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境界を越えるバス/都県境編18/根岸橋と宮前橋

東京神奈川都県境 境川編その4
2024年8月現地調査実施
2024/09/21初版暫定公開
データ類は特記なき限り2024年8月現在のものです。
図面・写真類は特記なき限り筆者自ら作成・撮影したものです。

今回記事で紹介する路線群は、横浜線開業当初より存在する淵野辺駅の東口を発着します。境川からの距離がやや離れたこと、路線数が多いこともあり、バスが目指す都県境の橋は4箇所になります。今回は、そのうち駅から比較的近い下流側の2箇所を中心に紹介します。


根岸橋・宮前橋の場所

 今回紹介する橋を渡るバス路線のターミナルは、JR東日本横浜線淵野辺駅になる。淵野辺駅は、横浜線が横浜鉄道として1908(明治41)年9月に開通した時から存在する古い駅で、発着するバス路線の数もそこそこ多い。駅が東京神奈川都県境=武蔵相模国境の境川からそこそこ離れているため、淵野辺駅東口を発着するバス路線は、4箇所の橋に分かれて都県境を越える。このうち上流側の2箇所は駅からかなり離れているため、まず、駅から比較的近い下流側の2箇所、根岸橋と宮前橋に加え、バス路線は通らないがこれらの橋と関連が深い山崎橋と両国橋を紹介する。

本記事で紹介する4つの橋とバス路線(赤線、筆者追記)。
ベースとなる地図は openstreetmap より。

根岸橋

 根岸橋を通っているのは、神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線の旧道である。地図によって、東京都側だけ都道指定が残っているもの/両側とも都県道指定を外れているものなど、若干表現に差異はある。現場を見た感じでは、交通の流れは上流側にかかった山根橋を経由する新道の方がメインとなっているようであるが、バス路線は旧道である根岸橋の方にのみ設定されている。橋の北東詰東京都町田市根岸1丁目、南西詰神奈川県相模原市中央区淵野辺本町3丁目と5丁目の境目になる。

相模原市側から見た根岸橋。町田市との境界を示すロードサインは見当たりません。
町田市側から見た根岸橋。橋を渡った先に相模原市のロードサインが見えます。

 この都県道の東京都側には芝溝街道の名前がついている。東京の芝と神奈川県の上溝を結ぶ街道として整備されたことからこの名前となったらしいが、現代で芝溝街道と呼ばれている区間は、都県境となる根岸橋と町田市大蔵町にて鎌倉街道と合流する地点の間だけである。

町田市側上流から見た根岸橋。思ったより短い?です。
根岸橋上から見た境川上流側。
根岸橋上から見た境川下流側。

現道と旧旧道(??)

 都県道相模原大蔵町線の新道=現道が通る橋は、名前が全く異なり、山根橋という。北東詰東京都町田市根岸1丁目と住居表示未実施地域の東京都町田市根岸町の間、南西詰神奈川県相模原市中央区淵野辺本町3丁目と2丁目の間になる。歴代地形図を比較すると、橋が架かったのは平成に入ってからで、比較的新しい橋である。町田市大蔵町側から芝溝街道を進んだ場合、直進すると旧道に入り根岸橋に至るが、相模原市淵野辺側からこの道を進んだ場合は、直進すると新道=現道側に入る。

町田市側から見た山根橋。歩道も広いです。
相模原市側から見た山根橋。ロードサインは表裏にあり、支柱は共用。
上流側から見た根岸橋。想像したより短い=川幅が狭い?、です。

 この山根橋のやや上流に、両国橋という名前の、いかにも昔から架かっていそうな橋がある。東京都側はこの橋から町田市矢部町になる。神奈川県側淵野辺本町2丁目である。

相模原市側から見た両国橋。
橋の先に続くのは古くからの街道ではなく、渡ってすぐに右手に進みます。
町田市側から見た両国橋。
古くからの街道は右手奥から来て左手奥へと進んでいた模様。

 古い地形図を調べてみると、明治時代にはこの橋を通る道が芝溝街道の原型となる道であるらしいことが解った。この当時、根岸橋に相当する橋も架かってはいるが、前後の道はが両側が破線表記の道で、主要な街道ではなかったと推定される。両側が実線表記の道は、両国橋で武蔵国に入った後、暫く川に沿って進む形になっていたようである。大正時代に入ると現在の根岸橋ルートが整備され、メインルートはそちらに移った模様である。

今昔マップ on the web による新旧地形図の比較。
左側の地図は1904(明治37)年測量版。
旧地形図の黄線(筆者加筆)が、芝溝街道の原型と思われる道のルート。
現地形図の黄線は都道府県道(最初から着色済み)。

宮前橋

 淵野辺駅東口を出たバスの大半が渡る橋が、駅東口から一直線に伸びる相模原市道に続く位置にかかる宮前橋となる。かけられた時期は、歴代地形図を比較すると昭和中期(30年代?)と推定される。両側の相模原市道/町田市道の整備に伴い、両者を繋ぐように架けられたようである。このためか、両側の市道が拡幅され、片側1車線ながらもしっかりした歩道が付いているのに対し、橋上は大型車は離合困難な程度の道幅しかなく、歩道もない。

町田市側から見た宮前橋。橋上は歩道もなく中央線も消えかかってます。
相模原市側から見た宮前橋。
都県境の橋ですが、歩行者や自転車の通行が予想以上に多いです。
上流側から見た宮前橋。
これまでの3橋と比べると長いかも?

 橋の北東詰は、東京都町田市矢部町であるが、橋の上流側で境川の左岸側となるエリアに神奈川県が食い込んでおり、このエリアは神奈川県相模原市中央区淵野辺本町1丁目である。橋の南西詰は、神奈川県相模原市淵野辺本町2丁目と1丁目の間となっている。

経由するバス路線

根岸橋

 根岸橋を通る都県道旧道を走るバス路線は3系統ある。しかし、そのうち2系統は運転本数が極めて少ないため、実質的に1系統のみであるとみることができる。
 根岸橋を経由するバス路線で、唯一、運転本数がまとも?なのは、”淵23”系統淵野辺駅東口~野津田車庫である。とはいうものの運転本数は多いとは言えない。平日は朝間と午後~夕刻にかけて約1時間間隔で合計9往復の運転であるが、日中に3時間以上運転間隔が開く時間帯がある。土休日は6往復の運転となり、朝と昼に散発的?に運転されたあと、夕刻にほぼ1時間間隔で数本運転される程度である。担当は神奈川中央交通町田営業所であり、その所在地は野津田車庫である。

根岸橋に差し掛かる"淵23"系統淵野辺駅東口行。
根岸橋上の"淵23"系統淵野辺駅東口行。
乗車率はそこそこ。

 運転本数僅少系統のうちの1つは”鶴37”系統淵野辺駅東口~野津田車庫~鶴川駅で、平日の朝1往復だけの運転である。淵23系統をそのまま真っ直ぐ芝溝街道~鶴川街道経由で鶴川駅まで延ばしたようなルートを走る。ちなみに、町田街道との交差点東側にある根岸から野津田車庫までの間は、町田駅方面から来た運転本数の多い"町26"系統など複数の系統が並走する。また、その先の野津田車庫~鶴川駅の間は、”鶴33"系統が同じルートで毎時数本運転される他、若干の経路違いや途中で分離・合流する系統も含め、やはり複数の系統が並走しているので、バスでのアクセスが困難な地域というわけではない。これらの系統は、全て、神奈川中央交通町田営業所の担当となる。
 根岸橋経由の運転本数僅少系統のもう1つは、この手の免許維持路線の中ではかなり有名?な、"淵24"系統淵野辺駅東口~野津田車庫~鶴川駅~登戸であり、土曜日の朝に1往復運転されるだけである。運転ルートは、上記の"鶴37"系統を更に津久井道経由で登戸まで延長した感じである。以前の記事でも紹介したように、この路線は鶴川~柿生間でもう一度都県境を越える。中間は東京都町田市内を走るものの、起終点は神奈川県内という珍しい路線である。この系統だけ、担当が神奈川中央交通東の橋本営業所になっている。

登戸駅に到着した"淵24"系統登戸行。折り返して淵野辺駅東口行になります。
この風景は、基本、毎週土曜日の朝、週1回しか見られません。
そのわりには、そこそこの乗客がいます。
根岸橋停留所を発車直後の"淵24"淵野辺駅東口行。
意外と区間旅客もありました。ここで降りたのは自分1人でしたが。

 ちなみに、このエリアの免許維持路線=土曜日だけ1往復の運行となっていた、"鶴22"鶴川駅~若葉台駅~調布駅・"柿26"若葉台駅~柿生駅~市が尾駅・"柿27"系統若葉台駅~柿生駅は、全部まとめて2024年3月16日のダイヤ改正で廃止されている。"淵24"系統だけ生き残ったのは、担当営業所が異なったため?、と推測される(廃止された3路線は神奈川中央交通町田営業所の担当だった)。が、今後、いつ廃止されるか、予断を許さない。

宮前橋

宮前橋を渡る淵野辺駅東口行。たしか"町17"系統だったと思われます。
橋の狭さが良く解ります。
こちらは"町26"系統淵野辺駅東口行だったように記憶。
こちらは"淵67"日大三高行、だったはず?

 宮前橋を通る道路は、町田市道・相模原市道であるが、淵野辺駅東口から一直線に伸びる道なので、経由する路線バスの系統も多岐にわたる。
 淵野辺駅東口と町田バスセンターを結ぶ路線は経路違いで2系統ある。1つは"町17"系統木曽南団地経由と案内される。宮前橋を渡ると程なく右折、日向根トンネルをくぐって町田駅前通りをほぼ全線走破する。担当は神奈川中央交通の町田営業所。もう1つは"町29"系統保健所入口経由と案内される。町田街道まで出てから右折し、町田駅のすぐ近くまで昔からの町田街道(の旧道)を走る。担当は神奈川中央交通の多摩営業所。どちらも終日毎時1本程度の運転である。並行しているもののそこそこ離れたところを通っており、担当営業所が異なることもあって独立したダイヤになっている。
 駅と境川左岸=町田市側の住宅街を結ぶ路線が"淵30"系統淵野辺駅東口~小山田桜台である。平日と土曜の朝混雑時間帯から日中にかけては、運転区間が伸びて"淵67"系統淵野辺駅東口~小山田桜台~日大三高として運転される。この系統は往路・復路共に、桜台の住宅街を1周してから先に進む。ほぼ1時間に1本の運転で、平日朝夕は増発される。休日は全便が小山田桜台までとなるが、運転間隔が約40分となる。担当は神奈川中央交通の多摩営業所である。ちなみに、終点の小山田桜台へは、町田バスセンターから"町32""町34"系統が通っている。両者合わせて毎時2~4本程度運転で、小山田桜台へのアクセスはこちらの方が主流となっている模様。
 町田街道まで出て北西方向に走るのが"淵65"系統淵野辺駅東口~神奈中多摩車庫である。終点停留所名に「神奈中」と明記されているのは、少し離れたところに京王バスの多摩営業所=多摩車庫があり、そちらと区別するためである。朝に出庫便/夕刻以降に入庫便が走る他、日中もほぼ1時間に1本程度運転される。が、出入庫系統らしく、特に土休日に運転間隔が大きく開く時間帯があるので要注意である。担当は神奈川中央交通の多摩営業所。
 これまでの系統とは趣旨?が異なる系統として"淵25"系統[直行]淵野辺駅東口~日大三高がある。平日と土曜に登下校時間帯に合わせて運転される。長期休暇期間には減便されるが本数僅少にはならない。休日にも、運転本数が極めて少なくなる(下り2本/上り3本)が運転される。なお、日大三高の通学系統は、町田バスセンターとの間の急行便が"町16"系統として運転されている。本数は"淵25"系統と同等である。途中に停車する停留所が数は少ないが存在するため、直行ではなく急行となっている。

路線バス以外のバスも通ります。近隣にある桜美林学園のスクールバス。
近隣にある町田キャンパス=本部と淵野辺駅を結びます。

 以上で紹介した路線バスの他、宮前橋を渡るバスには、桜美林学園のスクールバスがある。宮前橋の町田市側には、桜美林学園の本部があり、大学と中高一貫校、幼稚園がある。JR横浜線淵野辺駅へ行くスクールバスが宮前橋を渡る。この他、京王・小田急の多摩センター駅へのスクールバスも走っている。ちなみに、淵野辺駅近隣や多摩市には桜美林大学のキャンバスもあるため、これらの施設との連絡便の役割ももっているようである。

付近の自治体の変遷

 江戸時代より前、太閤検地で当時の高座川が武蔵相模の国境と定められるより前、現代の宮前橋より上流付近では、川を挟んで両岸に矢部村が広がっていた。高座川が国境となり境川の名前をもらった後、武蔵国側は多摩郡下矢部村/相模国側は高座郡上矢部村と呼ばれるようになった。
 江戸時代に入ると武蔵国側は近隣の木曽村に統合される。1746年頃に根岸村が分立したが、さらに上流側となる宮前橋左岸付近=旧下矢部村のエリアは、引き続き木曽村の飛び地とされていた。
 1889(明治22)年の町村制施行に伴う大合併で、境川左岸は神奈川県南多摩郡忠生村の大字木曽/根岸となる。多摩地区の東京府移管・東京の都制施行を経て、1957(昭和32)年、東京都南多摩郡忠生村大字下矢部が分立。1958(昭和33)年に合併により東京都町田市となり、木曽町・根岸町・矢部町となって現在に至る。
 相模国=神奈川県側は、江戸期には全域が相模国高座郡淵野辺村であったとされる。1889(明治22)の町村制施行に伴い神奈川県高座郡大野村大字淵野辺となり、1941(昭和16)年に合併で神奈川県高座郡相模原町大字淵野辺となった後、1954(昭和29)年に市制施行で神奈川県相模原市大字淵野辺となる。住居表示により1978(昭和53)年に淵野辺本町が成立し、現代に至っている。

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