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五井先生の文

この世は神の光と業想念との混淆した世界であります。そして現今までは業想念(迷い)の方の波が強く現われているように見え、人間世界は、いくら信仰生活に入っても救われないものであるようにさえ感じさせているのです。

こうした現象の表面に現われている事柄だけをみていては、人類は遂には減亡してしまいます。そこに宗教者の存在の必要があるのであります。

暗い部屋に入っていって、ただ暗い暗いといっていたり、暗いのだから仕方がないなどといっていたりすれば、いつまでたっても明るくなりようがありません。闇を消すには明りが必要です。その部屋に灯をつければ暗さは消滅するのです。この人生はその理と全く同様なのであります。暗い想念をそのままでいてはいけない。暗い想念の中に光を差しこまさなければその人は滅びてしまいます。そしてその光をさしこむ者は宗教者であり、その光は神の慈愛なのであります。

暗い想念の中に閉じこもっていると、自分一人ではどうしても、その心の闇を開くことができにくいのです。それは社会も国家も人類全体としてもそうでありまして、どうしても肉体的生存を超えた力の働きかけを必要とするのであります。

それが私のいう守護神であり守護霊なのであって、そうした守護の神霊は、肉体的には宗教者を通して、各人や社会、国家、人類に働きかけるのであります。

大神様は大生命であり、人間各自の中に各小生命として生きておられるのですが、救済の働きとしては守護神となって働いておられるのであります。

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