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自分の、かすかに感じる?な気持ちに抗わない
最近、私の内面は何がしたいのか、分からない、という感じでした。
私の内面は、長い間、混乱と葛藤、が当たり前だったので、常に意識的でいないと、そのやり方に戻るのは、私にとって簡単なのだろう、と感じます。
毎日、夫から夫の会社の話しを聞くと、会社のことが私は一緒になって気になります。
夫も私が一緒になって考えること、を歓迎します。
私たち夫婦は、意識的でいないと簡単に共依存関係になりやすい。
そして、実際、夫の会社に行って、私がいろいろ目撃してしまうとさらに気になります。
家にいても、夫が仕事の電話をしたり、メールをチェックし、状況が分かると、私が口を挟みたくなります。
何か自分もしないと、夫を助けない、と、思います。
私は無意識に、小さな頃から私が当たり前にしてきたやり方、母を助ける、バラバラの家族を繋ぎとめなくちゃ、を今は、夫を助ける、夫の会社を繋ぎとめなくちゃ、にシフトしていたのかもしれない、と最近、感じました。
以前よりだいぶ境界線を引けてきた、という気持ちもありつつ、夫の気持ち、会社のことは、境界線をひけていなかったかも、と気づきます。
実際物理的に私がしていることは、夫から頼まれた雑務をたまにしているだけなのに、毎日夫から話しを聞いているので、少しでも会社に不穏な人間関係の匂い、を感じとると、なんとかしなくちゃ、という私のセンサーが、アラームを鳴らします。
人一倍、他人の不穏な気持ち、雰囲気を感じとりやすい、のかもしれません。
私に必要なのは、他人の不機嫌や、他人の不穏な気持ちに、もう警戒しなくても大丈夫だよ。
それは、かつてあったことで、もう終わっていることなんだよ。
と私の中の怯えている、小さな私にしっかり教えさとすことなのだろう、と感じています。
でも、どこかで、これは私が助けたり、関わらなくても、いいことなんじゃない?という?の気持ちもかすかにあるのです。
だけれど、いつも母の気持ち、母を助けることに夢中になってきた私は、その?な気持ちをきちんと汲み取ってあげずに、放置していました。
自分のかすかな?な気持ちを放置し、誰かの気持ちに夢中になるのが当たり前だったから、混乱と葛藤の多い人生だったのだな、と今、やっと分かるようになりました。
今、私がやることは、
かすかな?な気持ちに抗わない。
追い払わない。
?はどんな気持ち、と掬い取り、丁寧に向き合ってあげることなんだな、と感じています。
いきつ戻りつ、本当に成長しているのだろうか、と疑問に思うこともあります。
が、私だけでなく、誰もが、自分の成長を信頼して、他でもない自分こそが、自分を信じて、歩んでいけますように。