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はじめに・・・(不登校歴を含む自己紹介)

まず、言います! 私はいまそれなりに元気です!

既にいくつか記事を投稿しましたが、
自分で記事を読み返すと、本当に暗い、暗すぎる。

自分の心の中にある闇をそのままnoteに掃き出したため、
とんでもなくマイナス思考なヤバい人になってます。
(ある意味、否定しませんが・・・)

いま不登校の真っ只中にいる子どもたちや親御さんが
こんな記事を読むと、余計に暗い気分になってしまうかもしれません。

ですので、あえて言います。

いま、私はそれなりに元気です!
※あくまでそれなりですが・・・

私の登校拒否(不登校)歴

平成になってすぐの頃、小学5年生の3学期から
私は少しずつ学校へ行けなくなりました。

そして、6年生になる頃は全く行けなくなりました。
再び、学校へ通い始めたのは6年生の3学期の始業式の日。

今でも、学校へ再び通い始めた1月8日は、
人生で一番勇気を振り絞った日だと思っています。

結局のところ、丸々1年間学校へ行けませんでした。

だけど、今では普通に大人になりました。
中学、高校、大学へと進学し、超氷河期に就職し、
結婚をして、自分の家を持って、娘も生まれました。

学校へ行けなかった当時、真っ暗闇のトンネルの中で
ひたすらもがき続けていました。

外は晴天、鳥の鳴き声、子供たちの笑い声、
外界の世界から聞こえてくる楽しい風景とは対象に、
暗い和室の中で一人孤独に耐えていました。

不登校になった人の多くが感じるように、
「もう自分の人生は終わった」「未来なんてない」と
幾度も繰り返し思いました。

今でいうところの「ひきこもり」だったと思います。

そして、自らの人生の終わらせ方も分かっていなかった当時、
裁縫用の裁ちばさみの銀色の冷たい刃をお腹に当て、
幾度も「いっそのこと一思いに・・・」と思いつめたこともありました。

少なくとも、三十年後、つまり令和元年の自分が
普通に外を歩いているなんて、露とも思いませんでした。

ここまで読むと、自慢話に聞こえるかもしれません。

特に、現在学校へ行けない子どもたちやその親御さんから見ると、
見事に不登校を克服した復活のサクセスストーリー自慢に
見えるかもしれません。

もしくは、ごくごく一部の運のよい事例と思われるかもしれません。

でも、実は不登校はそんなに生易しいものではありませんでした。

三十年間続いていた不登校のトラウマと後遺症

きっかけは今から3年ほど前、
平成が終わろうとしている頃のお話です。

社会人となった私は、仕事の過負荷や上司のパワハラから
睡眠障害(適応障害)になりました。

その治療のため、メンタルクリニックに行った私は、
問診時にあることに気づいたのです。

「小学校の頃、学校へいけない時期がありました・・・」

たったこれだけのことが口に出せなかったのです。

もう四十を過ぎ、不登校は三十年前の話にも関わらず、
こんな簡単なことが口に出せず、無理やり口に出そうとしたら、
目には涙さえ浮き出してきたのです。

これはメンタルクリニックでのインテーク(事前面接)での話です。
インテークでは、たいがい幼少期からの生い立ちなどを
臨床心理士さんから質問されます。その中での1シーンでした。

そういったこともきっかけに、あるタイミングで転院した際、
ひょんなことから心理カウンセリングを受けることになりました。

その心理カウンセリングが、
人生の大きなターニングポイントになりました。

このカウンセリングの中の成り行きで、
かつての不登校の棚卸をすることになったのです。

いわば、不登校(登校拒否)トラウマの治療だったと言えます。

かつての不登校時代のことを振り返り、それに向き合い、
約1年間、今の自分と過去の自分を何度も何度も対峙させました。

そこでは、様々なことに気づかされました。

例えば・・・
・自分は不登校だったことを封印して生きてきたこと
・不登校だった過去を昇華しきれていないこと
・不登校のトラウマで醜形恐怖などの後遺症があること
・今までずっと無いと信じていた不登校の原因があったこと

心理カウンセリングを受けるまでの自分は、
不登校だったこと自体を、パンドラの箱に封印して生きてきました。
まるで、その事実が無かったかのように・・・

しかし、封印した黒い感情は、
自らに様々な「生きにくさ」をもたらせていました。
例えば、醜形恐怖、インターフォン恐怖、電話恐怖・・・。

さらに、不登校に対する罪悪感は、とても大きなものとなり、
自己肯定感はあったものではありませんでした。

しかし、今から考えると不思議なことですが、
そういった「生きにくさ」は、自分の中にある当たり前のものと認識し、
不登校だった過去と関係があるとは思っていませんでした。

だけど、心理カウンセリングを受けて、
そういった「生きにくさ」の原因が過去の不登校と分かり、
それを一つ一つ丁寧に整理した結果、
「生きにくさ」はかなり解消していきました。

その「生きにくさ」の解消には、
学校へ行けなくなった平成元年から約30年間、
つまり、平成まるまるの期間がかかってしまったのです。

メンタルクリニックで医師による薬物療法も受けましたが、
本当の意味での治療はむしろ心理カウンセリングだったと、
今も痛感しています。

いま、自分の頭の中を整理するためにも、
その心理カウンセリングの経緯などをきれいに時系列にまとめ、
jimdo(ホームページ作成サイト)で清書しています、

一方、jimdoできれいな文書を書いている時に、
時折あふれる感情を殴り書きしたくなることがあります。

その時には、一気に書けるこのnoteを使うといったように、
jimdoとnoteを使い分けていきたいなと思っています。

まとめ

jimdoやnoteに私が書き綴ったことは、
いま学校へ行けない子供たちの参考になったらいいなと思っています。

しかし、それ以上に、私と同じように、
過去の不登校のトラウマや後遺症で悩む元登校拒否児(元不登校児)
思いを共有し、時には何かの助けになればいいなと思っています。

※jimdoサイトは鋭意作成中です
 準備ができたら、ここで紹介します

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