内なる女性性と男性性の開花。
私は、長い間無意識に、男性性的なことが正しいこと!と信じて生きてきました。
しっかり勉強して良い成績を取る、部活を頑張る、習い事も頑張る、資格を取るなどなど。
何かを獲得していくことこそ、正しく生きること、と思っていました。
20代の私は病んでいたにも関わらず、いやだからこそ、本当はもっと頑張らなきゃいけないのに、もっとあれもできなきゃいけないのに、これもできなきゃいけないのに私は全然足りていない!と常に焦燥感に駆り立てられていました。
今の自分でOKなんて全く思えていませんでした。
(書いていて、視野狭すぎて、いつも自分を虐めまくっていた日々が甦り泣けてきます。)
が、人生も半ばを過ぎてから、本当にこの生きづらさを何とかしたい!と、セラピーを受け、学ぶうち、まずは自分の体感覚を取り戻すとか、自分の感情をしっかり感じる、とかそういう概念が分からないっていうか、そもそも知らない、という事実に愕然としました。
自分の感情は抑圧して押し込め、思考だけで、親に(周囲に、もっというと本当は神に)見捨てられないように必死で、自分が本当は何を感じ、何がしたいのかなんてもはや思考では分からない。
頑張っている理由が、見捨てられたくない!!という強い恐れからきていた、なんてことも当然分かっていない。
実際の行動と心の内面がバラバラだから、病んだり、体調不良だったり、家族関係で混乱を極めたり、離婚したり、転職を繰り返したり、人生がハードボイルド。
人生がイージーモードとばかりに、楽しく過ごせている人は、もはや違う星の人なんだ、というくらい、楽しむとか、楽に過ごすとか、寛ぐとか、自分が好き、という感覚が分かりませんでした。
心理や真理を学ぶうち、
「誰もこんなこと教えてくれなかったじゃーん!!」
と、学べば学ぶほど、声を大にして叫びたくなりました。
比較的楽に、トラブルが少なく自他ともにスムーズに愛せる人生を過ごしている人たちは、こういう良い意味で世代間連鎖しているから、デフォルトで自分を愛せるチカラが設定されていく。
対して、自分の両親が自分の生きづらさに自覚なく、でも夫婦関係、嫁姑関係なとが悪く、不平、不満の多い家庭で育つと、愛することが難しいというデフォルト設定になっていく、
と感じています。
が、希望があるのは、家族以外の誰かや何かの出会いを通じて、またパートナーやコミュニティで学び取り入れるうち、まずは自分自身が自分を愛する練習をしていけば、そのチカラはちゃんと少しずつついていきます。
もちろん簡単ではなく、継続力、そこに意識的に向き合っていく意志の力が何より必要になりますが、デフォルト設定の筋肉より、筋トレをずっと意識的に習慣にしている人が筋肉が育っていくように、愛も意識的に育むほどに育っていくとも感じています。
そして、そのプロセスで、やっと私は自分の女性性を受け入れられるようになった、と感じます。
女性らしいこと、を私は無意識に拒絶してきたと感じます。
母や祖母などをみていて、身内の男性の悪口を言いながら、その男性に従い、養われているという事実が、どうにも私のなかで整合性がつかなかったように思います。
あれだけ夫の悪口を言いながら、なぜ??
その葛藤を、彼女たちの代わりに私が代償を取るとばかりに、
弱くちゃダメだ、
稼げるようにならないとダメだ、
文句があるなら言わなきゃダメだ、
と内なる女性性を否定し、内なる歪んだ男性性を振り翳そうとしてきたと感じます。
おかげで、夫に、その私の内なる歪んだ男性性から、言わなくてもいいことまで言ったり、闘って勝とうとしたり、いろいろやらなくていいことをしてきました。
私が自分の問題だと気づいて謝ると、夫がいとも簡単にゆるしてくれるとき、本来男性は、男性性はとても広くて深いんだと、感心しつつありがく感じてきました。
そのなかで気づいたのは、私が内なる女性性を受け入れるほどに、夫の男性性が引き立ち、お互いの人生の質が上がっていく、ということでした。
さらに、私が健全に男性性を使っていくと、夫の女性性も顔を出してくる。
が、私が自分の男性性を出すことを恐れ抑圧していると、夫や他の男性の男性性にさえ嫌悪感を抱いたり、夫の女性性を出す機会さえ奪ってしまう。
私の内なる女性性と男性性の開花は、私の人生のみならず、夫の人生にも深く関わってくる、ととても感じています。
私たちは、無意識にいろいろなものを他者に投影し、影響し合って生きているので、当然と言えば当然です。
人生半ばを過ぎて、
ゴリゴリの男性性で生きてきた人が、女性性が開花されると、人としての幅が広がり魅力的になるのみならず、確実に人生の質が上がり受け取るものもグッと多くなります。
また、当たり前のように女性性ばかりで生きてきた人が、男性性を開花させていくと、弱々しく見えた方に、大輪の花が開いたように輝き出します。
どんな方も、いずれは両方を開花させ、誰もが質の良い、唯一無二のその方らしい素敵な花を咲かせて人生を彩ってほしい。
自分も含めて、心からそう願っています。
お読みいただきありがとうございます。