自分が自身の輪郭をしっかり掴んでいること
今日は、久しぶりに、幸せの朝たまご会、というオンラインでの実践共有コミュニティに参加しました。
私は、自分の思考を整理するための時間、いろいろな方との交流で、自分の気づきや、他の方から、知らない世界を学ばせていただく時間、として、有意義に使わせていただいています。
ご興味のある方は、こちらの本を読まれるといいかと思います。
1年ほど前から毎週参加していましたが、最近はちょっとお休みしていて、1ヶ月以上ぶりになりました。
が、やはり、1時間という短時間のシェアの場の中でも、自分の頭の中を整理する、気づき、共感、温もりのある、よい時間になりました。
最近、私は夫の会社に行きはじめたり、また、自分の活動を回していきたい、と思うなかで、何かモヤモヤするものがありました。
自分の活動をしっかり外に出していくことにまだ恐れがある、躊躇してしまう、気持ちがあればこそ、だとは感じています。
それに相まって、自分の仕事をしっかりし、輝く女性たちを傍らで見ていると、私は、何をしているんだろうか?と、ふと自分が何者だか分からない、と感じるときがありました。
夫の会社を出入りしている女性たちは、その分野のスペシャリストの方が多く、簡単にその職種にはつけない。
彼女たちの積み上げてきた年数、労力、経験値の高さ、努力を、私がリスペクトして見ていればこそ、対して私は、ここで、何をしているんだろうか?と思う瞬間がありました。
私は、そのような仕事の仕方をしてきていない、そういう積み上げるような仕事の仕方をしてこれていない。
それより、生きること、生きていくこと、そのものが大変で、無駄なことにエネルギーを使い果たしてきたな、と自分を残念に思う瞬間がありました。
が、そんなモヤモヤを朝、たまごに書いているとき、
自信を育みたい
と私は書いていました。
でも、自信はもっと自然発生的に出てくるもの。
ちょっと違うんだよな、と考えていたら、
自信=自身ですよね、と声かけをしてくださった方がいました。
そうだ、自信は、自身の輪郭がしっかり掴めるようになれば、自然発生してくるものだ。
自身を育みたい
に訂正しました。
これは私がセラピー中で行っている自我育て、と同じでした。
共依存の家族関係で育ってきた私は、いつも他者との境界線が曖昧で、私自身の輪郭がなぞれず、どこからが他人の感情、もので、どこからが自分の感情、ものか分かりませんでした。
だから、他者のものに巻き込まれたり、他者のご機嫌ばかり伺い、健全な人より、いつも人との関係性があやふやで、無駄に疲労し、無駄にエネルギーを使い果たし、私自身にエネルギーを集中して使う、がどのような状態かが分かりませんでした。
セラピーを受け、学び、やっと、これは私の問題ではない、侵入されたら、NOと言っていい、が分かるようになり、自分を何より大切にしていい、という体感覚が分かるようになりましたが、まだ、その年数は浅いです。
なので、長く健全に、ビジネスを回してきている女性たちを見ると、素敵だなあ、という気持ちとともに、どうしても、羨ましい、という気持ちもありました。
が、自分を大事に思えばこそ、あれだけ苦しい不健全な生き方を長くしてきた私が、今、健全に生きていく、健全に仕事をしていく、のスタートラインに立てたことも、奇跡のように素晴らしいこと。
私が自分の輪郭をしっかり掴んでいけばこそ、人との比較ではなく、今、私がこの地点な立っていられることは、素晴らしい私の成長なんだ、と思えます。
自分の輪郭をしっかり掴めば掴むほど、どこにいても、誰といても、私は私らしく、堂々とここにいていい、ができるようになるのだ、と思いました。
私だけでなく、誰もが、自分の輪郭をしっかり掴み、その人らしい、その人の輝きがどこにいても現れますように。
今の、自分の輪郭をしっかりなぞり、自分を誇り、抱きしめられますように。
心から、願っています。