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彼女の死を通して気づいたこと


最近、私にとって、大きく心を揺さぶられることがありました。

身近な、知り合いの娘さんが自死されました。

夜遅くの親御さんからの電話で、夫のスマホから哀しい現場が、まるで実況中継のように語られるのを漏れ聞こえてしまったとき、私は、

だから、言ったじゃない!!

こうならないように、こういう最悪なことがいつか起きるんじゃないか、と危惧していたから私は、あんなに彼女と接触しようとしたのに!!

と激しく怒り、激しく泣きました。

彼女の命を誰も救えなかったことに対する哀しみ

彼女の周りの大人に対する憤り

親御さんに対しての憤り

無力な自分への憤り

いろいろな気持ちが一辺に押し寄せ、しばらく泣きながら興奮が止まりませんでした。

彼女は、話しを聞くだけで私の胸が潰れそうになるほど、小さな頃から大人たちから傷つけられていました。

が、これは、同じように傷ついてきた私だからわかることで、子どもは、基本的な感情をケアされてこなければ、感情を抑圧して生きることしか知らなければ、自分なんて、と自分をいかに大事に扱えないか、自分自身の存在も、命も扱えないか、が理解できていない大人もたくさんいるのかもしれません。

どれだけ、私が憤ったところで、事態は何も変わりません。

それでも、やらずにはいられないほど、無念でした。

今、彼女にはじめて書いたメールの内容をみたら、奇しくも昨年の今日、彼女に、この文章を送っていました。


彼女が、読んで、喜んでいると親御さんが言っていました。

私が彼女に送った文章は以下です。

そのあと、親御さんが、彼女が私と話したい、と言っている、と言ったときがあり、LINEの交換をしましょうか、と言いましたが、本人から連絡させるからいいです、と断わられました。

親御さんの、そこに触れられたくない、気持ちを私が汲み取らず、彼女を救うことだけを優先にして考えていたら、何かが違っていたのではないか、と悔やんでしまうほど、それきり、その話しはでなくなり、1年後に彼女は自死しました。

私はずっと彼女には、死が張りついていた、と感じます。

私がそうだったから。

自分の人生に絶望しか見えず、どこにも安心できる居場所がなく、自分に価値を感じることができないとき、死、はとても身近なものになります。

ではなぜ、私は死ななかったのか?

私は、なんだかんだ言って、守られてきていました。

心療内科の主治医に、

死ぬのだけは、しないって約束してね、と診察のときに指切りげんまんし、

カウンセラーに、定期的に話しを聞いてもらい、1番危ないとき、その主治医に、死にたくなったらいつでも電話していいから、と先生の直通の電話番号を教えてもらい、深夜まで、病院にいた先生に、夜中に電話して話しを聞いてもらい、ことなきを得たこともありました。

それは、まさに、彼女と似たような年齢でした。

本当は、親が話しを聞ける器があるのがベストですが、それを親ができなくても、親が出来うる限りのベストな、医療体制を私に与えてくれていました。


そのようなケアが、彼女には与えられていなかった。

この無念さは、私にいろんな気づきを今与えています。


傷ついた子どものケアに関しては、親以外でも介入が大事だ、と自分の体験や、セラピーの学びからも強く感じています。

親がケアできればベストですが、できない場合、専門家、または、専門家までいかずとも、ある程度、心の知識がある人が介入して欲しい。

とにかく、成熟した大人が、傷ついている子どもに関わって欲しい。

愛の反対は無関心、だけは避けたい。


私の祈りと願いを、彼女に直接会って届けることは出来なかったけれど、必ず目の見えない次元で彼女に届いている、そう願いながら、私は自分に与えられたミッションを、開拓していきたいと思わせられる出来事でした。

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