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語られないこと: コンピテンシーの枠組み再考の必要性


コンピテンシー

PISAやEducation2030のプロジェクトが目的にする『コンピテンシー』の概念は教育の政策と実践、そして研究の文脈に定着している。

OECD(経済協力開発機構)が1997年にDeSeCo(Definition & Selection of Competencies)のプロジェクトを立ち上げてから27年。間も無く1世代(one generation = 30年)になる。その間に世界は大きく変化しており、まさに加速度的に変化する21世紀の社会を生きるために重要なコンピテンシーを特定し、それらを教育政策や実践に反映させることを目的にしたDeSeCoのプロジェクトの先見性を証明している。

ただし、21世紀の人々の生活の質や社会の持続可能性に寄与する教育システムや労働市場が必要とする知識やスキル(コンピテンシー)を検討するDeSeCoのプロジェクトの合理性は、そのプロジェクトが示すコンピテンシーの(普遍的な、また現在における)合理性を意味しない。

DeSeCoプロジェクトは、1)テクノロジーや言語、知識を効果的に活用する能力、2)多様な他者と効果的にコミュニケーションを図り、協働する能力、そして3)それぞれが目標を設定して自律的に行動する能力を3つの主要なコンピテンシー領域として示す。その上で、これらのコンピテンシーは、個人の成長にとどまらず、社会の発展に重要な役割を果たすと論じられている。以下に国立教育政策研究所の「キー・コンピテンシーの生涯学習政策指標としての活用可能性に関する調査研究」のリンクを参考として貼っておく。https://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/div03-shogai-lnk1.html

DeSeCoとPISAの関係

改めて書く必要もないが、PISA(Programme for International Student Assessment)は、OECDが主催する国際学力調査であり、2000年に初めて実施され、以後3年ごとに実施されている。15歳の学生を対象に、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーを評価し、各国の教育システムのパフォーマンスを比較する国際調査として、国内の教育政策にも大きな影響力を持つ。

PISAとDeSeCoプロジェクトとは密接に関連している。DeSeCoプロジェクトが特定したキー・コンピテンシーは、PISAの評価項目の基礎になっている。PISAは、カリキュラムが設定する知識の量的な習得を測定する学力テストではなく、実社会で必要とされるスキルや知識の質的な習得を測定することを目指す。したがって、DeSeCoで定義されたコンピテンシーは、PISAの評価フレームワークの設計に大きな影響を与えている。

言い換えれば、DeSeCoはPISAのコンピテンシー評価の理論的基盤を提供しており、PISAはそれを実際の教育現場でどのように具現化するかを測定するツールとして機能している。

忘れられている世界観の変化

DeSeCoプロジェクトが立ち上がり、PISAが始まった時代は、米国同時多発テロの前の世界であることを意識している人は少ないのではないだろうか。

米国同時多発テロ(9/11)は、2001年9月11日に米国を標的にした一連のテロ攻撃で、19人のイスラム過激派テロリストが4機の商業旅客機をハイジャックし、そのうち2機をニューヨーク市の世界貿易センタービル(ツインタワー)に突入させた。また、3機目はワシントンD.C.のペンタゴンに突入し、4機目は乗客の抵抗によりペンシルベニア州の野原に墜落した。このテロ攻撃は、米国および世界中に大きな衝撃を与え、米国の安全保障政策や国際関係に大きな影響を及ぼし、その後のグローバルな対テロ戦争の引き金となった。

では、その対テロ戦争以前〜つまり、DeSeCoプロジェクトとPISAがコンピテンシーを議論していた世界観はどのようなものだったのだろうか?

冷戦の終わりの世界観: 「歴史の終わり」と「文明の衝突」

対テロ戦争以前の世界観は、いわゆる冷戦後の世界である。冷戦後の世界秩序を模索して理解するために広く読まれた2つの代表的な理論に、F. Fukuyamaの「歴史の終わり」とS. Huntingtonの「文明の衝突」がある。

歴史の終わり (The End of History and the Last Man), 1992年
Francis Fukuyama
冷戦の終結とソビエト連邦の崩壊は、西側の自由民主主義が人類の政治的進化の最終形態であることを意味し、それまでのイデオロギーの対立の歴史が終わりを迎えると主張。経済的な繁栄と個人の自由を普遍的価値とするリベラルな民主主義と市場経済が普遍的に受容される時代が到来するという楽観的な見解を主張する。

文明の衝突(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order), 1996年
Samuel P. Huntington
冷戦後の世界でおこる紛争は、イデオロギーの違いではなく、文化や文明の違いによっておこると主張する。世界を文明が異なる価値観や宗教をもついくつかの文明圏に分けて、それぞれの間に生じる対立を冷戦後の世界の紛争の主要な原因になると予見する。特にイスラム文明と西洋文明の対立の先鋭化を予見し、文化的なアイデンティティとその対立が冷戦後の世界の国際関係に重要な役割を果たすと警告する。

これらの著作は、冷戦後の世界秩序(世界観)の理解に重要な異なる2つの視点を代表する。「歴史の終わり」は、冷戦後のリベラルな民主主義の勝利と普遍性(グローバルな普遍化)を強調する一方で、「文明の衝突」は、文化や文明の違いが紛争の主因となることに警鐘を鳴らし、多様性との共生を模索する必要を強調する。ただし、両者は国民国家の枠組みを超えたグローバルな世界観の到来を想定することでは共通する。

DeSeCoとPISAのコンピテンシーが想定した世界観:

ここまで書けば、DeSeCoとPISAのコンピテンシーが想定する世界観が、現在の私たちが生きている世界とはかなり異なることが見えてくるのではないだろうか。

DeSeCoとPISAのコンピテンシーが想定する世界観は、リベラルな民主主義と市場経済を普遍的に受容するグローバルな世界であり、そこで求めるコンピテンシーは、異質な文化・文明を持つ他者の多様性と共生する自律的な主体であると言える。国民国家の枠組みをはじめ、文化や文明の制約を超えて人々がグローバルにつながり合う社会と市場経済が想定されている。そこでは国民国家の市民から、グローバルな空間で領域を超えて自律的に活動する経済人(homo economics)を目的とした教育システムと労働市場が想定されている。

想定とは全く異なる現在の世界観:

リベラルな民主主義と市場経済が、グローバルに永続するという前提が、DeSeCoプロジェクトが提示するコンピテンシーの背景にあり、PISAはそのコンピテンシーを測定することを目的にしてきた。しかし、現在の世界状況は、DeSeCoプロジェクトやPISAが想定してきた世界観と合致しているだろうか‥。答えは明らかなNOだろう。

リベラルな民主主義はあちこちで反動(backlash)に面しているばかりか、政治プロセスとしての民主主義も危機に瀕している。DeSeCoとPISAのコンピテンシーが検討された世界では、「民主主義を守る」という言葉が選挙スローガンになることは全く想定されていなかった。

市場経済も、DeSeCoとPISAのコンピテンシーが検討された世界で想定していた姿とは大きく異なる。世界の人口の1%が富の99%を持つ世界では、市場経済はそのシステムの歪みを自己修正できなくなっている。歪みによる格差の是正を国民国家の政治に求めることも、それぞれの国民国家がグローバルな世界で企業体のようにふるまうなかでは期待できない。そうしたなかで起きている戦争や紛争は、世界経済のブロック化を進めつつある。

DeSeCoとPISAが牽引したコンピテンシーは、こうした動向に抗う術ではなく、順応して適応する術として機能してきた側面がある。冷戦期までのリベラルな民主主義と(健全な)市場経済を支えてきたのは、DeSeCoやPISAのコンピテンシーとは異なる別のコンピテンシーである可能性が極めて強い。

まとめ

以上を踏まえると、DeSeCoプロジェクトとPISAは、教育政策と実践、さらには研究におけるコンピテンシーの概念を確立し、グローバルな視点での教育システムの改善に大きく寄与してきた。しかし、現在の世界が直面しているリベラルな民主主義や市場経済の課題は、これらのプロジェクトが想定していた未来とは異なる。したがって、これからの教育と社会政策においては、新たな世界観や現実に即したコンピテンシーの再評価・再考が必要となると考えられる。


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