「私の願い」は、私は尊い存在です、私は私を誇りに思います、を証明していくことだった。
昨日あるプロジェクトに参加し、「私の願い」を人にじっくり聞いていただく機会があったので、自分なりに言語化していきました。
自分が思考して言語化しているので、主観的になります。
それを他者に聞いていただき、客観的視点で捉え直してもらったならば、
あら、まあ!
そんなふつふつと燃えたぎるようなパワーを
私は内に秘めていたのね!
って言うか、ほんとそう!
多分、私は小さな頃からずっとずっとそれを願って、そうなりたくて生きてきた!!
と感じるハッとする言葉を返していただきました。
私の願いは、
これが、私です。
簡単に蔑ろにされ、傷つけらる存在ではありません。私は尊い存在です。私は今の自分を誇りに思います。
(どうだ!くらいな堂々とした在り方(笑))
を証明していきたい、という感じですね、と言っていただきました。
まさに!と思いました。
私の原家族は、話し合いのない家庭でした。
共依存、支配、コントロールする、される関わり方しか知らず、穏やかにお互いの意見を聞き、話し合う、という機会を家庭の中で得ることができませんでした。
父が暴言や暴力を振るっても誰も止められない。
子どもは親に従ってさえいればいい、子どもなんだから当たり前だ、というやり方の父、私に愚痴りながらもそれに追従する母。
意見を対等に聞いてもらえることはない、となると父の権力に従うか、反発して、見捨てられ不安に苛まされながらも、父と大変な闘いを繰り広げるか、どちらかしかない。
私はいつも緊張、不安、恐れ、私は何もできないという無力感、無価値感でいっぱいでした。
そして家族のなかでも親戚のなかでも1番歳下だった私は、兄たちにも誰にも彼にも従い、蔑ろにされ、傷つけられていたとしても、守ってもらえない、それが日常を生きる、ということなのだ、と思っていました。
そして、いつのまにか、私は弱く、何もできないダメな存在なんだ、私なんていない方がいい、と思春期頃からいつも虚無的で「死」を意識しているような思考が通常モードになっていました。
その生きづらさをなんとかしたい!と模索し、4年ほど前にセラピーに出会ってから、時間もお金も集中して使い、自分のトラウマ、たくさんの私の中にある癒されていない痛みに向き合ってきました。
そして今やっと、私の奥底にあった「私の願い」が浮上してきた、表面に出てこれるほど、私が私を認められるようになったのだ、と感じます。
あなたの願いは何ですか?
表層にあるものは、
もっと稼ぎたい、
もっと遊びたい、
もっと、もっと、と、
わかりやすい、この世の中的によく言われているものかもしれません。
でも、そのような世俗的なことではない、「あなたの願い」が、もっとその人の生命の根源から湧き出る願いが本当は誰しもあるのではないか、と感じます。
ただそこには触れない、気づかさせない、そうでないと、今の人生を変化させないといけなくなってしまう。
だから、無意識に今の社会システムの中で忘れられやすいようにしているだけかもしれません。
でも、「私の願い」が分かると、より生きやすく、自己一致して力強く生きていける、と感じています。
「あなたの願い」を一緒に掘り当てて、そこに光を当てていきませんか?
お読みいただきありがとうございます。
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