見出し画像

個を認める

現代は「個の時代」と言いますが、果たして本当に個性を認められる社会なのでしょうか?

何度か書いているように、私は自己肯定感が極端に低い時期がありました。
できるだけ目立たないように、気付かれないようにと日々を過ごす時期があったのです。

そして今、子どもたちの個性を伸ばす仕事に携わり、また、障害者となった息子の母親として、私の中の意識もかなり変わってきたように思います。

ピアノ弾きには致命的な「無個性」

過去のトラウマを抱えていた頃の私のことは、こちらを読んで頂いたらわかるかも。



とにかく自分の感情を押し殺していた子ども時代。
目立たないように、感情を出さないように、自分をなくしてしまえば
母から怒られることもないし、友達から嫌われることもない。そう信じていました。

自分の存在を全否定されれば当然です。

いつも自分に自信がない。思っていることも間違いかもしれないと思うと口にできない。

表情はなくなり、思考も停止する。
ただ与えられたことだけを淡々とこなす子ども時代でした。

高校生になった時に、ピアノの先生に言われたのが

「あなたは技術はある。譜読みも早い。指もよく動く。曲の構成も理論的に考えられる。

1教えれば10理解して、曲全体に応用をきかせられる

バッハなんか見事よ

だけど、何一つ響いてこない。何を思って弾いてるの?」

この言葉には本当に悩みました。
私はどうしたらいいのだろうか、と。


大学での挫折

大学に入学して初めてのレッスンで、私はいきなり大きな挫折を味わいます。

1コマ90分のレッスン。
確かベートーヴェンのソナタを弾いたんだと思います。
弾き始めて開始5秒で、あろうことか目の前で楽譜を閉じられてしまいました。

「出直していらっしゃい」

先生はそれしかおっしゃいませんでした。

何がいけなかったのか、私にはさっぱりわかりません。
そこそこ弾ける自信はあった。きちんと楽譜通り弾けてたはず。なのに…

最初の音を聴いただけで、先生は終わらせてしまった。
何がいけなかったんだろう?

この答えは実は4年生になるまで教えてもらえなかったのです。

もう卒業試験の曲を決めないといけないとなった頃、私がショパンのソナタを弾きたいと言った時にたった一言

「あなたには無理よ」

悔しさと、やっぱり私は何をやっても無理なんだという思いとかごちゃ混ぜの状態で、それでも最初のレッスンに精一杯練習して持っていった時に、始めて先生は入学してすぐの時の話をしてくださいました。

「あなたはきちんと楽譜通りに演奏する。だけどそこに心がない。1音目を出した瞬間にわかるわよ。
この曲がどうしても弾きたいなら、もっと自分を出しなさい」

この言葉にかなり悩みました。

自分をさらけ出して生きて来なかった私には、どうしたらいいのかわからない。
自分を出すのが怖い。怖くてたまらない。

しかし、先生自身がご自分の生活を私にさらけ出して「自分が自分であること」を教えてくれたのです。
かなり自由奔放な生き方をしていた先生。世間的には決して褒められるような生き方ではないけど、とてもキラキラ輝いていました。

そしてそんな先生が弾いてくれたシューマンが、私の心を激しく揺さぶり忘れられない演奏になったのです。

この時、始めて私は「私にしか出せない音」を意識するようになったのです。かなり遅咲きです。

それからのレッスンは先生の熱の入れようも凄くて、試験の時は自分の中でも最高の演奏ができました。
始めて先生に褒めてもらったのもこの時です。

母親となって

自分の苦い経験から、息子たちにはそれぞれの個性を伸ばしてあげたいと思ってきました。

3人とも小さい時は、わりと伸び伸び育っていたと思います。

しかしそれが大きく崩れる事になったのは、長男が高校生になった時。
度々体調不良を訴え、学校に行けなくなってしまったのです。

1年、あちこち病院に行き最終的に診断されたのが

「うつ病」

まさか、という気持ちと
私は母親として何をやってきたんだという気持ちで、目の前が真っ暗になりました。

離婚という選択

長男の診断を受けて、まず話をしたのが当然ですが、当時の夫です。
私としてはこの状況を、家族で力を合わせて乗り越えていかなければ、と思っていました。

しかし夫は長男に聞こえるように、次男に向けて

「お前はいい大学に行っていい会社に就職しないと、人生終わるぞ」

と言ったのです。

夫は長男を見捨てた、そう思いました。
はっきり離婚を決めた瞬間でした。

シングルの子育て

離婚をして、子どもたちと向き合うとなると、私の考えのみで進んでしまいます。
私の意見が全てになるのです。

常に私が正しいのか自問自答しながらなのです。

長男がうつ病とわかって、私は長男に
「ちょっと風邪をひいたのと同じと思っていい。別に特別なことじゃない」
と言いました。

だから長男の病気について、別に隠すことはしなかったし、長男も自分の病気について何のためらいもなく友達に話したりしていました。

最終的には高校も中退してしまいますが、そのことも何も負い目に感じる必要はないと思っていました。

しかし、世間はそう甘くはないのです。

周りの友達からは
「変な目で見られるから、あまり言わない方がいい」
と言われたのです。

変な目って何?
私は間違ってるの?

精神疾患への偏見

長男には気にするなと言いつつ、やはり世間の目はまだまだ厳しいものがありました。

何かしら痛ましい事件が起こると「犯人は精神疾患を抱えており…」と、やけにそこだけがクローズアップされるニュース。

そんなニュースを見る度に胸が締めつけられる思いでした。
それは長男も同じで、そんなニュースを見た後は外出を嫌がるようになるのです。

長男も、もしかしたらそのうち犯罪者になるって、そういう目で世間から見られているのだろうか?
精神疾患を抱えていても堂々としていなさい、という私の考えは逆に、長男を追い込んでいるんじゃないか?

いつも頭の中は疑問符だらけでした。

公的機関での偏見

そのうち、長男のうつ病も長期になり、様々な支援の必要もあったので、障害者手帳を取得することにしました。

障害者手帳を取得することで
・就労移行支援事業所の利用
・市内のバスの無料利用
・NHK受信料の免除
・携帯電話料金の割引
・様々な施設利用料金の割引
などが受けることができます。

しかし、長男は
「オレが手帳を申請してもいいんだろうか?」
と言うのです。
「そんなにサポートしてもらってもいいんだろうか?」

そんな余計な遠慮はしなくていい。
少しずつ社会復帰しやすいように、ちょっと支えてもらうだけだから。

そんな話を長男として、私が区役所に申請に行ったのですが、そこの窓口でも言われたのが

「本当に必要ですか?
税金の無駄遣いじゃないですか?」

唖然として返す言葉も見つからず…
悔しくて家に帰って泣いて泣いて…
ただ、その場に長男がいなくてよかった、直接この言葉を聞かせなくてよかったとだけ思いました。

「差別」ではなく「区別」すること

いろんなことがありましたが、長男は現在は無事就職もでき、職場の皆様の温かさに支えられながら、毎日充実した生活を送っています。

私自身のトラウマや長男の病気のことがなければ、もしかしたら社会的弱者の事も何も知らないまま、呑気な日々を送っていたかもしれません。
ある意味、私の試練であったし勉強になったし
成長させてもらえた出来事です。

男女とか
環境とか
身体的特徴とか
人種とか

みんなそれぞれ違います。
その違いを、自分の価値観に合わないからと排除するのが「差別」
その違いを認識し理解するのが「区別」だと思います。

「差別」ではなく「区別」して
お互いを尊重し合える社会になればいいのに、と思うのです。

そのために私たちにできることってなんだろう?
そのことを考えるのが、これからの私の課題にもなると思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?