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求む!母の愛

こんにちは。mywayのμ(ミュー)です。

奇跡の軌跡。自分でも驚くほど、過去の掘り下げからのスタートとなっています。子供時代の人格形成があってこそ、その後の経験に繋がり今の私となっていった大切なポイントのようですので、もう少しお付き合いいただけると嬉しいです。

幼稚園時代、外で遊んでいた時に変質者から性被害を受けているのですが、母を悲しませたくない、怒られたくないと思って、その直後に私を探しに来てくれた母に言うことができませんでした。この出来事は、とあるごとにフラッシュバックが起き、長年に渡って私を苦しめ続けました。

小学校は2回転校しています。
転校前も後もいじめられていた時期があります。外靴が焼却炉に捨てられていたり、ボスの指示でクラス全員から1か月ほど無視され続けたり、一番嫌われている男の子と笛が入れ替わっていたり(使う前にすぐ氣づきましたがw)たくさんの記憶が蘇ります。
しかし、嫌なことをされて辛い経験を何度もしていたにもかかわらず、小学校の最後にはいろんな面で良きライバルだった仲良い友達を、この子なら許してくれるだろうといじめる側に回ってしまったこともありました。誰かを巻き込むわけでなく私一人がやっていたこととはいえ、本当に未熟で申し訳ないことをしてしまいました。

母の記憶でいうところの「おとなしくてどこに連れて行っても恥ずかしくない」は、幼稚園や学校では当てはまらず、出しゃばり、目立ちたがり、仕切りたがりだったと思います。外向型のHSCの氣質も出ていますね。

性格が悪い上に、勉強、運動もまあまあでき、たぶんそれを鼻にかけていたのでしょう。そして、大人の顔色を窺うことが得意なので、先生から贔屓されることも多く、嫌われる要素万歳だったと思います。

兄が発病したのは私が小学校低学年で、そこから母のエネルギーはほとんど兄に向けられていました。義母から「病氣になる子供を産んだのはあんたのせい。(兄ちゃん)可哀そうに」と責められていたそうです。母にとってもトラウマ形成された苦難の時代でありました。

そんななかでやはり印象深いのは、いつもストレスフルでピリピリしている母に何ひとつ報告しなかったこと。母自身、学校から聞いていた件もあるかもしれませんが、何も言われたことがありませんでした。

母と一緒にいたくて、布団の中で体温計を摩擦で上げ、ずる休みを何回もしましたが、その都度、厳しい母方の祖母が看病に来て、ガッカリしていました。おばあちゃんも当時働いていたのに申し訳なかったですね。

母との確執が数年前まで私の大きなテーマだったのですが、この頃は、ただただ母の愛を求めていただけの時期でした。

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