心が癒されるうち、家の片付けが楽しくなっていた。
暑さも和らいできた頃から、私にしては(自分比)、ものすごい片付けが捗るようになりました。
3年前に今の家に住むようになってから、あれよあれよという間に要らないものが増えていて、ちゃんと片付けないと、という意識はあるものの、なかなか捗りませんでした。
夫は買い物が大好きで、日々何かを持ち帰って増えていく。
数年前に夫と再婚する前、私はミニマムな生活を実践していました。
そもそも稼ぎもよくない上、物より体験(学びへの投資の優先順位が高かった)に使いたい、自分がエネルギーを向けられる量以上は持ちたくない、もありました。
だから大きなものも持たず、暮らしはシンプルでした。
が、夫と再婚して1番困ったのが、夫は私と真逆で物を集めるのが大好きな人で、あっという間に家に物が増えていくことでした。
趣味のものもたくさんある上、家にはベッド、家具やソファ、電動マッサージ器など場所を取るものばかり。
何でも大きいものが好き。
それでも、物より空間(私はヨガができる、瞑想のスペースが何より高い優先順位)が欲しい私に合わせてくれ、夫は徐々に大物家具は手放してくれていました。
今考えると、夫の柔軟性に心から感謝です。
が、日常で雑誌や小物家電、趣味グッズ(鉄道模型)などがやはり増えていきます。
それを喜び楽しんでいる夫を見ているうち、
私は自分の人生を豊かに楽しむことより、
物を増やすことはよくない、
とただ禁じて生きてきたのだろうか??
と自分自身の生き方に疑問を感じ、私にしては一時期、物を増やしていた時期がありました。
が、やはり物が増えても
使わないものは使わない。
使うものは大体決まっている。
エネルギーを注いでいないものは、忘れていたりして余計に使わない。
この法則が分かってから、やはり整理をしていくと暮らしやすいと感じました。
情報量をたくさん受け取りやすい、
いろんなエネルギーを感じやすい、
量より質を大事にしたい、
そんな私にとって、やはりシンプルな暮らしは、自分の人生を豊かにすることなんだ、と心から納得できました。
それから片付けをしながら、白いブラウスやTシャツの黄ばみを過炭酸ソーダやセスキ炭酸ソーダに浸けて漂白すると、環境に優しいのによく落ちて白くなり、また新鮮な気持ちになります。
片付けがいよいよ楽しくなってきて、片付けながら白いものを漂白をし、アイロンをかけてさらにパリッとさせます。
昔はこんなに長時間家にいられないし、家事をしていられない私だったのに、とふと気づきました。
私が癒されているからでした。
かつての私のなかには常に不安がありました。
だから、「安心」を手に入れるため、外へ外へと「生きやすくなる」「幸せになる」方法を求めて手を伸ばしていました。
そこに向かって努力をしていればいつかは手に入るはず、と信じていました。
そして夫が出張で長くいないと、セミナーや学びにより積極的に参加したり、お友達と会ったり「不安」を感じないでいられるようなことを、無意識に選択していました。
が、今年の夏頃から外に何かを求める気持ちがなくなっていました。
『奇跡の道』など、奇跡のコースに関連する本を読むうち、すべては心の内側がどうかだけなんだ、ということがいよいよ私のなかに浸透してきました。
そんな日々を過ごすうち、夫がいない夜、不安なく、静かに瞑想をしていられる日が続くようになってから、私のなかに「安心」が育ってきていたんだ、とはっきりと感じました。
もうジタバタと外に何かを求めなくても、1人でじっくり家にいられる。
家を1番のくつろぐ場所として、自分の寝室を1番のリラックスする場所としていられる。
私が今まで1番手に入れたいことは、これだったんじゃないか?
と気づきました。
機能不全家族で、家庭で強い緊張を感じて育ってきた私は、家が安心、家庭が安心、という感覚がよく分かりませんでした。
だけれども「不安」が強いからこそ、原家族との癒着から離れられない、という葛藤を抱えていました。
かつては癒着していたからこその実家との関係が、今は、定期的に淡々と高齢の親を観に行く、という感覚になりました。
癒されるほどに、自分の原家族を俯瞰して観られるようになりました。
私が今癒されてきたのは、奇跡のコースの教えのおかげだ、と感じます。
聖霊が私とともにいつもいる。
神の平安があり、安全だと思える。
〇〇があるから安心、
〇〇ができたから安心、
は〇〇がなくなったときの恐れが大きい、条件付きの「安心」です。
が、聖霊が2人3脚で私の人生にいてくれる、という「安心」は何の条件もいりません。
この神から与えられる「安心」を1人でも多くの方が体験できるよう、心から祈っています。
あなたが癒されますように。
私が癒されますように。
みんなが癒されますように。
お読みいただきありがとうございます。