮菓子が多く作られた。

佐賀には、黒砂糖の餡を皮で包み、焼き上げて、中が空洞になる菓子の「逸口香いっこっこう」や「丸ぼうろ」など、江戸時代から伝わるものが多い。

長崎街道にある佐賀県小城市おぎしは「九州の小京都」とも呼ばれ、小城羊羹でも有名。佐賀は小豆の産地でもあり、明治になって羊羹が作られるようになり、小城羊羹としてのブランドを確立していく。

1899(明治32)年創業の村岡総本舗は、江戸時代からの伝統の煉り羊羹の製法で作り、「小城羊羹」の名称は、村岡総本舗が初めて使った。

1941(昭和16)年に建設した煉瓦造りの洋館、砂糖蔵を改装し、小城本店の隣に「村岡総本舗 羊羹資料館」を1984(昭和59)年に開館。

1階では、羊羹の製造工程や歴史が分かる映像を見ながら、伝統製法の羊羹とお茶を楽しめ、2階の展示室に、昔の菓子道具、看板、パッケージ、砂糖や小豆、寒天などの原材料を展示し、写真、文書、パネルなどを紹介。

建物は1997年に国の有形登録文化財になり、2013年には本店とともに「22世紀に残す佐賀県遺産」に指定されている。

「村岡総本舗 羊羹資料館」のホームページで「小城羊羹の由来」「羊羹逸話」「シュガーロード」「和菓子ライブラリー」について、写真を交えて説明している。

長崎県

カステラ文化誌 Webミュージアム

長崎県長崎市船大工町3-1
095-821-2938

1624(寛永元)年の創業で、「長崎カステラ」を創案した福砂屋はホームページに、カステラの伝来や歴史を伝える「カステラ文化誌」を掲載。

「カステラの原型 ビスコチョ」、「カステラの語源はカスティーリャ地方から?」「南蛮菓子を運んだのは宣教師や貿易商人」などの解説をアップしている。

ホームページには、福砂屋のCM・動画ライブラリーもアップされている。

大分県

駄菓子屋の夢博物館

大分県豊後高田市新町1007-5
0978-23-0008
休館日 年末
10:00~17:00  平日
9:00~17:00   土曜日 日曜日 祝日
10:00~15:00  元旦 1月2日
駄菓子屋の夢博物館、昭和の夢町三丁目館の2館共通券 900円
駄菓子屋の夢博物館、昭和の夢町三丁目館、チームラボギャラリー昭和の町の3館共通券 1200円

大分県北部の豊後高田の商店街は、昭和40年代まで国東半島で最も栄えた繁華街だったが、その後、大型店の郊外出店や過疎化のために衰退。

昭和30年代以前の古い建物が約7割を占めており、これを逆手にとって、中心商店街に昭和30年代の街並みを再現する町おこしに取り組んできた。

昭和の町の中核施設、昭和ロマン蔵は大分県でも有数の豪商、野村家が1937(昭和12)年に建てた米蔵(旧・高田農業倉庫)を改造したもの。1万俵を貯蔵できる大きな蔵で、北蔵、東蔵、南蔵で構成されている。

「駄菓子屋の夢博物館」や昭和の生活を体験できる「昭和の夢町三丁目館」「チームラボギャラリー昭和の町」の他、旬の食材を味わえる和風レストラン「旬彩南蔵」などがあり、昭和にタイムスリップできる。

駄菓子は、贈答や来客用に使われる高級菓子に対し、主に子供向けに製造販売される、安価な菓子のこと。

江戸時代、高価な砂糖を使って作られる「上菓子」に対し、でんぷんで作った安価な水飴や黒砂糖などを使ったものを「雑菓子」と呼び、その後、「駄菓子」という言葉が使われた。

子供に駄菓子や玩具を販売する駄菓子屋は、時代によって、地域によって、取り扱う商品や人気の商品が異なり、「懐かしさ」によって、世代、育った地域が分かることも多い。昭和の町・昭和ロマン蔵のURLは以下の通り。

沖縄県

南島製菓の小さな博物館 Webミュージアム

沖縄県那覇市松尾2-11-28 浮島通り
098-863-3717

1935(昭和10)年に創業した南島製菓は、お盆や法事など、沖縄の伝統行事には欠かせない琉球菓子を昔と変わらぬ製法で作っている老舗菓子店で、人気の逸品は、餡に黒糖とゴマをたっぷり使った「こんぺん」だ。

南島製菓のホームページの「小さな博物館」には、守礼門や首里城を描いた落雁の木型、製粉機、餅つき機、秤、五玉そろばん、古いレジ、和菓子の本などの写真が掲載され、「南島の歴史」では南島製菓の誕生と歩みが紹介されている。

店舗は、沖縄の人気観光スポット「国際通り」から路地に入った牧志公設市場の近く「浮島通り」沿いにある。どら焼き、かるかんなどの和菓子、マドレーヌ、バームクーヘンなどの洋菓子、祝菓子などを販売している。

*お菓子のミュージアム、菓子メーカーのミュージアムをピックアップしましたが、漏れているミュージアムがあればご連絡いただければ幸いです。

*記事を転載する場合は、以下のタイトルとURLを記載してください。
お菓子のミュージアム、菓子メーカーのミュージアムに行こう!
https://note.com/mzypzy189/n/n7ee34847bd70

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