見出し画像

30年間続いた不登校の後遺症② (自宅電話恐怖症)

前回のおさらい

前回の『30年間続いた不登校の後遺症① (インターフォン恐怖症)』に引き続き、二つ目の後遺症について書いてみたい。

「あなたの家の固定電話のベルが鳴ったら、恐いですか?」

最近は携帯電話(スマホ)が普及し、自宅に固定電話がない家も多い。しかし、今から三十年前といえば、肩掛けのショルダー式の携帯電話があるぐらいで、一般には全く普及してなかった。

だから、基本的に全家庭に固定電話があり、友達と遊ぶ時にも固定電話にかけるのが当たり前の時代だった。

もし、あなたがこんな質問をされたら、どう答えるだろうか?

 「あなたの家の固定電話のベルが鳴ったら、恐いですか?」

私は、ほんの数年前ならば、こう答えていた。

 「恐い・・・」
 「受話器を取りたくない・・・」
 「なんだか、心臓が鼓動を打つ・・・」

ストーカー被害に遭っているならともかく、そういうことはないのに、いい大人が電話のベルが恐いなんて、普通の話ではない。

しかし、よっぽどのことがない限り、電話のベルが鳴っても無視した。もしくは、家族がいる時ならば、インターフォンの時と同じように、「メンドクサイ」と言って、代わりに取ってもらった。

自分自身で認識できてなかった「固定電話恐怖症」

三十年間ずっと「電話のベルが恐い」という意識が自分自身であったかというと、そういうわけでもない。

うまく表現しにくいが、「何となくイヤな感じがしていた」というのが、最も適切な表現かもしれない。

それが「家の固定電話のベルが怖い」という認識に変わったのは、約三年前に受けた心理カウンセリングがきっかけだった。

仕事の過負荷や上司のパワハラで適応障害になった。それをきっかけに、メンタルクリニックに通い、話の流れで心理カウンセリングを受けることになった。

そのカウンセリングの過程で、かつての自分を振り返る作業をした。その結果、自分自身の中に「家の固定電話のベルが怖い」という意識があったことが分かったのだ。

おかしい話だが、自分自身のことなのに、それを認識できていなかった。結果として、この三十年間のずっと違和感を持って生きてきたのだ。それを一言で言ってしまえば、「生きづらさ」になるのだろう。

最近になって思うが、「生きづらさ」というのは、単純に目に見えるものではない。さらに、それは複雑に絡まりあい、人の心の奥底に住み着いている。だから、それを認識したり、一言で説明するのは難しく、自分自身で認識できないことすらあるのだと思う。

固定電話恐怖症になった理由

話が脱線したので戻すと・・・

 「なぜ、家の固定電話のベルが怖くなったのだろうか・・・?」

その答えも心理カウンセリングの過程で明らかになった。

今から約三十年前、私は学校へ行けなくなった。当時、いわゆる「ひきこもり」の状態だった。

平日の昼間に、小学生は家にいるはずがない。

そういった固定概念(一方で事実でもある)によって、平日昼間にかかってくる電話には一切出なかった。

極論をいえば、家にいるはずがない小学生がいることはおかしい

学校へ行っていないことは悪いことだ。悪いことしているから、責められる。その考え方が、電話を取らないという行動に結びつかせた。。

しかし、昼間だけでなかった。夜間や休日も同じだ。

学校の先生からかかってくる電話も恐かった。当時、学校に関わるものはすべてイヤだった。目にしたくなかった。学校へ行けない自分を責め立てるものでしかなかったから・・・。

そして、学校の先生だけでない。もしかしたら、友達からかかってくるかもしれない。その友達はきっとこう聞くだろう。

「なぜ、学校へ来ないの?」

もしくは、親戚からかかってきた電話を取ったら、こう聞かれるだろう。

 「なぜ、学校へ行かないの?」

別のnote記事でも書いたが、当時は自分が学校へ行けない理由が分からなかった。だから、それを聞かれても、単に自分が責められているとしか思えなかった。だって、学校へ行かないことは悪いことだから・・・。

その結果、学校へ行けるようになってから三十年経っても、私は電話のベルが怖かったのだ。正しくは「受話器を取ることができなかった」という表現の方がふさわしいだろうか・・・。

携帯電話や会社の固定電話は大丈夫だった・・・

不幸中の幸いだったのが、「この電話のベルが怖い」という症状が自宅の固定電話限定だった。

電話のベルが怖いのだが、携帯電話や会社の固定電話は大丈夫だった。これは、三十年前の当時、携帯電話がなかったからだと思う。

つまり、私の体には、固定電話のベルだけが恐怖として刷り込まれたのだろう。

もし、会社の固定電話でも同じ症状で出ていれば、普通に社会人を送ることはできなかったと思う。

今も少しは残る症状

ちなみに、三十年後に受けた心理カウンセリングで、過去の整理を行ったおかげで、この記事を書いている現在では、その症状はほぼ解消しつつある。

だけど、100%改善したわけではない。やっぱり、まだ不登校の後遺症は残っている。

だから・・・

私は「不登校で良かった」なんて、口が裂けても言わない・・・

※「30年間続いた不登校の後遺症③(醜形恐怖症)」へ続く