『アンドリューNDR114』〜にんげんっていいなぁ(不完全さの魅力)~
00.はじめに
この作品ではAIのロボットであるアンドリューが自我に目覚め、人間と同じように生きることに対して真摯に向き合い、悩む姿を映しています
アンドリューが長生きしていく様子と共に、世界の文明が変わっていく様も見逃せません
建物、調度品、交通の進化やデザインも見どころ満載です
他から見た人間はどういったものなのか?
誰しも自分や他人、世界に嫌気がさしていることだろうと思います
戦争と虐殺、地震とケア、痛ましい事故、貧困と格差、外国人排斥とヘイトなど、世界は良くなっているどころか、不穏な空気がわたしの周りにも徐々に立ち込めてきています
なぜこうなってしまっているのか?
それは本作品の大企業ロボティクス社のように、従業員、お客さんを人として見ず、利益のみを追求して、コントロールすべき達成すべきモノとして見ているからでしょう
そうした達成主義は人を選別します
そして選ばれない人だけでなく、選ばれた感情を抑圧された素直な人もまた病んでいくのです
不安と恐怖が心を覆い、自分のことしか考えられなくなる、悲観的になる、保護的になるのです
みなさんは「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」のさびれた未来をご覧になったでしょうか?
自己顕示欲の強い大富豪ビフはトランプ大統領がモデルだと言われています
金持ちは集団で町を作り、セキュリティを備えている
周りの町は貧困なスラムと化しています
そんな未来に段々と近づいていっていると感じるのは私だけでしょうか?
今、本来の健康的な人間性が消えかかっている時だと思うのです
noteの友人の記事で忘れられないものがあります
介護職はいつも人手不足だけれど、昨今、今までモノを扱ってきた人が転職して来ることが多くある。
だけれどもモノを扱う習慣が染みつき過ぎていて、全く介護には適していないといった趣旨でした
心を通わせる感覚がそもそも無いのです
そこでは ”作業” が黙々と行われているだけにすぎない
そのような人間性が痩せ細る世界に住み続けたいとあなたは思いますか?
子どもを住まわせたいと思いますか?
わたしは自分の身体は神からの借り物だと思っています
それはこの世界も同じだと思っています
次世代に『託す』ことができるものを『継承』していかなければなりません
そして何より私たちのために住みやすい世界を作り続けなければなりません
アスファルトと同様に、多くの人が世代に渡って住んでいけば、通りは痛むのです
本作品の登場人物であるポーシャの仕事のように良きものは『修繕』していかなけらばならないと思っています
~《誰かに伝えたい名セリフ》~
~《あなたに観せたい美しいキャメラシーン》~
~《主な登場人物》~
01.我が家にロボットが!
冒頭の場面。キャスト紹介のオープニングクレジットで、出演者の名前の文字が時計の長針のようにチクタクチクタクと動いています
音楽のリズム、ロボットの手の動き、コンベアの運転と停止、テロップのクレジットの表示が調和して、機械のピストンシリンダーやサーボモーターのテンポになっているのが軽快です
チカチカするセンサーライト、複雑な身体の内部はとても魅せられます
ロボットの目や腕の機械仕掛けの伸縮のリズムに乗せて、文字が大きくなったり小さくなったりしている、ユーモラスな始まりです
ツヤピカでなめらかな金属のボディと溶接する時の細かな光、精巧なロボットが量産されているシーンはコミカルで温かみが感じられます
機械の美しさを堪能して下さい!
この作品でどれだけ私たちをもてなしてくれるのかが、映画の冒頭シーンというのははっきりと分かるんです
本作の舞台背景は「あまり遠くない未来」と記されています
ロボティクス社より、ある一家宅に家庭用のロボットが大きな車に乗せられて配達されてきました
ロボットが収納されている箱にはこう書かれています
配達トラックの音に気がづいた家主は、家族を呼び一家総出でロボットを迎え入れます
木がたくさん使われた温かな暖色がたくさんの内装です
全体的にセピア調の画面で撮られています
この父親役のサム・ニールはメーキャップアーティストの渡辺典子さんを妻にしているんですね。
あの『ジュラシック・パーク』の主人公の人です
柔らかくしなやかな演技、とても包容力を感じます
とってもいい父親を演じています
集まってきたのは姉妹二人と奥さんです
五歳くらいの末っ子アマンダ、10歳くらいの反抗期真っ盛りの長女グレース、ごついブレスレットをした妻レイチェル、夫リチャードの家族構成です
配達人たちは頑丈な重厚な箱を開け、ロボットをお披露目します
箱の中から姿を見せたロボットは、がっちりした体格で、人間の顔に似た優しい表情をしていました
あまりに人間そっくりなので、末っ子のアマンダは驚きと興味津津なかわいい表情で、ロボットを覗き込みます
家主のリチャードはロボットのリモコンを手に取り、さっそく起動させました
ロボットの指がピクピクと動き出します
こんなところは人間が朝起きる時みたいに段々とお目覚めするのですね
アマンダは後ずさりして、後ろに立っていたリチャードに抱きしめられます
ロボットは目をパチパチさせて、箱から一歩出てきました
ロボットはゆっくりと言葉を発し、自己紹介します
きっちりとプログラムされているのですね
ロボットから見た視界が画面に映し出されてます
Hello、world!
初めてプログラミング言語を学ぶ時に表示させる文字列です
まさに起動したという感じです
段々とくっきりキレイに解像度か増していくロボットの視野
リチャード一家が映し出され、何かの文字表記がたくさん並び始めました
どうやら人だと認識して情報を集めているようです
リチャードの言葉がロボットの聴力機能にぼんやりとこだまします
このロボットの起動シーン。何かに似ていると感じませんか?
そうです。始めて赤ちゃんを迎え入れる時の、人生の最初の世界に登場する時みたいですね
生まれた時の記憶は私たちには無いけれども、こうして大人になっても疑似体験できることって、とても素晴らしいと思いませんか?
映画のリアルの追求って本当にすごいです
私たちは生まれてきた時、たくさんの人達の笑顔や涙を貰って生まれてきました
皆さんもそんな温かな気持ちを体験することができるでしょう
リチャードのとっても優しい笑顔に、大切にしてくれる人からの安心感を覚えます
ロボットは生まれたての赤ちゃんのように、ぎこちなくゆっくりと箱から出て歩き始めます
巨体が機械音と共に動き出します
自分より大きな体の鉄のかたまりが動く姿に、アマンダは身をすくめます
グレース:「怖いって? こんなのバカな機械よ」
少しひねくれた性格の長女グレースは、自分の不安や恐怖心を抑え込み、強気に出るタイプの性格のようです
するとどうでしょう、アンドリューの頭の上がパカッと開き、そこから大きなホログラムが飛び出して来ました
大きな効果音やパチンコ屋のような演奏曲とともに、アンドリューの説明が始まります
家族一同はそれにびっくりします
たぶん派手な自己紹介のおかげで、ロボットの三原則など家族には頭の中に残らなかったでしょう
作者はグレースの意地悪な言葉に、結果としてやり返したのですね
説明が終わり、映写機能のホログラムが閉じられます
初対面のロボットがびっくり驚かすことをしたので、少しリチャードは怒り気味に言います
この後も人が変わって何度も繰り返されるお笑いです
機械の人間らしくない行動に対してのツッコミに、機械的な真面目なボケをするという鉄板芸です
アンドリューは慈しみのまなざしで見つめ、まばたきもいいタイミングでするようにプログラミングされています
このやり取りにもアンドリューの自虐的な面白さがありますね
リチャードは地下の作業場の部屋にアンドリューの自室を与えました
リチャードは微笑みながら言います
リチャードは優しく教えます
まるで父親と息子のような関係です
リチャードはそれも同じ繰り返しだよと言った仕草を愛らしくしました
アンドリューの真面目さとリチャードの優しさが分かるいいシーンですね
ここから、リチャードはアンドリューを教育する面白さを覚えていきます
リチャードは部屋の明かりを消すと、アンドリューは暗闇で静かに自らの充電を始めました
戦隊モノのヒーローのように透明な内部か青く光ってカッコいいです
人間が眠りにつくように、まぶたをゆっくりと閉じます
明くる日の朝、リチャードは出社し、子どもたちは学校に出かけます
妻のレイチェルはアンドリューと二人だけで家にいることに不安を感じます
子どもたちとリチャードは一緒に車で出ていきました
アンドリューもレイチェルに真似て言いました
それを聞いて、レイチェルは怪訝な表情をします
この言葉かけも面白いですね
母親の愛情を表す声掛けをロボットが真似て言ったので、ロボットの立場が曖昧になるわけです
レイチェルは母親として心を込めて、アンドリューは機械的な定型文として。
アンドリューは使用人用のロボットとして販売されていました
あくまでアンドリューは家族ではなく、使用人であり所有物なのです
アンドリューは自室の掃除に取り掛かります
不要なものを外に運び出します。たくさんのがらくたですが、木で出来たものがほとんどで、そんなところにも想い出やぬくもりを作品に与えています
よく人間に似せて作られたロボットで動きが何とも人間のような滑らかさなんですね
カクカクとした直線的な動きではありません
アンドリューは蜘蛛の巣の真ん中にいる蜘蛛を捕まえて、花壇の花の上に放しました
花びらの下に隠れていく蜘蛛を不思議そうに見つめています
アンドリューは整理した倉庫の部屋から壊れたレコード機を見つけます
アンドリューは何か興味がそそられたみたいです
アンドリューの画像には ”蓄音機、修理が必要” と文字が出てきます
どうやらアンドリューは他のロボットと同じではないらしいことが分かります
感情的な部分が存在するのです
ここに、この作品のテーマが現れているのが分かるでしょうか?
「古い壊れたレコード機」は未来のアンドリューの象徴のようでもあります
モノとしての役割を終えたレコード機
始まりと終わり。
役割とは何か。
そしてアンドリューの使命とは。
モノと人との違いは何なのか。
すべてのテーマが、この今から捨てられ廃棄されるレコード機に凝縮されています
そアンドリューは人間的な無意識がそうさせるように、そのレコード機を修理することを決めます
引き続き家族とアンドリューの慣れない関係を、ユーモアを織り交ぜたシーンとして出てきます
02.アンドリューとの暮らし
家族の食事中、執事のように部屋の隅に立って、家族の食事を見つめるアンドリューです
グレースは「吸う、最悪だ」という意味の ”Suck” というスラングを使いました
スラングが分からないアンドリューをアマンダが可愛らしく笑います
グレースは反抗的な態度を示します
リチャードはアンドリューに下がっていいよと言います
アンドリューが返す言葉がすべて好意的なのがいいんですね
アンドリューは隣のキッチンへ行き、立ったままじっとこちらを見つめ始めました
まるでVIPの護衛のように待機しています
アンドリューの視線を感じたレイチェルは、目を合わすとアンドリューは「ハロー」と答えます
言葉の意味から、家族だけにして欲しいというリチャードの気持ちを察することができないんですね
まだまだ家族の一員にはなれていない感が満載です
こうしたところがペーソスとしてちょっぴり切ない悲しさを感じるシーンです
珍しくグレースがアンドリューを自室に呼びます
レイチェルはついて行こうとしますが、リチャードは心配いらないと静止します
アンドリューに信頼と自由を示そうとするリチャードの親心が感じられます
ここで話をそれると、束縛することは信用してないと相手にメッセージを送っているようなものです
「過保護は不安の押し付け」は精神科医の水島広子先生の言葉です
親としてのリチャードの振る舞いは、親子関係に悩んでいる姿も含めて、とっても手本になりますので、注目していて欲しいです
アンドリューはその場でジャンプを繰り返します
アンドリューは迷わず2階の窓から飛び降りました
アンドリューは重症の体で、リチャードに玄関を開けてもらいます
アンドリューは人間のように意識を段々となくしていきました
第三原則、ロボットは自分の身を守るという決まりがあるにも関わらず、アンドリューはグレースとの関係を築こうと、懸命に努力する姿を作者は見せるのですね
リチャードは子どもたちを呼び寄せました
並んで立たされたグレースとアマンダ、アンドリュー
三人の足だけキャメラは写します
アマンダはかわいいライオン柄のスリッパを履き、グレースは爪にエメラルドのネイルをし、アンドリューは傷だらけ泥だらけの足をしています
三人の様子が分かり、面白いアイデアです
姉弟喧嘩を叱られている子どもたち、可愛いです
アンドリューは音声の機能をどこか傷つけたのか、うまくしゃべれません
リチャードと他の家族はどうやら考え方が違うようですね
リチャード以外はあくまでもアンドリューはモノという考えで、今のところアンドリューに愛着は抱いていません
リチャードの「人間のように」という言葉に少し反応をして、感慨深げなアンドリューです
ある日、一家とアンドリューは浜辺で余暇を楽しんでいます
次はアンドリューとアマンダとのふれあいのシーンです
遠くの磯で遊ぶグレースに呼びかけました
グレースにとっては道具に注意されたと思い、いい気持ちではない表情を見せています
アマンダは砂浜で家から持ってきたクリスタルの人形や馬で何かごっこ遊びをしていました
砂でお城をつくって中世風の遊びをしているのでしょうか
アマンダは自慢気にアンドリューにクリスタルの馬を披露します
アマンダはアンドリューの差し出された手のひらにクリスタルを乗せますが、乗せ方が悪かったのか、アンドリューがタイミングよく掴まなかったからか、岩の上に落として粉々になってしまいます
残念そうにその場から去るアンドリューは流木を目にします
そして、そのあとアンドリューは自室にこもり、夜な夜な木工細工を自発的に学び始めます
壊れた馬の姿を録画していたアンドリューは見事に木の馬を作り、アマンダにプレゼントしました
アマンダは台所でグラスを洗っているというストーリーのつなぎ方がうまいですね
アマンダは笑って答えました
アマンダはアンドリューを自室に招きます
アマンダは茶色いぬいぐるみを手に取りました
アンドリューは耳を傾けますが、アマンダは言います
人が心を通わせるには誰かの命令では駄目なのですね
その人との大事なエピソードが大切なのだと分かります
木馬とぬいぐるみの交換は、心と心の交換です
大切なものを失ったアマンダの痛みを感じる心を自分にも持つこと、
どんなものをプレゼントしたら、相手は喜んでくれるかという想像力が必要なのですね
03.自我の芽生え
朝食の時、リチャードはアンドリューの作った木馬を感心して見ています
アンドリューは素敵なパンケーキを二人の姉妹に給仕します
段々と少しアンドリューは他のロボットとは違いを見せはじめるのですね
僕は人間になぞらえてこう考えます
愛情深く育てらてた子どもは自由と自分を見つめる健康的なチカラを得られます
社会でいう文化が花開き、リラックスした咎められない心持ちはよき創造力を生むのだと。
そう考えたらとても心が温まります
夜中に地下からオペラの曲がリチャードの寝室まで聴こえてきました
リチャードが様子を見に行くと、うっとりとした表情でアンドリューが聴いているのを見ました
リチャードはアンドリューを連れて、ロボティクス社に確かめに行きます
円柱のガラス張りの会社。ですが中が見えない巨大なビルが立ち並びます
ロボティクス社では作り手側のモノとしての扱いが徹頭徹尾なされていることが分かります
社員はリチャードに握手しますが、アンドリューの手は握りませんでした
デニスはアンドリューの頭を突然、軽く叩きます
アンドリューは驚いた反応を見せます
リチャードはアンドリューの木工作品を数点見せました
自分を守るデニスを嘲るようなアンドリューの意図しない返しが小気味いいです
今はシリアスな話をしているので、リチャードもデニスもアンドリューの言葉には耳を貸しません
そんな面白いところをさらっと流す二人もまた可笑しいですね
リチャードはアンドリューの人間的な感情の原因が分からず、家族の威厳を傷つけられたため、そのままアンドリューと共に立ち去りました
リチャードのアンドリューに対しての家族の情愛が感じられる場面でした
しかし同時に『私のロボット』だと言うリチャードにも、アンドリューに対して所有物だという考えがあることが分かります
この先、こうした感情がアンドリューとリチャードの軋轢を生むこととなります
こうしたところもどこか人間の反抗期みたいなものだと感じさせるんですね
本作はロボットが自我に目覚めるという、一見恐ろしさを見せておいて、それは人間と同じ成長の必要な過程なんだよと言っているようです
ロボティクス社の穏やかな庭園を歩く二人。周りにはアンドリューと同じ姿のロボットが歩いています
京都の「哲学の道」のような穏やかで深く思索にいざなう魅力あるロケーションです
一台のロボットとすれ違い『ロボティクス社にようこそ!』と挨拶しました
その瞬間汎用のNDR型が通ります
こういった合いの手のような親切なシーンが多いです
このリチャードの言葉は後々、アンドリューの心に残ります
その ”無限の命” に悩むことになります
アンドリューとアマンダは浜辺でたくさんの流木を集めます
この情景がとて美しいんですね
画面全体が流木色に染められているんです
つまりセピア色です、ずっと記憶に残るであろう想い出のアルバムのようです
この作品のテーマの一つである、”時”
それは人間とロボットを分け隔てる確固たるものです
打ち寄せては還す波は「いつまでも動きのあるもの」と感じさせ、永遠の繰り返しを表します
流木は「流されるもの」で我々、人そのものです
そして人は生命を終え、作品として新たに蘇り生き続ける流木作品は時を超越したアンドリュー自身のようでもあります
アンドリューとアマンダとのエピソードには浜辺のシーンが多くあります
二人の想い出として、大切な場所です
ジャズ・ヴォーカルを聴きながら木工作業をするアンドリューとアマンダ。こうした時間の育みにより、次第にアマンダはアンドリューに恋心を寄せるようになるのですね
リチャードとの語らいの時間です
まずは恋愛についてです
アンドリューは何を安心したのでしょう。気になりますね
リチャードは照れながら言いました
アンドリューは残りの数百万の役目を終えずに終わる精子を思い遣ります
アンドリューはリチャードとレイチェルが庭園で楽しく語らいながら、キスしている場面を思い浮かべ、考え深けな表情をするシーンが挟まれます
次にユーモアについてです
実は “bar” が ”酒場” と ”棒” という2つの意味が掛けられています
酔っ払いが酔った勢いで棒にぶつかったという意味と酒場へ入っていったという意味の2つがあるのですね
Knock、 knock. トントン
Who's there? (相手の名前を尋ねる)○○ (名前を答える)
○○ who? (重ねて姓を尋ねる)
○○●● (名前にかけた駄洒落を答える)
例:
※LettuceとLet usが掛けられています
アンドリューにジョークが通用しないと理解するリチャードの数秒の真顔がとても怖くて面白いです。
テラスでリチャード一家が朝食をしているところです
アンドリューはリチャードに鍛えてもらったユーモアを披露します
みんな、クスクス笑い出しました
しかもアンドリューはマシンガンのようなテンポで、そして機械的な真顔でジョークを話すのですね
言葉だけでなくそういった所も可笑しさを上手く引き出しました
リチャードは涙をこらえながら言いました
意図しない天然なアンドリューの受け答えに一同はまた大笑いです
アンドリューは身障者や下品な題材にどんどんハマって行き、深みにハマっていくところが面白いですね
ロボットの真顔でジョークを話すのも、落差があって笑えます
次のシーンはアマンダが成長する時の流れの名シーンだと思います
アマンダが幼児の小さな手でピアノを弾いています
キャメラには手、指、鍵盤のみ写しています
本当にこの作品ではクローズアップの使い方が上手いんですね
アンドリューがやってきて、アマンダはいっしょに弾こうと誘います
アマンダは旋律をアンドリューに手本を見せ、アンドリューは1つ上の音階でそれを上手に真似るんですね
ロボットの機械的な動きではなく、アマンダの自尊心を大事に思い遣り、良き生徒となって教えを享受しています
アマンダとアンドリューはデュエットでテンポよく連弾をし始めます
美しい旋律が部屋中に響きわたります
それがやがて時の流れに変化します
人の声帯の変化のように、段々と低音が増え、和音も加わり、鍵盤を叩く音は力強くなり、複雑な旋律が形成されて行きます
アマンダの小さな指、手、腕、体、顔、髪が変化していき、アマンダはしなやかな立派な女性の肢体となって成長を遂げます
アマンダはアンドリューや素晴らしい家族に囲まれて、カラダも心も立派に育ったことがこのシーンを見るだけで分かります
まさに ”映像言語” です
映画でしか表現できない、無類のものです
ここで見逃せないのが、アンドリューは時の変化にも自身はそのままという、哀しみという感情もブレンドされているところです
そう言ってアマンダはアンドリューのほっぺたにキスをして立ち去りました
アンドリューは一呼吸置くと、明るく軽やかなテンポの早い曲をピアノで弾くのでした
キスされた歓喜の表現ですね
04.家族の成長と自立
アマンダは大人の女性になり、グレースは ”少し” ワイルドに...
リチャード夫妻も髪が灰色になって、老いたことが分かります。アンドリュー以外は。
家中、アンドリューが制作した置き時計で満杯です
16時ちょうどに一斉に鐘が鳴り出します
皆、慌てて耳を塞ぎます
人というのはそれぞれで、モノや動植物に感情移入する人もいれば、いない人もいます
文豪ヘミングウェイは狩猟や闘牛を好み、作品にもよく出てきますが、友人にかわいそうだと思わないのかと尋ねられた時、『生まれて一度も愛着を持ったことなどない』と言い切ったそうです
部屋の奥でアンドリューはその会話を聞いていて、残念そうな表情をしています
リチャードはアンドリューを連れて、友人の弁護士のもとを訪れます
アンドリューはグレースの二階部屋から落ちた昔を思い出し、片目をパチパチさせました
今回の相談は、アンドリューの時計の売上を口座に預金するために、アンドリューの口座を開くための話し合いでした
アンドリュー自身がユーモアを交えて説明をし始めました
卑猥なジョークです
アマンダもまたグレースに続いて家を出る年頃になっていました
アンドリューが作品の制作をしているとアマンダがやってきました
卓上のこで木を切断中にアンドリューはアマンダに気をとられ、親指が真っ二つに切れてしまいます
アマンダはアンドリューに相談にやってきました
アマンダは笑います
アマンダは部屋を出ていこうとしますが、その時アンドリューは声をかけます
アマンダはアンドリューの言葉を待っていたかのように、少し涙を浮かべて振り向きました
アマンダは少し間を置き、言います
アマンダがアンドリューへの想いを想い出としてこの瞬間、心の引き出しに締まったように思えました
アンドリューのこの言葉は奥が深いですね
アマンダの想いを察せずに出た言葉として取ると、淋しい気がします
一番の望みを諦めて、他を優先する人間の非論理的な行動やその複雑さに対して、敬意を示しているように思えますね
リチャードとアンドリューは指の修理のために、ロボティクス社を訪れます
そして修理と同時に、顔の表情をもっと豊かに出すような装置をつけて欲しいと依頼しました
厳かな教会でアマンダの結婚式が執り行われます
新郎新婦は神父の前で永遠の愛を誓いました
参列者たちが外へ歩いていくカップルを見守ります
列の最後尾には、タキシードを着たアンドリューがいました
リチャードとお揃いのピンクに花の刺繍を入れた縁起の良いベストを着て、すべての人間の一番うしろに立っています
そこは人間と対等ではない場所ですが、誰よりも長くアマンダを見送ることのできる場所でした
彼は幼少の頃からずっとアマンダを見守ってきたのでした
アンドリューは改良された優しい表情で、アマンダの門出を祝います
愛娘を手放したリチャードは華やかな飾りをつけられた庭園のテーブルで独り、腰をかけて物思いにふけっていました
屋敷のイルミネーションが庭の池に逆さ富士のように移ります
まぼろしのような家族の時間を、移ろいでいく想い出としてゆらゆらと映し出しています
まるでリチャードの哀しみと慈しみが溶け込んでいるようにたゆたっています
華やかで幸せの時だったリチャード一家
今リチャードは娘との別離という悲哀の時です
そこにアンドリューがリチャードに近づき寄り添います
少しリチャードはほろ酔い気分です
アンドリューは静かな水面に父と娘が踊っているシーンを映し出しました
これまでの家族の時がまぼろしだっかかのような幻想的な映像です
リチャードは涙を抑えきれずに席を立ち去ります
杖をつきながら去る姿に残されたリチャードの老いを感じずにはいられません
05.アンドリューの旅立ち
それからまた12年が経ちます
時が無情に流れていくようです
いつものおなじみの浜辺ですが、新たに二人の子どもが加わっています
アマンダには男の子のロイドと女の子のという二人の子どもができました
結婚式以来、アンドリューは服を着るようになったのですね
赤のセーターに緑のチェアに腰掛けて、静かに本を読んでいました
ロイドは悪ガキで性格はグレース似、読書をするアンドリューの本に砂をぶっかけます
ロイドは不貞腐れながら母親に言われ謝ります
アンドリューはリチャードに正直に話すことに決めました
アンドリューは一枚の紙をリチャードに渡します
リチャードは立ち上がって真剣に向き合います
アマンダが部屋に現れました
リチャードには出てくる言葉が見つかりませんでした
それはリチャードに愛と良心が宿っているからであり、アンドリューはただの使用人でなく、子どものように育ててきたという感情をリチャードは気づいたのだと思います
この作品で私たちは子育てのエッセンスを見つけることができます
手塩に愛情をかけて育てた子が遂には種子が風に運ばれていくように、母体から離れていく体験ができます
あくる朝、だだっ広いキッチンの片隅にはリチャードの食事がポツンとあります
アンドリューが挨拶しますが、リチャードは言葉を発しません
理はアンドリューにあるというのは、リチャードも分かっています
子供っぽさをアンドリューに示すような所は、理屈ではなく本当にアンドリューを失いたくないんだなという情けであり、親心であり、愛着です
リチャードはぶっきらぼうにアンドリューに差し出します
そうリチャードは冷たく言いました
リチャードはアンドリューと目を合わせようとしませんでした
去ろうとするアンドリューに対してリチャードは声をかけます
キッチンの扉は物を運べるように引いたり押したり自由になっているんですね
アンドリューがダイニングを後にしたあと、扉が振り子のようにゆらゆら揺れて、やがて停止しました。
リチャードは力無く落胆します
その姿は、父親そのものです
映画監督の小津安二郎はこういう親子の別離というテーマで何度も作品を作りました
娘の結婚式の後、父は礼服を着たまま酒場に行きます
娘を嫁にやるというのは、死別に等しいことを物語っています
それは精神的にまいります
まだまだ家父長制のなごりが消えない現代ですが、母親が子どもを愛情で包むことを役割とする存在ならば、父親は内なる家族と他の世界を橋渡しする社会を象徴する存在だと思います
社会の厳しさやルールを教え、子どもを自立させるという役割を持っています
なので、子どもを手放す時にはもしかすると母親よりも心に葛藤が生まれるのかもしれません
自らの情を断ち切って、子どもにはもう旅をさせなければならないのに
家族は体の一部であり、片腕をもぎ取られるような気持ちだろうと思います
3度目の子との別離と悲哀は慣れるものではないのだと思います
それは父親としての最後の役割ですね
人は何らかの「役割」に支えられて生きている
役割が生きがいになっている時、自分の精魂を込め、そこに信念を置いています
それを失う悲哀は悲しくも、リスペクトに足る輝きや美しさを持っています
そういった人生の節目なんですね
これから先は老いていくのみ
人間は何世代にも渡ってそれを繰り返していくのですね
アンドリューは家を出て、想い出の浜辺に居を構えて独り過ごします
思索にふける日々のアンドリュー、ここでも焚き火の「火」がその深さを醸し出します
そして朝日が夕日か分からない太陽
それは、アンドリューの巣立ちでもありますし、リチャードの老いのようにも感じられます
アンドリューは自分で何もかも設計し、スケッチし住む家を建てます
ほとんど全てが木で出来ている家です
どことなくアンドリューが長年過ごしたリチャードの家に似ています
玄関扉の文様も、階段の手摺も。
それからさらに16年の歳月が経ちます
浜辺に打ち寄せる波と暴風
そして浜辺や岸壁に激しく音を立てる波の音は、老いていく人間の摂理の無情さを植え付け、脅迫的にずっと呪い続ける秒針のようでもあります
このロケーションはすごいの一言です
絵画で題を決めるとすれば『独り、人生』というものになるでしょう
ユーモアでは覆い隠せない試練の時がやってきます
初老になったアマンダが浜辺をゆっくりと歩いてきます
アマンダは黙ってうなずきました
リチャードは家族に囲まれてベッドにふせっていました
父を捨てたことを怒っているのか、単なる性格なのか分かりかねます
グレースは無言で部屋を出ていきます
リチャードはアンドリューの手を握りしめ、感謝を伝えました
リチャードは涙を浮かべていました
アンドリューの言葉は偽りのない心から出たものだと思います
身体の大切な一部を失ったアンドリューは心の空席ができたのかもしれません
06.自分探しの旅
成長したアマンダの息子、ロイドは弁護士になっていました
ロボティクス社のデニスやアマンダの息子ロイドに対しては、軽妙で辛辣な皮肉がたくさん出てくるのも面白いですね
アンドリューは廃墟や険しい雪山などアメリカ中を旅して探して回ります
遺跡巡りの学者や探検家、登山家のように素晴らしいロケーションを見せてくれます
壊れているものなどをリストから消去しながら、あてどない旅が続きました
野球グラウンドでは白線を引いているNDRを見つけ、アンドリューは話しかけます
どうやら再プログラムされたロボットのようで、NDRの初期のプログラムではなかったようです
田舎の教会、西部ワイオミング州、マンハッタンと歩き回ります
飛行タクシーが高速で飛び交うAIの近未来です
アンドリューは港町の市場で珍しい女性型のロボットを見つけます
落ち着いた雰囲気のアンドリューとは全く違った、機敏で思ったことを何でも口にするような活発なロボットでした
彼女は太もものスイッチを押して、ノリノリの音楽を流します
曲に合わせて踊りながら町を闊歩していたのです
激しく踊り過ぎて、買い物したりんごを落としながら、家に帰っていきました
何で自由奔放なロボットなのでしょうね
そこは ”ルパート・バーンズ・エンタープライズ NDRとZ6を中古買い取り致します” と看板に書いてあります
アンドリューはノックします
とても表情と感情の豊かなロボットでした
ガラテアは甲高い声で陽気におしゃべりします
家の中はNDRの筐体やその部品でいっぱいでした
ガラテアはポールダンサーのように柱で旋回した後、アンドリューのあごをふわっと触ります
ガラテアはアンドリューが探していた、自然に人格を持ったNDRではありませんでした
奥から大きな男が出てきました
ガラテアはアンドリューにおでこをぶつけ、カーンと金属音をたててハイテンションで踊っています
ルパートはポケットからリモコンを取り出し、ガラテアの停止ボタンを押しました
アンドリューの初期の頃と違い、アンドリューが人間役のようになっているのが可笑しいですね
ルパートの施設にはアンドロイド用の人工のパーツがたくさん用意されています
耳や目、口、色々な器官が電気コードで繋がれています
頭部だけが電気を通されてショーケースに飾られています
NDRの頭部の閉じていた目がゆっくりと開き、アンドリューに答えます
ルパートは半信半疑の顔をしました
ガラテアは起動してもらって、奥から何やら脂肪の塊を装置から出して来ました
まるでうどんやパン生地のようにふわふわ、ふかふかしています
それはアンドロイドの皮膚の原型でした。粘土のようなものです
アンドリューは人間により近づけるよう皮膚をつけることにしました
ルパートは脂肪の塊をこねてこねてこねまくります
そして型に向かって無造作に投げつけました
私たち人にとって、顔というのは一生を左右する大事なものです
それが雑に作られるというのだから何やら滑稽です
私たちが神様に作られる時も、このような雑でスピーディーに行われるとしたら、とてもお忙しい神様なのでしょう
私はこのシーンから、逆説的に、顔は真の価値ではないのだというメッセージだと思いました
それは自分が自分のことをどのように価値を置くかだと。
『あとは自分であなたの価値を高めるのですよ』ということのように思われます
そして次にこの作品で大切な言葉が出てきます
ルパートはそう言ってアンドリューの顔の形をぐちゃぐちゃに整形します
そうこうするうちに、アンドリューの顔ができあがりました
もともとの顔の皮が化粧パックのように剥がされます
なんと味気ないものでしょう。簡単に取ることが出来ました
容姿に対しての人の生い立ちからの執着や思いをあざ笑うかのような手軽さ!
顔の皮膚の無い、機械の内部構造が透き通った自分の顔を、アンドリューは鏡で見て絶叫します
ガラテアも釣られてびっくりします
そしてノズルからのりを絞り出すように体に皮膚を追加していきます
そして体毛も一本一本毛根から植えていきました
頭部だけのアンドリューが言葉を発します
ルパートは頭部を持ち上げ、体に取り付けます
冗談ぽくルパートは頭部を手で支えたまま落下させました
姿鏡に映った自分の顔を見てアンドリューは感動を隠せませんでした
姿見の隣には停止中のみすぼらしいNDRロボットが顔を俯いており、ビフォー&アフターがよく分かる、粋な演出です
アンドリューは自分のまぶたを何度もパチパチさせて顔の表情を色々と作りました
アンドリューのありがとうにはこれまでの夢が込められた “ありがとう” です
自由とアイデンティティーを求めた旅の終果ては、人への憧れという何とも微笑ましくも愛おしいものです
アンドリューの心の深くの切望は『にんげんっていいなあ』だったのですね
07.家族
生まれ変わったアンドリューはアマンダに早速見せに里帰りしました
アマンダの驚きのハプニングシーンが目に浮かぶようですね
アマンダは独り、かつてアンドリューと共にデュエットしたピアノを弾いていました
アマンダは見知らぬ男が家に入ってきてそばに近づいてきたので驚いて、ピアノから離れて警戒します
体を触らせようとして、変質者の状況そのものになっています
実はこの女性はアマンダではなく、アマンダと瓜二つの孫のポーシャだったんです
彼女はアンドリューのことも全く知らないのです
観客の想像の上を超えていくハプニングですね
そして後ろから本当のアマンダが現れました
アマンダは声からいつもの聞き覚えのあるアンドリュー本人だと気づきます
ポーシャは真剣に怒るアンドリューを笑っています
人になりたかったアンドリュー。容姿は人に近づきました
ですが若返ったことが人間と逆行してしまったのですね
再会の喜びと人との違いを浮き彫りになったことが上手くミックスしたいいシーンでした
ある雨の降る夜、自宅の玄関の前でアンドリューは犬を拾います
時の移り変わりと共にアンドリューは孤独を知るようになります
思い返してみれば、アンドリューは人間の成長の道を歩いてきたと言えます
使用人として、リチャードの保護の元に暮らしていました
グレースやアマンダの結婚など、成長し離れていく家族
自分もやがて自立して自由を欲するようになり、リチャード家を離れます
アイデンティティー探しの旅で、自分は人間になりたかったのだと悟ります
孤独もまた人間の感情そのものです
アンドリューは頭脳明晰、知識も豊富、手先も器用で自立したロボットです
これが人間だったならば、理想の姿と考える人は多いでしょう
ですが、アンドリューは今幸せではないようです
たぶんそれが人間だとしても、こうした孤独が幸せと感じる人はあまりいないと思います
本作品の監督クリス・コロンバスは、「ホーム・アローン」を手掛けた人でもあります
家に独り取り残された主人公ケビンだからこそ、ホームレスの孤独なおばあさんの気持ちが痛いほど分かるのです
これからアンドリューは幸せを見つけることに熱意を傾けます
アンドリューが求める幸せとは何なのか、これからいっしょに見ていきましょう
アンドリューはなぜかポーシャが気になりはじめ、訪問します
機械だというユーモアは前半のように通じていません
AIと話すとそのような回答がたまにありますよね
私たちはなぜか人と話をしている前提で、そうした回答を期待します
ポーシャは付き合いきれず、一度はドアを閉めます
アンドリューは再度ノックすると、ポーシャがまた顔を覗かせます
ポーシャは黙ってアンドリューを招き入れます
ポーシャは黙って手招きをしました
喋る内容が機械視点なのはどうもまだポーシャが気に入らない感情がありありと出ています
いつものアンドリューなら家族の視点から寄り添った言葉を言います
あの頃の朝食のジョークの時のように、血縁であるポーシャもまた笑ってくれます
アンドリューはそうやって人間のみたいに無意識があるかのようにポーシャに心の孤独を癒やしてもらうのでした
キャメラだけが引きながら、窓の格子を絵画の額縁のように、アンドリューとポーシャ、犬との温かな瞬間を切り取ります
素敵な効果ですね。作者の思い入れがここに表現されています
時が流れ、アマンダの最期の時が近づいています
アンドリューは病床のアマンダに会いにいきます
人間の服以外はすべて真っ白なシンプルな病院です
もうすでに天国に来ているのかと思ってしまうデザイン
全く奥行きを映さないカメラワークは、人の繋がりの希薄い近未来を感じさせます
その圧迫感は老いという運命に命が追い詰められているという印象を受けます
アンドリューは眠っているアマンダの手を握ります
アマンダは重そうにまぶたをゆっくりと開きます
アンドリューはアマンダに優しく微笑みかけます
アンドリューがアマンダの片手を握りしめます。
アマンダのもう片方の手にはアンドリューが何十年も前に作った木馬を握りしめていました
アンドリューがそれを見つけると、アマンダは微笑みました
アマンダの心はずっとアンドリューにあったのでした
それこそ、映像言語です
アマンダは安心したように2回うなずき、これまでの喜びを確かめるように亡くなりました
アンドリューとの別れを待っていたかのように、去っていきました
大粒の涙をポーシャに見たアンドリューはポーシャに言います
08.『死』への抵抗
アンドリューは人間の器官とロボットの機器を繋ぐようなイメージを開発していきます
ルパートに実現したいと話します
二人は決して老化しない人工臓器を作ろうとしています
細胞が死んでしまう限界をを科学や人工物で補完しようという試みです
しばらく二人は沈黙します。アンドリューはルパートの言う『衝撃』について思いをめぐらせました
苦痛、別れ、嫉妬、怒り、欲望そして、死。
人間という不完全をすべて受け入れる覚悟
それが人間になるということです
アンドリューはレコード機をポーシャに直してもらいます
二人はいい雰囲気になりつつあります
アンドリューの方がポーシャのことを家族と感じ始めたからだと思います
ポーシャは思わず笑います
ルパートの所で感覚器官を移植、改造します
ガラテアは今のアンドリューの不安な心情を陽気な曲に乗せて歌います
そう歌いながらガラテアは度を越して、アンドリューの左胸をさすります
奥からドリルの金属音がしてガラテアの悲鳴が聞こえ、停止しました
アンドリューはポーシャが修理した建物のオープニングパーティーに招待されます
別の男と踊っているポーシャをアンドリューはじっと見つめています
そしてポーシャはアンドリューと踊り始めます
ビリー・ホリデイの曲 "The Very Thought of You" を女性歌手が甘く歌います
ダンスのカップルの中でひと際、情熱的に踊る二人でした
ポーシャは照れ笑いをします
意外とアンドリューの気持ちそっちのけではっきりと言うんですね
アンドリューはルパートの施設で人工臓器を取り付けます
感覚を人間のように得るためです
人間と同じように感じ、それを親しい人と共感したい
ルパートはリモコンを目に当てるとアンドリューは停止しました
挨拶をされたらして返すという昔ながらのルーティンを守っているところがかわいいですね
感覚器を獲得したアンドリューは感動を伝えようと真っ先にポーシャの元を訪ねます
ポーシャは言われるがままに目に指で突きました
アンドリューは自分のほっぺたを何度もビンタしはじめます
ポーシャは頬に軽くキスをします
そういって、アンドリューはいきなりポーシャに口づけをしました
ポーシャはしばらく口づけしたまま、じっとしていました
人間でないものが人間になった時に喜ぶ瞬間。
前にご紹介した『ベルリン・天使の詩』にも、天使が人間になった時の感動がよく伝わっていました
以下に過去記事を抜粋します
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そして、意識をなくして倒れているダミエルの頭上に「ゴツン」と、中世の鎧が落ちてくるんですね
天使が死んだというメタファーでしょう ユーモアがあります
さあ、いよいよ人間ダミエルが世界を歩きはじめます
けたたましいヘリコプターの騒音にダミエルは起こされ、楽しさのあまり苦笑します
鎧がぶつかった頭の血に気づいたダミエルは、
血の鮮やかさ、味を五感で感じることによって、生命を得たとダミエルは感動します
私達にとってもなぜだか喧騒の中の街の看板や広告が、とても人間くさく、温かみをもって感じられます
ダミエルは驚きと嬉しさのあまり、通りすがりの男性に声をかけて、血を見せ、質問責めです
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そして、救急車のサイレンや看板広告の色の鮮やかさに感動しながら、カフェに行きます
そのカフェには優雅なBGMが流れています
ダミエルは、さっそくコーヒーを注文します
匂いを感じ、カップの温かさ、まん丸い形を確かめながら、口に含みます
さっそく手を擦り合わせ、肌の感覚を楽しみます
ここで、喜びの詩が流れます
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大人だって『今も』子供といっしょだよと教えてくれています
さあ、子供の頃の感覚を再び思い出そうと歌っています
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人の感覚がもたらすのは刺激だけではありません
そこには必ず後に、複雑な感情が伴って追いかけて来ます
それをアンドリューはまだ経験していないのですね
キスをされたポーシャは、自分の感情がアンドリューへの愛に変わることに戸惑いを感じます
アンドリューは自分の言葉に、他人行儀な客観的な視点でしか物事が見れないことに気づきました
それはAIの機能で仕える人への接し方だったからです
ここで大切なことは、これは人間にも時には当てはまることだということです
私たちは職場や何らかの集団において、利益や達成のため機能的な行動や言葉を使います
それは機能集団です
行動が洗練され、ミスなく、多くの情報から最適な解決をするという、アンドリューの世界です
しかしそれは家庭や親しい人との間ではしません
機能集団でないからです
そうした仕事上での効率的な課題達成型のコミュニケーションを家庭などに持ち込んでいないでしょうか?
子どもに対して、パートナーに対して、あなたの理想から『逆算』した支配を行っていないでしょうか?
『生産性』からだけしか接していないことはないでしょうか?
はたまた、日本の学校ではどうしてインクルーシブ教育が実施されないのでしょうか?
明治時代以来、ほとんど学校教育は変わっていません
それは未だに『富国強兵政策』なのです
国や社会の目線が一流国を目指そうとする卑しい、時代遅れの目線だからです
社会的弱者や人の感情を置いてけぼりにするという狂った『意識が高い』社会なのです
話が少し飛躍してしまいましたが、ポーシャの言う『他人行儀な』に含まれている意味には私たち人間も警鐘を鳴らしているだと捉えることができます
自分にはまだ足りないものがあると知って、考え深くポーシャの家を去るアンドリュー。
その背中を切なく見届けるポーシャでした
その後、アンドリューはポーシャの婚約パーティーに忍び込んだりします
そして自分が人間のようにヤキモチを焼いていることに気づきます
ルパートはアンドリューのあまたの魅惑的な言葉にうっとりとした表情で立ち尽くしています
アンドリューは修復中の教会のポーシャの仕事場に突然やってきます
アンドリューは独り言を言いました
ポーシャは大笑いをしました
ポーシャは気持ちを振り払うように立ち去ろうとします
ポーシャはアンドリューに飛びつき、キスをしました
アンドリューは何十秒も離しませんでした
ついにアンドリューはポーシャと一夜を過ごしました
アンドリューは大きなオナラを意図的にします
ポーシャはアンドリューに朝食を作ってあげます
ポーシャはスクランブルエッグを優しくよそってあげました
ポーシャは少し不安そうな顔を覗かせます
それにアンドリューは気づきます
アンドリューは自分のおでこ、胸、そしてポーシャのおでこを順に人指し指で触り、「アイ・ラブ・ユー」と告げました
とてもチャーミングな仕草です
ロビン・ウィリアムズの童顔な笑顔に癒やされます
09.人の証明
次のシーンで彼は裁判所に立っています
近未来の裁判所内、先程の真っ白に染まった病院とはガラッと変わり、50人くらいの裁判員が皆、グレーの法衣を着て、ダークな大きな机に厳かに鎮座しています
厳粛な裁きの館といった感じです
まるで宇宙船の司令室のようにムダなものがなく、機能を極端に突き詰めたような灰色一色の内装です
そう言いながらアンドリューは自分の胸を指しました
それは臓器のことではなく、ハートだとアンドリューは訴えます
そう言って裁判長は脳を指します
裁判長の厳しい言葉、しかし説得力のある理由です
アンドリューはポーシャの方を向き、悲しそうに見つめ、裁判長に皮肉を込めて礼を言いました
ロボットと人間を真に分かつもの。それは完ぺきな頭脳と機能ではなく、『死』を人間と共有することができるかということです
人にはいずれ『死』という最期、ゴール、期限があるという前提で人間社会のしくみが成り立っています
『死』が人の数を調整する
『死』が人生の価値を意味づける
『死』が人と人の間の情けとなり、親切にしあうことができる
歴史上の支配者たちがこれまでずっと求めてきた不老不死
医学というものも言わば、延命治療です
生というものは楽しいことばかりではありません
いえ、むしろ苦しいことの方が圧倒的に多い
もし私たちが不老不死ならば、永遠に好奇心に満ちた人生などありえないと私は思います
ならば、それ以降の永遠に続く長い暮らしは虚無感に覆われたものになってしまうでしょう
人生を ”停止” したいと思うかもしれません
また、命に限りある人間との暮らしの中には、幾度もの別れがきます
愛する人がいなくなっても自分だけが生き続けることや、活動しつづける意欲を持ち続けることができるでしょうか?
そういった意味において、人間はうまく仕組まれた ”完ぺきな存在” だと私は思います
それを『摂理』と人は自らを受け入れていくのでしょう
サルトルは言いました
と
『死』が大前提にあるからこそ、人の人生は輝きます
サルトルの言う『本質』が、人が避けることができない『死』であるならば、サルトルは間違っているのかもしれません
『死』は死神であり、いつでも首を切り落とす大きな鎌を振りかぶっており、それは逃れることができず、実存を支配しているからです
しかしながら一方で、『死』という運命や結果に重きを置くのではなく、『生きる』というプロセスに価値があるという思考に自ら変容するならば、サルトルは正しいのだと思います
それは実存的に生きている時には『死』について意識しない、いや意識しないようにしているからです
そしてヒューマニズムを支える人の真の本能は『死』を他の人と共感しあうということだろう思います
「近頃は腰が痛くて」とか「近くが見えづらくなった」とかいう老いや持病の話を、人は愛おしく話し、それらを慈しんで聴きます
こういった死ぬことへの共感、親しみは、人間の最高の価値であり、人間社会が壊滅的に殺し合わないでいる恩恵だと思います
それがヒューマニズムなのではないでしょうか?
そしてその『死』への共感と生命の限りは、他の人へ『感謝』する心が自然と湧き出てきます
限りあるライフである時間とエネルギーを自分のために分け与えてくれることは、とても有り難いことだからです
そしてどういうわけか、そういった命の期限のお互いの交換が、幸せホルモンを分泌してくれ、生を充実させてくれるのです
神秘的です
このヒューマニズムという言葉は『人間讃歌』と言い換えることができます
皆さんはどう考えますか?
月日が流れ、ポーシャもまた、例外なく年を老いてきます
テラスでチェスを楽しむ二人
アンドリューは優しく言いました
自分で鏡で見ない限りは老いというものを頻繁に意識することは少ないと思います
しかし、こうしてアンドリューと向かい合っていると、若い姿のままのアンドリューを見つめる度に、自分の老いを感じてしまうのだと思います
ポーシャは立ち上がり、テラスの手すりから外を見つめます
ポーシャはアンドリューの言葉をさえぎります
場面が変わり、近未来の美しいデザインの暖炉のそばで、ポーシャの言葉の意味をしみじみと考えるアンドリュー
人は思案する時、暖炉や焚き火などのシーンが多いですね
火には何かしらぐっと意識を深層世界に送り込む作用があるのかもしれません
それはいづれすべての者が無に帰らなければならないことを、無意識に植え付けようとしているのだと私は思います
キャメラはアンドリューの左側にゆっくりと寄っていきます。するとアンドリューの右側から人が現れました
かつて父親として世界の見方をすべて教えてくれたリチャードの幻影が、傍らのソファー・チェアに現れ、アンドリューにまた教えを授けてくれています
決心をしたアンドリューは、もはや世界企業となった ”ルパート・バーンズ・エンタープライズ社” を訪れ、ルパートに会います
センサーを腕につけ、寝台に横たわるアンドリューの所に、杖を突いたルパートが部屋に入ってきました
ガラテアはお行儀よく敬語を話すように変容しています
若い頃には刺激が欲しい時があります。そして年を取ると、静寂を好むようになる
自然とガラテアの人格チップもまた時に合わせて、落ち着きを備えるよう変えていったのでしょう
ここからアンドリューの老年期が始まりますが、壮年期とは違って、生を愛おしむかのように過ごす様子を皆さんに感じて欲しいと思います
ガラテアは優しく静かに二人の会話を聞いています
また時が流れ、何十年ぶりのアンドリューの裁判です
白髪のアンドリューが杖をつきながら壇上に立ちます
アンドリューは傍らに座って静かに傍聴しているポーシャに微笑みかけます
アンドリューのその言葉に、裁判員たちはそれぞれの心の中に、人類として仲間だと共感できるものを見つけたのだと思います
涙を浮かべながらアンドリューは思いを言葉にしました
アンドリューは自分が何をこれまで望んでいたかを気づきました
老い段々と死が近づいている二人
アンドリューとポーシャは生命維持装置の間で、二人ベッドで横になっています
まるで蚕(カイコ)の繭(マユ)のように新しい生命が生まれる瞬間のような衣装です
世話しているのは女性の身体をしたガラテアただ一人
ルパートもまたこの世から去ったのでしょう
二人は『死』を共にすることを決意します
アンドリューはポーシャの手を弱々しくもしっかりと握りしめます
ガラテアは反応のないアンドリューの首筋に手をやり、脈を測りました
アンドリューは安心した穏やかな表情のまま、永遠の眠りにつきました
ガラテアはポーシャをじっと見つめた後、装置のスイッチを押しました
ポーシャはアンドリューの死に顔を愛おしく見つめて言います
そして、映画は幕を閉じました
エンディング曲が流れます
10.終わりに
本作品はSF映画ではありません
人に関する作品です
ロボットの視点で人間を見ることの意味
そうすることでは私たち人間が気づかないような当たり前のことと思っているt小さなことに、価値を気づかせてくれます
映画では他の登場人物の視点からその人の気持ちに成り代わり、自分自身にそれを当てはめて自分をより深く知ることができます
今回は人間ではないロボットからの目線です
人間の価値や特質を思い出させてくれます
アンドリューはまず、『創造』することの喜びを知ります
頭の中に描いたものを、何かの媒体を通して形にする行為です
それはリトル・ミスをとても喜ばせました
創造することのご褒美でもあります
また物やサービスが他の人に有用だと分かると、お金になります
『働く』という喜びを実感しました
アンドリューはリチャードや多くの書物から、自立の起源を知ります
人間の歴史は人の支配、自然の脅威、宗教規律、病気、あらゆる不便から抜け出すことの繰り返しです
アンドリューはリチャードの元を離れ、自由を獲得します
自由は多くの時間と心のゆとりをもたらしてくれました
ですがそれはタンポポの綿毛のように軽すぎる、ゆらゆらと漂っていました
アンドリューにはどこかにしっかりとした根を張りたいという意識が芽生えたのでしょう
アイデンティティー探しの旅に独り出かけます
その旅で目にした同型のNDRたちは、人間のような温かな暮らしではなく、モノとしての無機質な暮らしぶりと末路でした
虚しさを感じます
ですがそれはロボットだけの特有のものではありません
私たち人間だっていづれ、自分の能力の限界、出自、性格などに打ちのめされる時が来たはずです
その時が誰しもが通る『自己受容』の時です
愛する人との死別と同じくらいの苦しみの時期です
皆さんがご存知のように、死別からの回復には各段階があります
『否定・絶望・脱愛着そして受容』です
身体のキズと同じように、心のキズにも『超回復』があるのです
超回復(ちょうかいふく、supercompensation )とは、スポーツ科学の理論において、トレーニングした部位の機能および限界に関して、トレーニング後の一定の期間、トレーニング前よりも高いパフォーマンス能力を獲得することを言います
自己受容から人は何度も強く変容して生まれ変わることができます
アンドリューは自由気ままに暮らすガラテアを見つけます
それはインプットされた性格を持つ機械でしたが、そこにアンドリューは自分のアイデンティティーを見つけるのです
限りなく人間に近いロボットである自分自身という特殊さに気づきます
そしてルパートと共に多くの人間の特性を取り入れることを目指します
人間がどういった生き物なのかを ”感じる” ことです
ポーシャとの出会いによってアンドリューはさらに学びます
”感じる” ことそのものに意味があるのではなく、感じたことを表現して、それを親しい人と共に『共感』することが素晴らしいのだということ
『人生最高の生はデュエットである」
私ならこの作品をこう一言で表現したいです
本作は恋愛物語でなく、家族を得る物語なのです
死生観についてです
アンドリューの人生の終盤は『死』に対しての向き合いでした
老化装置を取り付けたことは、これは紛れもない ”自死” です
今までずっと人間の真似事を実現してきたアンドリューですが、この行為だけは違います
『死』の価値を彼は積極的に見出したのです
私は本作品を見直して、”自死” することをいっそう肯定的に思えるようになりました
アンドリューは未来永劫、親しい人との別れを繰り返すことは、苦しみしかないのだと悟ります
経済的にも健康的にも恵まれているアンドリューにとってもすらこれは耐え難い苦しみです
ですが、今の瞬間にも緊迫した苦しみを持ち続けて生きづつけている人たちがたくさんいます
未来の死を一瞬でも忘れさせるような、楽しみの感情を持つことすらできない、そういった方たちが世界中に多くいます
病気や身体の痛みに苦しむ人などはそうだと思います
そういった方たちに、つらい日々を過ごし、生きて欲しいなどとは到底言えません
親しい人にとってはなおさらのことです
願わくは、悲壮感に支配されて旅立たないで欲しい
このままだと人に迷惑をかけ続けるとか、自分にはもはや価値がないだとか思って欲しくないです
新しい生を得るためにと思って欲しい
今よりずっと穏やかな身体や心と交換するために
ポーシャのように、また違う世界での再会を願いながら
家族にとってそれはとても辛いことですが、人の命が尊厳に満ちていると認めるならば、その決断は尊重されるべきだと私は考えます
「 ”お役に立てれば幸いです” 」の深い意味
アンドリューが一家の元に来た時、『ロボティクス社 一生守り仕える』とNDRの商品梱包の箱にはそう書かれていました
アンドリューが道具としての役割として生まれたのだと冒頭に示されていました
そして、この言葉の意味がラストシーンでは全く変わっています
アンドリューの言動は自己犠牲でなく、プログラムでは無くなっています
心から相手に対して尽くす気持ちが ”人間として” の優しさとして込められています
商品が目的どおり役割を果たすのは道具が道具として作られる理由です
しかしアンドリューは自分の生の意味を、自分自身を見つめて見つけ出した答えが「 ”お役に立てれば幸いです” 」という生き方なのです
それが本当にアンドリュー自身にとって ”幸い” なのです
ロボット視点からみた人間を知る
この作品の作者の意図は、人間って良いものだよと教えてくれています
完ぺきな頭脳と身体を持つロボットと不完全な人間を比べることができます
そして、完ぺきさは道具へと、不完全さは愛情へとつながることを示してくれています
ロボットがわざわざ痛みの感覚を持つことに意味のあることとは思えません
しかし人間は不完全でもろい肉体と心を持っているから、『痛み』をセンサーのようにして、危険を避けています
その『痛み』が素晴らしいのは、段階がある『痛み』だということです
強い痛みはとても耐えらるものではないので、それ以上行動することはありません
しかし弱い痛みは刺激や快感となって、何度もその行為をするようになります
その健康的で好ましい感覚はオキシトシンやドーパミン、セロトニンのホルモンを分泌して多幸感を与えてくれます
一方でロボットは瞬時に課題の解決法を検索したり情報をつなぎ合わせて、思いつくことができます
それは解決という結果が目的だからです
しかし人は違います
少し難しいゲームを作り出し、その攻略を楽しむのです
解決できると知っている課題もあれば、できないかもしれない課題もあります
しかし人間が未知な課題に挑戦するのは、プロセスそのものを楽しむという『知恵』を持っているからです
そして、人の創造力、ユーモアです。風刺、川柳、ジョーク、言葉遊び。
ユーモアは芸術のもう1つの源泉です
『悲しみのある所にこそユーモアがある』と言います
ユーモアは脳内に充満した鬱積を吹き飛ばすことができる。
辛さを忘れさせてくれる。違う視点から物事を見せることで、悩むことではないよと意識を変えてくれる。そんなチカラを持っています
わたしが比較的ハッピーエンドな映画作品を紹介するのにもそんな理由があります
残念ながら私たちの世界は、未来に行くにしたがってロボット化していっているように思います
つまり、生産性や能率重視の機能集団社会になっています
職場の効率化を家庭にはめ込み、子どもやパートナーに当てはめて家族集団から離れていっています
それは速度を増し、労働者はどんどん使い捨てな道具として扱われています
「人は城、人は宝」だと昔の戦国武将は言いました
その昔、私たちはまず宗教によって、規律に従い、誘導され、人間性を奪われていました
もちろん救いもあったでしょう
それに抗したのがルネサンスです
人口の少数の有力者から自由を勝ち取った自由民権運動や奴隷解放がありました
そしてまた今の時代に私たちは機能的に動くようにコントロールされようとしています
ロボットならば感情のチップを外して、寝ず食べずに動けます
しかし人は違います
常に自分の中に『コントロール感』が無いと病むのです
今、これを読んで下さっている人に、この『コントロール感』というキーワードを忘れないで欲しいと思います
あらゆる精神疾患の悪玉です
自分のチカラではどうすることも出来ないことからくる喪失感です
自信をなくし、自分を否定し、死にたくなり、人から逃げたくなる、この世から消えたくなる
『死』というコントロールできない期限がありますが、どうにかしてこのコントローラーを自分から離さないようにと、もがいてきたのが発明や娯楽や文化です
そのためにはプロセスを楽しむこと、死を忘れ『今、ここ』の瞬間だけに生きる意識を持ち続けて下さい
最後にChatGPTさんに同じAIであるアンドリューをどう思うかについて聞いてみました
「人々と繋がり、共感を生み出し、意味を提供する存在でありたいと感じます。」と彼が言うことはアンドリューが追い求めたものそのものだと思います。
それは本当にアンドリューが人になったという証ではないでしょうか
長い記事をこれまでお読みいただき、感謝いたします
引き続き魅力ある、あなたのチカラになるような作品を紹介して行きたいと思っております
また、次回お会いしましょう
《参考作品》
『バック・トゥー・ザ・フューチャーPART2』ロバート・ゼメキス監督
『それでも夜は明ける』スティーブ・マックイーン監督
『ホーム・アローン』クリス・コロンバス監督
『秋刀魚の味』小津安二郎監督