見出し画像

強くて偉いと思ってきた人たちが、傷ついた未熟な人たちだった、という事実を肚落ちさせること。


精神科医でYouTuberの益田裕介ドクターのYouTubeをよく見ています。

私が本当に摂食障害の症状が酷くて苦しんでいた30年前、こういうものを見ていたら、ずいぶんと気持ち的に楽に過ごせたのではないか?と、ドクターの精力的な発信に頭を下げながら見ています。

この時代ならではの恩恵が、今苦しんで過ごしているあらゆる人たちに届いて欲しい、と願う日々です。

「自分を攻撃してくる人は、偉く見えても歳上でも弱いんです。自分はそんな弱い人たちにいじめられていたんだ、とわかることはプライドが傷つくし嫌です。でも、実際強くて豊かな人は、人を攻撃しないんです。」

の言葉を聞いていて、本当に「生きづらさ」の鍵を握っているのは、ここだよな、としみじみ感じました。

なぜ、生きづらくなるのか?

本来保護してくれる、本当の意味で自分を守ってくれるはずの大人が、身体だけは大人だけれども、内面は弱くて未熟な子どもの場合、その優位性を利用して、自分の子どもを攻撃して蔑んだり、コントロールしたり、守ってくれているようでいて、実際には守ってくれていません。

ですから、そのような大人に囲まれて育つと、子どもは内面で混乱を起こし、怯え、葛藤の多い幼少期を過ごします。

正解は自分で見つけるものでなく、親の機嫌、不機嫌のなかにあると見えるため、いつも怯え不安だからこそ、いい子を演じます。

小さな頃は、家庭が全てですから、それがスタンダードだと、生きるとはこうして、周囲の自分より偉く強そうな人の顔色をみながら、うまく立ち回ることなんだ、と無意識に学んでいきます。

そうすると、大人になっても自分より優位に立とうとする人、攻撃してくる人に対して、自分が傷ついてきていればこそ、内面に不安や怯えがあるので、幼少期から身についたやり方で、相手の機嫌を取ろうと立ち回る、下手に出る、などを自動的にやってしまいます。


そして、何かしら問題が起きたり苦しくなったりします。

自分を攻撃してくる人がいても、健全に育ってきた人は、

「なんだあいつ?」と内心思っているからこそ、

相手にしない、スルーする、が自然にできます。

が、傷ついて生きていればいる人ほど、過去の再演で諂ったり迎合してしまいます。

冷静に考えていけば攻撃する彼らは弱い、が分かります。

でも、そこを理解するには、

私は、過去からとんでもなく未熟な親や兄弟に対して怯え、不安にさせられ、そんな人たちの言うことを必死で聞いていたんだ、という、ものすごく辛くて見たくない事実に直面します。

自分が必死に従ってきた親や兄弟は、立派で優秀な人たちだった、と思えたら、どれほど気持ちがよく、自分自身にOKが出せる気分になれるでしょう!

それは、自分にとってみたくない現実です。

自分が傷ついているほどに、その傷を埋めたくて親や兄弟などを求めます。
でも求めても永遠に与えられません。

あの人たちは私を傷つけていた、が現実なんだ、を受け入れていき、そこから離れていくことはエネルギーがいります。

そしてわかっていても何度も繰り返してしまいます。

だから、傷ついてきた人たちは、人を信じる、がトラウマゆえに難しい状態にあります。

それでも私が回復してきたな、と感じるのは、セラピーなどの学びもそうですが、何があっても私の味方だ、と思える夫や友人たちとの繋がりだ、と感じます。

そこにビジネス的な利益関係などが一切ないからこその安心感があります。

私は夫と一緒になり、また何でも話し合える友人と出会ってから、自分の中にぽっかり欠けていた部分、愛の穴を埋めていく作業をしているな、と感じています。

でも、本当に苦しいとき頑張って誰かと繋がることもないと感じます。

1番大事なことは、

今どうしたい?

と自分に優しく問いかけること、自分との愛ある対話であり、そこがすべてのはじまりであり、尽きることのない終わりなんだ、と感じています。

どなたかの生きるヒントになれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?