ありがたかった話

ここでひとつありがたかった話をしよう。

学生時代の夏休み、有り余る時間を活かして自転車で旅をすることにした。途中(目的地もないのに途中というのも変な話ではあるが)の山道で疲労がピークに達し、道路の脇で小休止していると、老夫婦が話しかけてきた。

「お兄さん、どうかしたのかい?」
「自転車をこぎ疲れて休んでるだけですよ」
「ボーっとしてるから道にでも迷って途方に暮れてるのかと」
迷ってるのは人生の道だとはすんでのところで言わなかった。そもそも迷うはずがない。目的地がないのだから。
「いえ、本当に休んでるだけですよ。ただ、飲み水が切れたから水場を探したいところではあるんですが」
老夫婦は顔を見合わせる。
「なら、スイカはいらないかい?」
「い、頂けるなら嬉しいですけど……いいんですか?」
「貰い物なんだけど、二人じゃ食べきれないからね。腐らせてしまうよりはいいさ」
俺が遠慮しなくていいように勧めてくれる。流石は年の功(失礼)。元よりスイカは大好きなのだ。断る理由などない。何度もお礼を言いながら、着ているTシャツが汁まみれになるのも構わずむしゃぶりついた。
「こんなに喜んでくれるなら声をかけてよかった。自転車の旅は大変だろうけど頑張って」
二人は見知らぬ俺にエールも送って去っていった。

空腹と乾きだけでなく一人旅の孤独感まで満たされると、充足感からか少し眠気を覚えたので、少し仮眠を取ってから進もうと考え、眠りに就いた。

……が、その眠りは僅か数十分で終わりを迎えた。
体中を異常な痒みに襲われ、寝ていられなくなったのだ。目を覚ますと、体中を無数のアリが這い回っていた。どうやらスイカの汁に含まれる糖分で集まってしまったらしい。
それ以降、大好きだったスイカを食べようと思うと、これを思い出して体が痒くなってしまうのだった……


という、ありがたかった話。アリが集った話。

この記事が参加している募集