キミを見送る30秒
「いってらっしゃい。気をつけて行くんだよ。
忘れ物はない?水筒持った?
あっ口になんかついてるよ、ちゃんと顔洗った?
あぁ髪ボサボサじゃん、寝ぐせビョンってなってるよ。
もう~今日はこのまま帽子かぶって行きな」
この言葉たちを、いままで何十回、いや、何百回言っただろう。
槍のような言葉を投げつけられているのは、わたしの息子だ。
現在、小学校3年生。
このうざったい朝の見送りは、彼が2年生になった4月7日から始まった。
約1年とちょっと。わたしは、学校の日も、夏休みや冬休みの学童に行く日も、来る日も来る日も、彼の登校をこんな感じで見送っている。
玄関先までは見送りをする、という家庭も多いだろう。
でも、わたしは、いちいち外にでて、彼が見えなくなるまで、いちいち両腕をブンブンと左右に振りながら、盛大に見送る。
なぜこんなにも盛大に見送りをするのか?
なぜなら、この見送りは、わたしがずっとやりたかったことなのだ。
わたしが小学生のころ。
母は働いていて、朝はバタバタと忙しそうだった。
玄関先まででさえ、見送ってもらった覚えがない。
当時のわたしは、超がつくほど人見知りで、いつまで経っても集団登校の輪に入れないでいた。
同じ団地の子が集まって、10人くらいで集団登校するのだけど、わたし以外はみんな仲良し。わたしは、ひとり遠く離れた保育園に通っていたので、友達がひとりもいなかったのだ。
その結果、6年間、無言を通した。
学校は好きだったけど、集団登校は大嫌いだった。
そんな娘の気持ちも、梅雨知らず。
母は「いってらっしゃい~」と、パタパタとお化粧をしながら、わたしの顔を見ることなく、背中越しに見送った。
わたしは、さみしかった。
そんな想いがあって、息子には同じ思いはさせまいと、毎日必ず顔を見て見送ろうと、心に決めていた。
彼の小学校入学が待ち遠しかった。
しかし、ここで予想外の出来事が発生。
息子は、小学校入学直前に「IgA血管炎」という聞き慣れない病気になってしまったのだ。
ちょうど入学式を2ヵ月後に控えた、まだまだ寒さが残る2月のことだった。
この病気は、簡単に言うと、血管の炎症により、足に紫斑(アザのような発疹)ができて、腹痛や関節痛を伴う。絶対安静が基本治療だ。
そのため、小学校入学が間近に迫った2月と、入学式が終わった5日後に、それぞれ2週間の入院を余儀なくされた。
ほどなくして無事に退院した。
しかし、完治までには至らず、しばらく運動制限がかかってしまった。学校に通えるようになったのは嬉しかったが、毎日車で送迎することになった。結局、ずるずると病気が長引いてしまい、送迎なしで自らの足で登校できるようになったのが、2年生になったときだった。
そんな紆余曲折があったので、それはそれは心待ちにしていた。
1年間も待たされたので、わたしは、それはそれは張り切った。
張り切りすぎて、冒頭のうざったいカーチャンと化したのだった。
春先、はじめてひとりで登校する息子は、とても不安そうだった。
息子の小学校には集団登校がない。だから、文字通りひとりで登校しなくてはならない。
学校までは、1㎞ほど。ほぼ直線距離の位置にある。
息子の足で、15分程だろうか。
車で1年間通っていたので、道順はばっちり頭に入ってる。道に迷うことはない。
ただただ不安だったのだろう。
学校まで一緒に歩いて行こうかなと思ったけど、わたしもすぐに会社に行かなくてはならない。
付き添ってあげたい気持ちをグッと堪える。
不安がってる息子の気持ちをほぐすために、元気に笑顔で見送ろう。せめて息子にひと笑いしてもらってから、登校させよう。
そこでわたしは、毎朝必死で彼の笑いを取りにいった。
見送るふりをして、後ろからそっと背後霊のようについて行ったり、走って追いかけて追い抜きざまに「よっ!」と声をかけてみたり、ラジオ体操第二のあの恥ずかしいポーズをしてみたり。
彼の姿が見えなくなる、曲がり角までの50mの距離を、不安で4回も5回も振り返るその瞬間に、クスっと笑ってもらえるよう、それはそれは全力で笑いを取りにいった。
きっと、ご近所さんの目には「みうらくんちのママ、なにやってるんだろう」と一風変わったカーチャンとして映っているだろう。
そういえば、お隣さんが苦笑いしていたな。
それでも、やめなかった。
キミが笑ってくれるから。
いつの間にか、見送りのときにひと笑いを届けることが、わたしの習慣となった。
入学当初は、あんなに大きく見えたランドセルも、今やぴったりサイズ。大きくなったなと実感するたびに、不安そうに後ろを振り返る回数も減ってきた。
「今日も一日楽しく過ごしてね」という祈りを込めて、今日もひと笑いを添えて送り出す。
笑った息子の顔を見て「さて、わたしも今日もがんばりますか~」と、ぐっと伸びをして、またバタバタと慌ただしい朝の準備に戻る。
これが、わたしの愛おしくて欠かせない習慣だ。