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男性性と女性性の観点から、自己理解を深める。
最近、自分がまだ気づいていなかった、観えていなかったことが、芋蔓式に観えてきていました。
男性性と女性性という観点で、自分の内側を観ていったとき、やり合って(闘い)いました。
それと同時に、以前に比べたらその度合いが減ってきていることにも気づきました。
【私の男性性が女性性に対してかけていた言葉】
そんなに弱くちゃやられちゃうよ!
もっと強くならなきゃ!
グズグズしていたら置いてかれるよ!
もっとどんどん動かなきゃ!
自己主張しないと振り回されるよ!
【私の女性性が男性性に対してかけていた言葉】
どうしていつもそんなに怒っているの?
なんか怖い。
もっとゆっくりしたら?
ありのままの私を受け入れてほしい。
闘わなくてもいいのに。
これは、実際のパートナーシップでもある会話だと思いますし、私が夫にかける言葉でもあったし、夫からかけられた言葉もあります。
こんな両者の会話が、私の内側では行われていました。
私の内側にはどちらの言い分もあり、統合されていないから、葛藤が多く生きづらさがありました。
特に、私の男性性が女性性にかけていた言葉、これが以前は、若いときほど本当に厳しかった。
強くならなきゃ、こんな弱くちゃダメでしょ!といつも自分を批判ばかりしていました。
このような自分責めが強い状態にあるとき、外側の人にも同じように投影をしてしまいます。
黙っていても何か漏れ出ているかもしれませんが、実際口に出して、そういう(女性性が強くて弱々しくみえる)方に良かれと思って勝手にアドバイスなどしたら、トラブルに発展しやすいです。
私自身、漏れ出ていただろうなという自覚もありますし、本当に親しい人にはアドバイスもしていたかもしれません。
逆になんだか嫌な気持ちになったり、不穏に感じた他者からのアドバイスは、これだったんだと感じます。
要は相手の問題である方が強い場合、どこか不穏や不自然さを人はキャッチしています。
夫と再婚したばかりの頃、夫が私にするアドバイスに、私は傷ついていました。
夫には簡単にできることでも私はできない。
それを私は自分で、私はダメなんだ、とジャッジしていたから傷ついていましたが、今の私なら
「OK!OK!
サンキュー!
サンキュー!」
と適当に言うか、
「アドバイスはいらんよ。」
とバッサリ言うか(笑)
それくらい軽く受け流せるようになってきました。
夫は私を思えばこそ、こーすればあなたはできるのに、と言ってくれているわけですが、そんな簡単にあーして、こーせない、と悶々とするわけです(笑)
男性性強めのとき、愛情であっても、それこそが正義であると信じていますから、「寄り添う」という発想がありません。
いやそれこそが寄り添いである、と思っているかもしれません。
ちなみに、私自身も無意識に夫に、「会社でももっと人の話しをじっくり聴いた方がいい。」と偉そうにアドバイスをよくしていました(笑)
まさに相手は鏡なわけです。
私は「共感してほしい。共感が何よりいい。」
と夫には言い、夫はずいぶん共感モードが上手になっていますが、当の私は、自分のことまだジャッジをしていました。
ですが、昔はそもそも「共感してほしい。」なんて自分のニーズを相手に差し出せることもできないほど、自分が何をしてほしいのか、自分が何を求めているのかも分からず、ひたすら自分を抑圧して周囲に合わせて、なんだか生きづらい、不満を抱えている、が私の姿でした。
そして、この男性性の強さは男尊女卑の家庭で育った女性に多いと知ったとき、ものすごく腑に落ちました。
私はすべてに負けず嫌いでもない割に、
「男性に負けられない!」
と言う気持ちがどこか根底にあったのは、実際に、権力、腕力、威圧的な家庭内の男性に支配され、理不尽だと感じてきた私の生育環境で培われた怒りからきていたのだ、と。
私は後に家族のなかで誰よりも論理的に父と闘い、
「おまえには敵わない。」
と父に言わせ、何か自分が失ってきたものを取り返したような、勝利を得たような幻想体験から、私の本質は女性性強めでありながら、私も父と同じように勝ち負けの世界に住んでいました。
その世界観を持って、男性と関わると無意識に、「負けられない!」が自動的に発動するわけです。
今、私はやっと勝ち負けの世界から足を抜き出して、闘わなくてもいいんだという世界に移行しています。
そうなってきたら、
夫は神さまなんじゃないか??(笑)
と感じるほど、夫を優しい愛情深い人だと感じています。
私の傷ついてきた男性性が無意識に、身近な男性に闘いを挑んでいたのでしょう。
優しい世界しかない
そう決めて今は世界を観ています。
私の体験が、どなたかの生きづらさのヒントなれば嬉しいです。
お読みいただきありがとうございます。