最高の面と最低の面
最高と最低。
少し極端な言い回しだけど、どちらも持っているもの。
最高の面だけ見ていたい、自分にあるのはこっちだけって思いたい。
最低の面なんて、嫌だし、認めたくない。
だから、知らず知らずのうちに、自分が見えないようなところに追いやった。
なのに、嫌いなあいつがそれを見せてくる。
何でそんなことするだよ!って猛烈に拒否したくなることをする。
それを嫌ったままでいたり、無視し続けていても、また同じようなやつが現れる。
何故かどこからか現れる。
そして、突きつけらる事実。
その猛烈に拒否したいものは、自分の中にある、ということ。
これを認めるのがきつい。
納得したくないし、できないし、抵抗がハンパない。
私はこれに膨大な時間がかかった。
すんなり受け入れられる人が本当に羨ましかった。
やっと腑に落ちつつある。
嫌いなあいつが見せてくれるものは自分の中にある、だけ。ある、それを受け入れる。
やつのように振る舞うかどうかは、自分次第。
それが自分の中にもあるというだけで、やつとは同じような人間ではない。
そういう最低だと思う面も自分の一部だと、それを認める。
最高の面と最低の面、両方持っている。
自分も、やつも。
それが腑に落ちると、やつに対して心穏やかになる。
その振る舞いをされても、そうですか、どうぞご自由に、ってサラッと流せる。
自分も持っている、その上で、どうありたいか、どう振る舞うかは、自分もやつもそれぞれが自由に選べばいい。
自由ってこういうことかと身に沁みる。