罪悪感や重荷を抱きしめないで、軽やかに生きていく。
夫の仕事に付随して、数日前からタイに来ています。
日本にいるより、英語の言語能力が今のところまだまだ低い私は、困ることがたくさんあります。緊張もしています。
にも関わらず、精神的に普段より何も背負っていない、という体感覚を、日常的に行っているセルフセラピーをすると、はっきりと感じます。
トラウマを抱えてきた私は、以前よりはずっと軽くなったものの、私は罪深い人間です、ごめんなさい、のような感覚が常にありました。
簡単にいうと、何をやるにも罪悪感、があるのです。
その重荷、のようなものを、こちらにきてから、感じない、を身体で感じています。
また、身体だけでなく、私の発言にも軽さ、があります。
例えば、夫の友人たちと一緒に会食をし、話しをていて、意見が違えば、えー、私はそうは思わない!と、はっきり口にしています。
それをもっと、ヤレヤレ!と、他の友人が、楽しそうに笑ってみてくれています。
普段、私はもっといい人の仮面、良き妻の行い、男性をたてる風習、のようなものを自然にしていて、それは私の意志、というより、周りからも期待されている、集合意識の影響を受けているような気もします。
でも、海外にいると、そのような期待や重荷を私が感じにくい、だから、自由に発言ができ、軽い状態でいられる、という感じです。
あれ?
私いまだに、母やその上の代から受け継いできた、上の人をたてる、男性をたてる、権威的な立場の人をたてる、をさっとやってるな、と、気づきます。
夫の会社の仕事を垣間見させてもらっていると、どの役割の人たちも、みんな対等、という感じを受け取ります。
会社の人同士も、みなチームメイト、という感じ。
それを感じると、私のかつての働き方は、なんて、権威的なものを勝手に畏れ、ビクビクした働き方だったのだろう、と、非常に残念に感じます。
明らかに、いい仕事は、畏れで、下からお伺いをたてるような働き方ではなく、自分の意見をはっきりいえ、自分の内側の情熱から動けるのが、よいパフォーマンスをうみ、よい結果に繋がる、と感じます。
が、畏れから動くは、私自身のもの、ではなく、両親、上の代から無意識に受け継いできたものが根深いです。
これは、ファミリーコンステレーションなどのセラピーで、明確になりました。
物理的に日本から離れていることで、肥大化した母性、から離れている、という影響もあるかもしれません。
また、私のなかの、女はこうあるべき、というインナーマザー、が日本を離れると、ふっと緩むのかもしれません。
いずれにせよ、今、いる場所から離れてみて、自分の体感覚を味わってみると、とても大切な気づきが訪れます。
今いる場所にいても、セラピーは、その場所から一度離れたかのように、役割に埋没していた自分を、俯瞰してみれるツールにもなります。
どこにいても、真の自分は、本当は何を考えているのか?何を本当は体現して生きていきたいのか?
自分のニーズが分かり、自分に、他人に表現できると、人生が充実してきますね。
実りある人生を、誰もが送れることを祈っています。