叔祖父
祖父の弟が新聞記者だったと、母は祖母から聞いていましたが、顔を知らなかったので写真があったにもかかわらず私達は全く気付いていませんでした。しかし、最近になってふと一枚の写真が気になり、そっと剥がしてみたところ裏に文字が書かれていました。
大正十二年三月二十七日撮影 於桑港日米新聞社内
「えっ!サンフランシスコの日米新聞社?!」
驚きました。まず、サンフランシスコに居たことも、日米新聞社というきちんとした会社の名前にも(笑)
早速、この前お世話になったサイト、邦字新聞・デジタルコレクションで検索をかけた所、出ました。1925.1.1の日米新聞内にお正月のご挨拶用にか、謹賀新正 桑港日米新聞社 本社員(ABC順)の見出し後に名前が連なっていて、その中に確かに名前が確認できました。こうして、また一つわかった事が増えました。
また、この会社の社長 安孫子久太郎と言う起業家の大変な活躍ぶりや、津田梅子の妹と結婚したことなども知りました。
2023.2.18追記
1920年の国勢調査で、叔祖父はGeorge L Stradie さんのお宅でservantとして働いていることがわかりました。
(事実、祖父の従兄弟からの手紙に、医師の書生として働いていたと書かれていました)
そこでStradieさんをGoogleで検索してみましたが一向に何も出できません。もしや、機械的に判断されているStradieという姓が間違いかもと思い、かなり見にくいオリジナルの国勢調査の手書きの綴りをじっと目を凝らして見て、自分で似たように手書きしてみると、むしろStradirに見えました。そして、そこからやっとStraderという姓に辿り着くことができ、子供の名前も全て一致したのでStradieでなくStraderが正しいと判明しました。
George L. Strader, MD.が正式名でありThe Cheyenne Eye Clinic & Surgical Centerの中で、彼が1903年にシャイアンに初めてやってきた眼科医で、彼の血統や友愛が次の医師から医師へとつなげられ、現在も彼の医療がCheyenne Eye Clinicで行われているとのことが書かれていました。また本文中のthis historyのリンク先PDFファイルに詳細があり、約100年前に叔祖父がお世話になったStraderドクターの写真も見る事が出来て感慨深かったです。
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