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人生がその人を創り、歴史がアナタを産み出した。

プロローグ(無駄に真面目。ここだけw)

今のところ人類は、誰か両親がいる。
バイオテクノロジーは発展しているものの"源"となる種も卵も人間由来で、そこまで化学は生成できていない。

という事は。自分の両親にも親がいてその親にも親がいてその親も…っと、代々続く血脈の中で、今、これを読んでいるアナタは存在出来ている。

ずーっとずーっと遠いご先祖の誰かひとりでも欠けたなら、アナタもボクも、この世界には生まれていないわけだ。

過去から今まで。生まれた人類の総数は約1080億人と言われており、誰かひとりでも欠けていれば、世界は違っていたのかもしれない。いあ、違っていた。

例えば、アドルフ・ヒトラーが何らかの理由で戦争を仕掛ける前に亡くなったりしたら?

或いは、キング牧師が凶弾に倒れていなければ?

ifは意味がないのは分かっているが、出来事を俯瞰的にとらえ、様々な可能性を探るという思考は、自分の生きる道をどう設定すればいいかの示唆になる。

歴史を学べーとは年号を覚えたり、単語の意味を正確に把握する事にあるのではない。歴史をくみ上げたその瞬間に想いを馳せ、「何故、こうなったのか」を本質的に自分の中に落とし込むことで、教訓とすることになる。

同じ過ちを繰り返さないのは、歴史を学んだものの特権なのだ。

っと、何やら偉そうに前書き書きましたが、先日、伊勢神宮、高野山の奥の院、奈良にて法隆寺、五重塔、奈良の大仏を巡ってきまして、「歴史の冒険」をしてきまして、本当に楽しくて、「自分の目で見る」という大切さを改めて感じた次第で、ちょいと冒険譚にお付き合いいただきたいです!

第一章 レッツGO伊勢!


2024年2月。急にどこかに行きたくなる。四国か伊勢神宮という発想になり、ふと友人に相談すると、伊勢なら自分も行きやすいとなり、野郎二人旅で伊勢に行くことを決めるw

私は北海道、友人は福岡からという、北と南が中央で合流w

っで、特段飛行機だけ取って何も考えてなかったのですが、4月の最終週ぐらい、約四日の旅程なので、伊勢だけじゃなぁっと思って地図を眺めていたら…おや?

そういえば高野山に行ったことないぞ…(孔雀王でしか知らない)っとなり、帰り道考えると奈良にもよれるし、奈良も大仏さんは見たことあったけど、法隆寺と五重塔はまだ見たことが無かったので、レンタカーを借りて、名古屋⇒伊勢神宮⇒高野山⇒奈良となりました!

車での総走行距離、約1,000km!一日の走行距離は平均180kmぐらいw

5月14日。名古屋にて合流し、レンタカーで出発。
名古屋は駅でうどんだけを食べ、一路伊勢を目指します。

まずはさぬきうどん

道中で気づいたのは、伊勢/三重県は火曜日定休日が非常に多い事。こういう情報って、ネットでも出てないし、そもそも調べない。本当に現地で視察する…百聞は一見に如かず。

特にこのご時世、ネットでの検索が悪いわけではないものの、フィルターバブル/自分の都合のいい情報しかとらない、という悪癖によって、知性の偏りが起こりやすいからこそ、自分の目で確かめないといけない…

ラーメン横綱という名前のラーメン屋さんがめっちゃ覇権を握っていたとか、マジでいかなきゃわからない!

伊勢市内についたのが既に夕方だったので、さっくり食事に。そして、ふらっと酔った店で衝撃を覚える。

僕の人生でもっともうまい刺身…ヤバイ。ナニコレ。

自分で言うののなんだけど北海道民が一番うまいと思った刺身です

お店はココです。#おかだ家#

っと、そこで飲んでいると、伊勢の知り合いから連絡が来て、合流してちょいっと飲んで、明日、いよいよ伊勢散策に!

第二章 伊勢神宮と入会した会と天才との邂逅


早朝から行動開始。っと、伊勢神宮は外宮と内宮と別れており、僕は過去何回か伊勢神宮に行ったことがあったものの、いずれも内宮のみ。

正規ルートは外宮から回るようなので、今回初めて、外宮から内宮を回りました。っと書くと、大きな敷地内から回るイメージをされる方もいると思いますが、外宮と内宮ってそもそも場所が全然違うのですよ…(大きな意味ではそりゃ一緒だけども)。

清涼な空気が素敵

なので、外宮を見た後は車で移動し、気になる神社があったのでそこによると、近くに「神宮徴古館」なる建物を発見。外観も素晴らしく、気になったので突入すると…もぅ感動に打ち震えました。

伊勢なら絶対ここよったほうがいい

伊勢神宮にまつわるありとあらゆる歴史を上手に説明してくれる博物館で、歴史の中に没頭。なんかね、昭和とか数年前に感じるぐらいの世界観でしたwあと気になった"神苑会"という中二病を感じる会。いあ、マジで何なの?というぐらい近代文化の発展に尽力し、速攻解散…くぅ…復活してほしい。

あ、そうそう、あと"水産"という言葉を産み出した男、田中芳男氏。ガチの天才過ぎてヤバイ。説明するなら"幕末から明治期の博物学者、動物学者、植物学者、農学者、園芸学者、物産学者。錦鶏間祗候、男爵"

水産という言葉を創り、博物館を創り、農業技術の発展に寄与。このお人いなかったら日本の農業は数十年規模で発展が遅れたであろう偉人wやべぇんだよ!繰り返すけども、本当にこういう情報、現地じゃないと分からないです…

樹木の圧倒感が好き

そこから内宮に赴き、こちらは本当に素直に感動スポット。神域という言葉がピッタリなポイントです。

第三章 高野山は知ってるけど何県は…


高野山は和歌山県です。すいません、マジで調べるまで分かってなかったです…という事で、伊勢から和歌山へGOGO!本当は高野山にある宿泊所、宿坊に泊りたかったんですが(修行体験とかできる)、満杯につき、和歌山県の市内まで!

ちなみに、和歌山県市内と高野山は距離にして約50km離れてますw
なお、伊勢から和歌山県の市内まで約230km!なので、伊勢を昼頃出発し、夕方ぐらいの到着を目指しました。

雄大すぎる!

そこそこ日本を回っている私ですが、和歌山はマジで未踏の地…なので、夜も地元の方がやられているようなお店を幾つか周り、楽しい夜を過ごさせてもらいましたw

この時に思ったのが「どんな情報をお店側がちゃんと出しているか」なんですよね。結果的にgoogleにちゃんと登録してあるお店を選んだんですが、逆に言えば「他のお店がデータなし」だったんです。なので金額もわからないし何があるかもわからない。出すべき情報を正しくだす。っていうのは本当に貴重な事も、IT業界にいるからわかっているのではなくて、現地で自分が迷ったときに本当に必要なUXを理解する、ですね。

っで、朝から高野山へむかいなおすわけですが…道中、ちょっと気になる神社を発見し寄ってみると、まぁそこがすんごい素敵なところ!そこで撮れた写真もステキング。

かなり神秘的じゃない?

既に上述で繰り返しているのですが、「現地情報のみ」は確かにネットで検索できるんです。ただ、周辺情報はなかなか調べられない。何故なら「調べ方がわからないから」なんです。だからこそ現地に足を運び自分で得る事で、更なる深みへと進むことが出来る。1000年の歴史の建物と聞いて想像できるものと、実際に目で見るものには差異があるわけで。

そんな寄り道をしながら高野山へ。なお、高野山へ至るルートは幾つかあるものの、カーナビがずいぶん山道を選んでくれまして超くねくね運転…酔いやすい人、注意してください!

そして、ついぞつく高野山…いあ、想像と全然違ったwww入口は商店街のように切り開かれておりました。勝手な想像だと、険しい山間に神社がたくさんあるイメージだったのですが。。。普通に近代都市!むろん、山間の神社もあるのですが、キレイに整備されて美しいところです。

そんな高野山の目指すべき場所は、「奥の院」。戦国武将や名だたる名士のお墓があり、何より今でも空海氏が平和を祈願している場所です…一言でいうと。

「すごすぎた」です。
この奥の院の話題だけで別なnote書けるだけのボリュームです。もぅね、入った瞬間頭の中がパンクする情報量!そして、知ったんですね。戦国武将だけではなく、普通に一般の方のお墓もあれば、企業関係、その創業者のお墓などもここに…

秀吉公の墓所

しかも、奥の院は木の高さが20mや30mがごろごろあり、高いものでは50m級。超大型巨人と一緒です。これが走ってくると思えばそりゃ勝てないっと思うわけですよ。

奥の院はマジで伝説の宝庫。マジで行ったことない方は絶対一度は行って頂きたいですし、奥の院の奥にある院はもぅなんか泣けちゃう…

そんな高野山のあとは、ラスト。奈良を目指しました。

第四章 1,000年の時を超えるという事


奈良。夕方手前についた我ら一行(二人)は法隆寺を目指しました。
奈良は数度来ていたのですが、大仏さんは見たことあったものの、法隆寺/五重塔は初見だったので、うきうきで伺います。天気は雲一つない晴天。

法隆寺

その姿は…言葉を失わせるものでした。最も古い木造建築物と言われる五重塔。
1,000年以上も前に建築され今も残っているその姿は、歴史を繋ぐ意味というのを我々に伝えているのだと思いました。

五重塔

歴史なんて知らなくても生きている。は事実かもしれない。でも、歴史を知っておけば、無数の選択肢から先人たちが行ってきた成功と失敗の数々の示唆から自分にとって一番の可能性を選りすぐる事が出来るようになるし、また、「何故?」という疑問を持つことで、思考の深度をより深めることで、表面だけでは察しきれない真実に近づけるようになる。

時代が違えば考え方も違うでしょ?は正解だけど、古代エジプトの文献を紐解いても「今の若いもんは…」っと書かれているし、平城京時代には「今がこんなに幸福なのにこれ以上時代が進むとどうなるんだろう」という心配が書かれている書物があった。

人間の本質というのは変わっていない。だからこそ、歴史から学び取れる事は偉大なのだ。歴史を知っておけば、その先人たちの人生を追体験することで、一つの命で複数の人生を歩める。その数が多ければ多いだけ、世界の疑問に近づける。

何故、高野山を攻めた織田信長公のお墓が、豊臣秀吉公より、より奥にあるのかーそんな疑問に気が付けるかどうかが、課題や本質に気が付ける思考力なのだと思う。

翌朝。早朝から奈良の大仏へ向かい、ここで野郎二人で柱くぐりも体験w大仏さんの巨大さは、僕は外宇宙から宇宙人が来た時に戦ってくれるサイズだと確信しています(謎)

圧倒的BIGサイズなんよ…

そして、昼頃に名古屋に到着し、解散…

歴史旅はひとまずここで完了しました…

まとめ


歴史を学ぶ意義の言語化が自分出来たこと。
一次情報は現地でしか手に入らない事。
この蓄積が自分の中に新しいアウトプットを産み出してくれたこと。

ガチな歴史を学びに行ったわけではないものの、
現地の状況を想像しながら、その当時の人々がどんな想いでこれら実業を行ったのか?などを考えていくと、まさに歴史の紐づきとそれらが結び合ってココにいるという事に気が付けた事は圧倒的な学ぶとなりました。

未来は歴史の積み重ねで作られる以上、歴史を知らないと自分が望む未来へ方向を進められない。
たったこの一点で、歴史を学ばないのは未来を創れない事と同意義でしょう。

高野山もまだ回り足りないし、奈良ももっと時間が欲しかった!
また行きますし、今度は、比叡山だ!

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「革命、売ります」赫い革命家:関聖二@中卒社長・転職回数17回/ブランディングメンター
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