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「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を見て

スティーブン・ダルドリー監督作品で、トーマス・ホーンが主演なのかな?でトム・ハンクス、サンドラ・ブロックと豪華俳優陣が出演している素晴らしい映画について、ちょこっと書いてみます。
てか、トーマス・ホーンさんこの作品以外に出演作品がないみたいだけど、あれだけの演技でなんでなんですかね?まずそれが疑問。

自分ではどうすることもできない、突然やってきた巨大な渦

この映画のストーリーをほんの少しだけ話すと、アメリカ同時多発テロ事件によって父親を亡くした少年を中心に、そのほか親族の葛藤や、たくさんの人との出会いでさまざまなことに気づいていきます。みたいな映画です。
で、やっぱり何を思うかって、Twitterにも書いたんですけどこの一言で、

「自分ではどうすることもできない、突然やってきた巨大な渦に巻き込まれ、大切なものを失った場合、どのように現実を受け入れ、出来事を整理すれば良いのか。 その渦は予告もせず来て、私たちの祈りなど届きすらしないのだから。」

これ以上のことを考えられなかったわけです。
当然ながら誰しも突然死に追いやられる可能性は持ち合わせているわけで、自分でもそのようなことを不意に考えてしまうことはあります。
ただ、実際にそれが目の前で、大切な他人に起こった時に、どのような感覚として自分の中に残ってしまうのか、または受け入れられず、何も入ってこないのか。
あの時起こった出来事は、もはや誰も解っていなかった。ただ、巻き込まれただけの人間が、どれだけそれっぽいことを言っていたとしても、理解しうることではなかったのではないかと思う。

これに関しては、アメリカ同時多発テロだけでなく様々被害の大小はあれ、世界中で起きていることで、それらの出来事もまた、巻き込まれてしまったことでしか理解できない何か。が確実にあるだろうと思う。
そして、この映画を見てから時間が経ち、考えたその先は、巻き込まれてしまったことでしか理解しえない何か。をそれが理由で理解しようと努めないことの各個人としての態度に関してだった。

最近よくネガティブ・ケイパビリティについてよく考えるまさにその感覚と、それを認める態度が、大きな渦に巻き込まれてしまった人達への敬意なのではないかと思う。
なぜならば、本来その感覚が必要になってくるのは、巻き込まれてしまった人達自身であり、ある出来事に対し意味を求める過程で、正当な理由が示されることなどありえないと、当事者でなくとも感覚的に解っているからだろう。
どれだけ強引に自分を納得させようと試みても、本心から納得いく答えなど出るはずもない何かと向き合っていかなければならないと言う事実。
その感覚を間接的にであれ認めることが、当事者たちへの敬意に当たるんじゃないかなと。個人的に思うと同時に、各個人が必要な寛容な態度なのではないかなと思いました。

今回はこの辺りで。

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