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自己紹介〜癒されなかった私がたどり着いたところ〜

2025年、年明け新たに自己紹介を書かせていただきます。

light of loveという今の屋号を作り、セラピストの活動をしていこうとホームページを作成してスタートさせたのが、2023年6月(今はホームページはありません)でした。

そして、そのずっと前から(今思えば小学生の日記帳あたりから)私は書くことで自分の感情が浄化されるというか、昇華(消化でもあった)されるような感覚を持ち、言葉で話せない分(当時はものすごい大人しい子どもでした)気持ちの埋め合わせていた気がします。

私がはじめて表に対して書く表現をはじめたのはアメーバブログで2012年。
当時は新しくカウンセリングを受けていたので、そのことを書いていました。

が、2ヶ月でやめていて、再スタートが6年後の2018年。
今読み返してみたら、当時休職したのを機にまた書きはじめていました。

内観療法、カラーセラピー、パステルアート、断食、リトリート、HSPのお茶会継続参加、レイキ、大野裕先生の講演会、自分のはじめてのお茶会開催などなど、もうすっかり忘れていて忘却の彼方だったのですが(笑)、ものすごく久しぶりに読み返してみたら、あれ、結構私積極的にいろいろやっていたのだなあ、と他人の記事を読んでいるようでした。

それは、私のセルフイメージが低く、何かをしていたりやれていても、心ここにあらず(こんな私はダメだから何とかしなきゃ病)に取り憑かれていて(笑)、当時の自分を認めてあげれていなかったからだと思います。

今読み返すと、

本当によくやってるね、
あなたは充分なんだよ、
もっと自分を褒めて認めてあげてね、

と過去の自分に言ってあげたいです。

結局のところ、私は何を学んでいても、できていないところにばかり意識をフォーカスさせていました。

心の理解が進み、頭でっかちではダメなんだと気づくと、感じることができないことを裁き、身体にコミットすると、身体が思うようについてこないことを裁く。

「正解」に見えるものを見つけるほどに、そこに到達していない自分を裁き、「正解」を獲得しようと頑張っていると、なんだかやっぱり根本的な自分の生き方は変わっていないのではないか??という疑問が湧いてきていました。

そこで、以前からずっと気になっていた「奇跡のコース」に昨年コミットするようになってから、

奇跡のコース」(ACIM)とは             
これは、奇跡についてのコースです。
これは、必須のコースです。
あなたに任されているのは、コースを受ける時をいつにするかということだけです。 

「奇跡のコース」はこのように始まります。
ニューヨーク、コロンビア大学臨床心理学教授ヘレン・シャックマンがこの内なる声を聞き、書き取りを始めたのは1965年10月21日のことでした。
書き取りはじつに7年もの間続けられ、「テキスト」「ワークブック」「教師の手引き」の三部からなる大著となって、1976年に初版が出版されました。
さらに「心理(精神)療法」「祈りの歌」の二部からなる付録が書き取られ、2010年の英語版の新版「奇跡のコース」はその付録を追加した四部で構成されています。
「奇跡のコース」は真の自己を生きるための完全なコースです。
テキストを読んで“奇跡の”思考体系を理解すると同時に、365のレッスンからなっているワークブックを通して、具体的にその思考を当てはめていく心の訓練が不可欠です。

Center for Remembering & SharingHP

あっ、私は何もしなくてもゆるされていたのだ、と安堵の涙が出ました。


すべての人の存在そのものが完璧であること、
自分も他人も裁きたくなるのはエゴの誘惑に過ぎないこと、

生きる選択はたったの2つ。

エゴで生きるか?
愛で生きるか?

生き方はこの2択しかない。

しかも自分でやろうとしなくていい。

聖霊(ホーリースピリット)に導いてもらう。

なぜならこの世界はエゴで生きるのが通常モードになってしまっているから、自分の力だけで常に愛を選択するのは難しい。


「今私がするべきことは何ですか?」
とまず聖霊に祈ります。

モヤっとしたとき、
「私を癒してください。
みんなを癒してください。」
と祈ります。

私が無意識にエゴから動くとき、一瞬気分が良くなってもそれは永続せず次期に落胆しますが、聖霊に委ねて動いたとき、永続的にこれで本当によかったという気持ちが続きます。

エゴからの選択は一過性の喜びしか感じられず、その一過性の喜びは錯覚であり、本質的な喜びではなかったことに気づかされます。

エゴから動いて何かがうまくいっても結局は虚しく、愛から動いたとき、何も起こっていないようにみえても、心はやすらぎ、穏やかな気持ちを感じ取れます。

たくさんの刺激に慣れきっている現代の私たちが、その感覚を感じとるのははじめは難しいかもしれませんが、真のやすらぎを感じたいと祈り願ううち、誰もがその感覚、魂が喜ぶ方を選択できると感じます。


私自身もまだまだこれからそこを磨いていきます。

私のスピリチュアルに生きる道ははじまったばかりですが、癒されないと感じていた私が辿り着いたところは、自分の内側に何をしてもしなくても、やすらぎを感じられるということでした。


・生きることが苦しい
・苦しいわけじゃないけれど、今の生き方に何か違和感がある
・いわゆる良し、と言われてきたことはみんなやってみたけれど人生が良くならない
・この世界における別の生き方があるなら知りたい

そんな方のセッションも受け付けています。

おひとりおひとり誰もが癒され、内なる光が輝きますように。


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