波長が合う人や物が引き寄せられる〜なんとなく、ちょっと背伸びして、の感覚を大切にする〜
昨日は習い事に行き、そのあと忘年会、夜はワークショップと、いろんな方と交流する1日を過ごしました。
そこではっきり感じたのは、波長が合う人ばかりが集っている、ということでした。
なんとなく、で踊りを習いにいってみて、忘年会でメンバーとゆっくり話せば、なんと!みなスピリチュアルを学んでいたり、何か人に提供できるものを持っているような人たちが集まっていました。
先生自体が、教室の生徒さんとこんな話しばかりになると思わなかった、と漏らすくらいみんなが予想外でした。
みんなの根底にあるのは、まず自分たちの心身の健康、他者への貢献、世界の平和、地球の平和を願う気持ちでした。
踊りを習いにいっているのに、メンバーのご家族に体調が悪い方がいると分かれば、
祈っているよ、
大丈夫、
みんなでパワーを贈る、
楽しんで踊って元気でいれば、家族にも良い循環になる、
などの言葉が口々にメンバーからでる奇跡に、何ともいえない豊かさを感じていました。
メンバーの中に傍観者はおらず、積極的に愛を与えようとする人たちでした。
またワークショップに参加すれば、期せずして祈り、繋がり、絆、守られている、愛、など、これまたスピリチュアルっぽい言葉がたくさん出てきました。
集うメンバーの、お互いの弱さも強さもすべて受け入れ合うような、温かく穏やかながら、エネルギー溢れる豊かな自己表現の時間でした。
そんな幸せな余韻に浸りながら、夜遅く帰宅したら、夫がちょっと早いクリスマスプレゼントと、私の大好きな、いや、かつてはずっと憧れでしかなかった、マザーハウスのリュックがテーブルに置いてありました。
私はハイブランドにはほとんど興味なく人生を過ごしてきましたが、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念の下、途上国にある素材や人材に光をあてたもの作りを行う、マザーハウスのような企業には、とても関心を持って生きてきました。
社会人になってから、そのような途上国を支援している団体に細々と寄付をしたり講演会に参加などをしてきましたが、あるとき、自分自身の内面が豊かだ、といえない状況で寄付などをし続けるのは偽善じゃないか?と自分の行動に何か不一致を感じて、ストップをしていた時期がありました。
が、また自分が癒されてきた、という手応えを自分で感じてから、そこに不一致感を感じなくなったので、積極的に応援をするようになりました。
そんななか、夫が、私がこういうブランドが好きだ、と言っていたのをよく覚えてくれていたので、これなら間違いなく喜ぶだろう、と購入してくれていました。
とてもありがたく、嬉しく思っています。
が、かつての私にはこのブランドはお値段も、理念も、私には光が強すぎる、眩し過ぎると感じていた時期がありました。
たくさんの罪悪感を抱えて生きてきた私には、理念が、価格が眩しすぎ、今の自分ではまだ身につけられない、追いついていない、のようにどこかで感じていました。
また、今日参加したような踊りも、ワークショップも、えいや!と勇気を出さないとなかなか行かれない、と感じていました。
行ってみたり、使ってみたりするうちに、波動が合う!となりますが、はじめはなんでも、ちょっと背伸びして、ちょっと勇気を出さないと、手にしにくい、と感じます。
なんとなく気になる、だから手にして、参加して、触れ合って、それが心地よくなったら、また、ちょっと背伸びして、というのを繰り返して、誰もが人生の幅を世界を広げていくのではないか、
と感じています。
最初から、
ピッタリくる!
波長か合う!
かどうかは分からない。
でも、何となく、ちょっと背伸びしてやってみる。
この感覚を、人生の幅を世界を広げていきたい、と思っているすべての方々と分かち合いたいと思い、今日は記事にしました。
お読みいただきありがとうございます。