都知事選に見る「ハメ込みブラック日本」の限界と解決法
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書いた意図
日本では特に若い人で「自分が悪いのではないか」「どうしたら良いかわからない」と無力感に苛まれているのを散見します。どれだけいじめられてきたのかな?と心配になりますが、それが「風土」から来ていて、非生産的で、日本が貧乏になっている元凶だと知ってほしいと思って書き始めました。
内容は
日本は中世の農業支配を引き継ぎすぎ
ハメ込み・ブラックはその典型
古い考え方は日本凋落の元凶
あら捜しで価値がでるのは工業まで
人間まで「安く」は間違い
解決法、時代はモチベーションドリブン
です。
ハメ込みや上下関係で人を安く使おうとする産業はバリューや効率が低いだけでなく、高度なことを達成できないため日本は貧乏になった、ということです。
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モチベーションだけでなく、認知機能やひらめき、もっと基本的な健康でリズムを保った持続性のある状態は「脳」の状態をどのように保つかで決定される、ということが書かれていますが、ブラックな環境での労働・生活はまさに「最低限」の脳活性度でいわばゾンビでしょうから、高度だったり高付加価値の生産が出来るわけがありませんよね。
21世紀の都知事選ですよ
都知事選、かなり日本では盛り上がっているようですね! これまでにない多様な候補と、youTubeなどデジタルメディアの台頭による時代の変化を海外から楽しくウォッチしています。
今回の都知事選のテーマは「政治屋vs市民政治家」や「所得・少子化問題」でしょうか。
テレビなど旧メディアでは「明治神宮外苑の再開発」に方向性を持っていこうとしたようですが、石丸伸二候補が話題となり頓挫したようです。 小池知事の癒着を報道すればよいだけなのに、そういうのはせずに適当な報道だなぁ、というのが外野的な印象でした。
海外メディアの反応は?
Google で検索すると、かなり日本メディアが広告費を払っているようで、殆ど日系のニュースで埋め尽くされ、「小池vs蓮舫、女性候補対決」という色になっています。 アメリカの仲良しクラブ的なメジャーどころも小池知事の紹介止まりで、G7界隈では殆ど話題となっていない雰囲気です。
踏み込んだ記事では「東京都知事選にジョーク候補が殺到」というのを見つけました。
記事では武蔵野大学名誉教授のドナ・ウィークス博士の話を引用、「候補者のうち「約10人」が選挙プロセスに真剣」としています。
余談:私の押し候補
石丸氏、良いと思いますが個人的には政治家ではなくて投資会社とか経済アナリストとして日本・世界で活躍してたくさんお金を稼いで納税するほうが、本人の人生にプラスだし世の中のためになるんじゃないかな、という事で「もったいないので賛成できない」派です。
現状の日本だと、まだ段階Jrなど古い価値観・勉強しない高齢者が選挙権を握っていて議会や旧メディアが騒げば、結局は大きな仕事が出来ないので、少なくてもあと20年くらいマシな変化難しいでしょう。なので 「そこに人材を割くのは…。」という気がしてしまいます。
日本人の性質としても切羽詰まって玉砕!になるまで先送りしたい人が多そうですし(涙
どっちにしろ都知事選への投票権はないのですが、いいなーとおもった候補の方はこちら。
検索をするとエコノミスト、ZAKZAKなど経済関連で取り上げられているのが目立ちます。
投票権無いので、どうでも良い話ですが(笑
しかし、ニュースなどの様子が変だ
実のところ、政治本体にはさほど興味ないのですが先日帰国した時に「あれ?おかしいな」と強く感じる出来事がありました。 友人の車に揺られて野暮用で遠くまで言った時に往復でかなりの時間、車の中でラジオを聞いていましたが(たしかニッポン放送でした)都知事選の話題が繰り返しでてきます。
6月20日頃だったので内容は
「小池都知事 vs 蓮舫」の行方
両候補の情報あれこれ
市民の声
候補数が多くて悪
という感じ。ラジオなのでくり返し聞くと頭の中が2候補の一騎打ちで、他の選択は思い浮かばなくなります。旅程が終わる頃に「これは怖いことだなー」と感じました。日本って、こういう「決められてしまう」っていうのがものすごく多いのがずっと続いていて、そもそも変更の選択肢が無い感じがしています。いわゆる「ハメ込み」ですね。
本題:日本の成長を妨げる「ハメ込み」体質
前置きが長くなりましたが、本題です。
都知事選でも争点になる「古い考え」と「新しい人達」の価値観の差。この「古い考え」について、実際には日本では余り意識せず個別の事象を飲み屋の愚痴で紛らわす、もしくは利用して乗っかる、で数十年が経過し「失われた30年」の一角を形成しています。が、そもそも「古い考え」ってなんでしょう?
タテ社会が続く日本
最近斜め読みした(全然知らなかったけど有名な本の続編)「タテ社会と現代日本」には、日本の旧態依然とした体質がたくさん紹介されていました。
本の解説は、日本以外の国では雇用主=労働者は単なる契約関係だが、日本では親=子のように枠の中にいれて支配するような風習が続いている、というのが主なテーマです。
昔のイエの風習で日本には枠の中に人を入れて管理する手法が続いていて、長男が土地を継ぐので偉く、女性=女中のような立場。 九州などでは最近まであったお風呂に入る順番まで家族の順位が決まっている「封建的」制度が家の中まで浸透していて、ある意味「個人」というものが社会です。
「家の中でも外でも、身分制度」という日本全体が入れ子になった徹底した上下関係の社会だったのが、謙譲語や尊敬語、丁寧語のように言語ルールでもかなりの割合を占め、へんてこなコンビニ敬語という呪いのような風習として今でも残っています。
本の最後は1964年に『中央公論』寄稿した論文の全引用で、「60年変わらなかった、って言いたいのかな?」という感想。この「変わらない」という事が「日本」なのか?と気が付かされました。
タテ社会とは、人間関係が対等ではなく上下の関係で規定される社会、とでも言えばよいでしょうか。上下関係は上が有利なので、そりゃ上の人は変えたくないですもんね(笑
県という漢字
自治体の単位は県を使いますが、この字の元の形は漢語「懸」で首を木にぶら下げた様子を表していて、意味としてはそのモノずばり「かける」とか「示す」「隔てる」など。
その昔は行政区からの移動を禁じられていて関所がありましたが、江戸時代はたとえば、江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた鈴ヶ森刑場 がありました。 見せしめの意味で「死」を陳列する時に支配層は交通のある場所を使うのはローマ帝国で同じだったそうです。街道ぞいに十字架がならび処刑された人を見れば、ローマに入った後で悪事を働くのをためらうだろう、というわけです。
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