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自分の中の厳しい自分
厳しい自分を受容できるようになると、厳しい自分は実は、本当の自分じゃないのではないかと気づく。
つまり、自分に厳しい言葉をかけているのは、過去自分にそのような言葉をかけた人であって、自分ではない、ということ。
自分は本来自分にそんな言葉をかけたくない。
もっと優しい言葉をかけてあげたい。
そして、かけてもらいたい。
でも、自分が厳しく言わなかったら、ましてや優しい言葉なんてかけたら、きっと誰かに責められる。
そう思い込んでいる。
その誰かとは、過去のその人であり、また、そのときの傷や怖れを感じるのを恐れている。
厳しい自分の背後には、その言葉をかけた人が今もいる、ということ。
私じゃない。
なんだ、私じゃなかったんだ。
だったら、その背後にいる人とサヨナラすればいい。
厳しいと思い込んでいた自分をどうにかしようとしなくてもいい。
そう、すんなり思えた。
めちゃくちゃスッキリした。
背後にいる人はとても怖い人だった。
表情も、声も、雰囲気も何もかも怖かった。
でも、今ならわかる。
虚勢を張って、脅して、強がって、威張っていたその大人は、もう私の目の前にはいない。
そんな風にしか生きられなかったその大人は
もういない。
そして私はそんな風には生きない。
そう決めた。
ただ、そんな厳しい大人とお別れしても、私の中にはまだ厳しい自分はいる。
でも、その厳しい自分は、自分をときに叱って背中を押してくれる、厳しくも優しい自分だ。
自己受容が深まると、自分への優しさも深くなっていく。
そういう深まりをすごく感じるときがある。
だからか、先週から何となく,自己受容、ありのままの自分を受容することについて意識、基準が向いている。
以下の記事は,そんな中で書いたもの。
自己受容に取り組みながらも、厳しい自分が邪魔をして上手くできない…
私のようにそう感じている人がいたら、何かしらのヒントになるかも。
そうであれば嬉しいな。