「囚われ」から解放され、自分らしくクリエイティブに生きていく。
昨日、ブレスワーク、という、呼吸を意識的に使って、自分自身の在り方、身体・精神・感情の状態を変えるもの、に対面で参加してきました。
緊張した、過去からのトラウマが蓄積された身体、そこからの解放を目的に、今年に入ってから月1回ほどのペースで通っていました。
が、昨日は、ワークに入る前のファシリテーターの話しから、
私たちは社会に洗脳されている
という言葉に、
ほんまや!
と自分自身が身を持って感じたことがありました。
参加者から、
「稼げない」というキーワードが出たとき、私は食いつきました。
ファシリは、
「稼がないといけないの?」
「本当に稼ぎたい?」
「何で稼ぎたいの?」
と言いました。
ゔっ、となりました。
「夫からの精神的、経済的な自立のため」と答えると、
「なぜ自立しないといけないの?」
「今、困ってないんでしょ?」
「それくらい私たちはそれが一般的、常識的。だから私もそうしないといけない、と洗脳されているのよ。」と言いました。
ハッとしました。
4年ほど前まで私は独身でしたので、生活するために稼がなあかんと、ある意味明確な目的があったため、好きなことで、とか、自分の使命で、には当てはまらずとも、つべこべ言ってらんない、言う感じで働き続けてきました。
が、再婚したのをいいことに、使命で、好きなことで、を考える時間と経済が、余裕が手に入ったら逆に、稼ぎたい、と思う明確な目標や目的が立てられなくなっていました。
夫のお金を直接自分の学びに使わなくとも、細々としたバイト代や今までの自分の貯金、なんやかんやでやりくりできてしまうと、独身のときのように明確に最低〇〇円は貯金しないと不安とか、あの学びには行きたいから、毎日お弁当にするし、外食は減らしてお金を貯める、などの、お金のための明確な行動指針がなくなっていました。
その頃は生活は切り詰めて苦しかったのですが、明確な指針があったため、ある意味ぶれずにいられましたし、ある種の潔さがありました。
が、今は、束縛するものがない、ある意味、自由、自由過ぎる。
稼いでもいいし、稼がなくてもいい。
どちらでもいい。
夫もどちらでもいい、好きにすれば、となると、
誰かに強制されることもない。
この選択肢が無限にある、
これこそに私は困っていたし、結構最近苦しんでいた、に気づきました。
かつての低収入独身時代の私が今の私を観たら、自由で余裕があって、羨ましい限りよね〜、あなた、呑気よね、と言うでしょう。
が、私はこの呑気に、社会の流れに乗らない場所で一歩離れた場所で生活してみたい、俯瞰して世界を観てみたい、をずっとしてみたかったのではないか?
とも最近感じていました。
そのうちそれにも飽きる、も分かっています。
が、今、この瞬間、自分が何を求めているか、を短期的に観た場合、そのように感じるのです。
が、それを大っぴらに言うのは正解ではないから憚れる、常識的ではない。
だから、「稼げない」を隠れ蓑にしていたのでなはいか、とも最近薄々自分で感じていました。
「囚われ」「常識」「正解」から解放されたとき、はじめて私たちは本当に自分が求めているものを発見し、それから本当の意味で、その方がクリエイティブに、その方らしい人生が始まるのではないか、と感じます。
あなたは、今、何に囚われていますか?
自問は大切ですね。
あなたもぜひ、あたり前に感じていることほど、本当に?を問いかけてみてください。
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