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裁くことなく、ただ愛を差し出していく。
昨日、大学院の男子学生と一緒に会社で働いた。
本来ならば現場に入ってもらうはずが、イベントがキャンセルになり、私と一緒に会社で雑用をすることになった。
トイレ掃除にはじまり、機材の掃除、メンテ、備品の掃除、整頓、ほぼ新品だけど、新品ではない電池を近隣の会社に事情を話した上でもらっていただくなどなど(私なりのSDGs)、あらゆる細々とした雑用を、熱心に一生懸命にやってくれた。
そして、帰るとき、
「4月から就職で新しい生活に緊張があったけれど、今日いろいろ話せて、いい話しが聞けて、なんか会社生活がすごく楽しめる気になってきました、ありがとうございました。」と言った。
私はふわっと、心の芯が光で満たされるような、温かな気持ちを、彼からもらった。
与えさせてもらうことで、与えられていた。
彼の4月からの就職先が、かつて私が新卒で入った業界だったので、その業界ならではの楽しみ方、利点、この歳になった今だからこそ気づくこと、観える視点から、昼休みに一緒におやつを食べながら、エールを送りつつ話したからだ。
こういう、会社での雑用の時間、昼休み、私はその人の本質が如実に出る、と思っている。
イベントではたくさんの人の目があり、緊張感を持ちやる気を見せる人、社長、何らかの役職のある人、クライアント、利害関係が多分にある人に見せる顔と、私と2人で会社で細々とした雑用のときの顔と、全く違う顔を見せる人が中にはいる、を今まで何度となく目にしてきた。
昨日の彼には、それが微塵もなかったことでも、私は癒されていた。
そのような全く違う顔を見せる人に出会うと、雑用を軽んじている、会社の機材や備品を大事にしようという気がない、と哀しくなったり、それは私自身も、結局は会社も軽んじられているようで、残念な気持ちになることがあった。
私は夫の会社では、繁忙期に顔を出す、役割も特にない、細々としたことをしているだけの、ただのおばさんだ。
が、そのポジションのおばさんだからこそ、その人となりがよく見える。
私は以前、会社内で掃除の女性(以下おばさんと書く)に、おはようございます、ありがとうございます、と挨拶するうち、親しくなる方がいた。
おばさんは長年経理畑で定年まで勤め、家が近いから、という理由だけで、何もしなかったら元気じゃなくなる、と清掃会社に入社し、私の職場で働いていた。
そのおばさんが言っていたのは、
「トイレって場所は、無防備な場所だからね、私が掃除している目の前で、平気で長い髪の毛を落として行く人もいれば、どうせ片付けるんでしょうとばかりに、ティッシュやいらないゴミをわざわざ置いていく人もいる。かと思えば、あんたみたいに毎度挨拶してくれたり、お礼を言って丁寧に使ってくれる人がいる。思わず名札をチェックしちゃうよ。態度の悪い人のなかには、肩書きいい人もいるよ。でもさ、私はトイレで見せる姿こそが、その人の本質だと思っているよ。あんたみたいに清掃員を尊重できる人は、出世しなくてもいい人に恵まれるよ。」
「本当は社員と必要以外は話してはいけないことになっているから内緒でね」と舌をペロっと見せながら。
そう、私の名前も、なんと態度の悪い上司の名前もよく覚えていた。
私が大人しそうに見えるヒラ社員だったから、希望を持たせるように言ってくれたのかもしれないが、私はずいぶんと掃除のおばさんへの挨拶と、たわいもない話しに救われ励まされていた。
今、私はかつての掃除のおばさんの気持ちが、手に取るように分かる。
社長である夫の前で、クライアントの前で、よい顔を見せてうまくやっているように見えていても、私と雑用を一緒にやるときに見せる姿、会社の備品や機材を軽んじて雑に扱う人は、最終的に、全然違う場所に見えるところで足元を掬われていたりする。
そのたび、私たちのすべての行動や内側にある思いは繋がっていて切り離すことはできず、隠していてもどこかで出てしまうんだと感じる。
自分がしたことはかえってくるのだ、とあらゆる外の事象を見ていて感じるとき、つまりそれは私自身も然りであり、自分の内側に何があるのかを知っておく必要性を、否が応にも感じる。
そして私がやることは、自分も他人も裁くことなく、ただやることはどこまでもゆるすこと、そして、自分の愛をただ差し出していくことなんだろう、と。
久しぶりに、掃除などの諸々を一生懸命にやってくれる、初々しい男子学生と一緒にいて、賢いというのは本来こういうことなんだと、そんな真実を改めて心に刻んだ。
おばさんになって思うのは、要領悪く受け身でパッとしないと思っていた若かりし頃の自分に、
あなたの、その何にでも一生懸命な姿は、
賢さであり、強さだよ、
と言ってあげたいし、すべてのそんな人たちにエールを送りたい。
お読みいただきありがとうございます。