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ジャッジを手放し自分が消えると、ただ楽しみ喜べる。

昨夜、夫の好きな歌手のライブに夫とともに行ってきました。

それはそれは素敵なライブで、私は心からライブに集中し、ただただ私の魂が喜んでいて、最後の方のしっとりとした曲で勝手に涙が溢れていました。


今私が生かされていること、
この場にいられることに感謝をし、
涙が出ていました。


私が夫と再婚した4年前、初めてライブに行ったとき、周囲の人たちが私よりずっとキラキラし、いわゆる社会的に成功している(当時は私の自尊心が低いゆえによりそう思えた)たちのなかにいる自分が小さく小さく思えていました。


その歌手は夫の知り合いでもあり、夫の知り合いや繋がりがある会社関係の人たちもいるので、緊張しながら私はその場にいました。


当時の私は完全な専業主婦でした。
まあ今も大して変わりはないというか、主婦メインではありますが(笑)


独身のときの仕事を辞めて再婚した私は、夫と一緒になって、引っ越しや環境の変化が大きいなかでの、人との繋がりや行動量の多い夫とともに日々いるだけで、充分疲れているような状態でした。

それまで小さな小さな世界で生きてきた私は、自分で会社経営をしているような女性や男性、バリバリ仕事をし、プライベートでも趣味や行動量の多い夫の知り合いの方たちのなかにると、私だけ場違いなのではないか、と自意識過剰でライブだけに集中できませんでした。


夫の知り合いに、
はじめまして、
お世話になっています、 
と挨拶するたびに緊張していました。


それが今年はライブ会場のど真ん中、最前列にいても、どんな方たちが今日はいらしているのだろう、と隅々まで興味を持ってぐるりと周囲を見渡していました。


あー、2階まであったんだあ。
あー、あの女性のワンピース、とっても素敵な水色だなあ。
あー、あんなふうに歳を経ても姿勢の美しい女性でいたいなあ、などなど。


そう、私は自分がどう見られるか?

なんて気にしなくなっていたのでした。

それより、

どんな方たちが来てるのかな?
あれは〇〇さんかな?
あっあの方は〇〇の社長さんだ!

なんてかなりミーハー気分で楽しみながら(笑)

私の自意識過剰はいつのまにか終わっていた、と後から気づきました。


今でも私はまだまだやれていない、成し遂げてない、と思っていることはたくさんあるし、成長したいとは思っているけれど、今の私では足りない、という気持ちは薄れています。


この私以上でも以下でもないというのか。
私以外にはなれないと諦めたのか。
私を受け入れられてきたのか。
私の良いところを認められてきたのか。


要はバリバリ働けていない私はダメとか、
キラキラしていない私はダメとか、
経済的に自立していない私はダメとか、


自分ジャッジがかなり減り、主婦メインの私、少しのセラピスト、少しのアルバイト生活、少しの収入をあまりダメと思わなくなっていました。

それは『奇跡のコース』を学び、

あの人も私のかけら、
この人も私のかけら、

とあらゆる人のなかに自分のかけらを見て、私たちはみんな一緒でそもそもひとつという、全体性で世の中を観れるようになってきたのも関係しているかもしれません。


いつからか私は
これはいいけど、あれはダメ、
あれはいいけど、これはダメ、



と善悪の世界、分離を強化して世界を捉えていました。

ですが、あなたは私の世界、統合の世界で観ていくようになると、どちらがいいも悪いもないので、生きやすくなります。


自分がどう見られるか?
という自意識過剰の世界から全体性の世界になると、シンプルに今この場所、今目の前にいる人に集中し、興味を持って接しられます。


何より他人がみんな愛しく感じられます。


おかげで終わってから楽屋に行ったとき、目の前に大好きなドラマーの人がいたとき、躊躇もなく、嬉々として一緒に写真を撮らせてもらいました。

そして、夫の大好きな歌手にも、
「すごくいい気をもらって、元気をもらいました、泣きました!」と感じたまま、子どものように一緒に写真を撮らせてもらいました。

「髪型変わって素敵じゃない?」と声をかけてくれた言葉も素直に受け取りました。

その方は以前も褒めてくださいましたが、これだけファンがつくんだから、褒め上手な方よねと、素直に受け取ってはいませんでした。

なぜなら以前の私は、夫と楽屋に行くとき、名声のある人、有名人に群がるミーハーな人みたいで一緒に行くの嫌だなとどこかぎこちなく、大して会話もせずにいたので、そもそも受け取る、ということができない私の内面があったのだと思います。


考えてみたら、楽屋にお邪魔させてもらったり、一緒に食事をしていても、私が自ら写真を撮ってもらおうとしたことは今まで一度もなかった、と気づきました。

「あなたすごくいい顔しているね。
こんないい表情のあなたはなかなか見れない。」

と写真を撮ってくれた夫から言われたとき、
今までの私は、自意識過剰や罪悪感など、余分なものが内側にあったので、子どものように楽しむ喜ぶ笑顔は見せれなかったのかもしれない、と感じました。


これから私はさらに歳を重ねていきますが、重ねるほどにジャッジを手放し自由にただ楽しみ喜ぶ、というむしろ子どもにかえれるようになるのかもしれないと感じます。


読んでくださっている方の中にも、ただ無邪気に楽しみ喜ぶ、ということがあまりうまくできないという方もいるかもしれません。


そんな方はどうぞ、

私が癒されますように、
みんなが癒されますように、

と祈ってくださいね。
私も心から祈っています。

お読みいただきありがとうございます。







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