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秘密1:夏目漱石の秘密

何故だかわからないが秘密は幼い時の楽しみの一つです。

秘密の部屋や秘密の基地、秘密の秘宝、秘密の武器などがあります。

秘密にしていることが有ることを公開することが特徴です。

しかし大きくなると決して公開するこはしません。

隠すようになります。

親の期待に反するからです。

良い子になるために意識しないようになります。

やがて秘密を忘れるようになります。

その秘密は忘れていてもマグマのように大きくなります。

やがてそのマグマは生活の基盤を驚かせることなります。

意識を驚かせるのを無意識と人は名前をつけました。

驚くごとに無意識を敵に回します。

本来の自己を押し殺すことによって人間関係を優先させるのです。


あるとき夏目漱石は自分に嘘をついていたことを知りました。

夏目漱石はその心の軌跡を告白しているのです。

秘密の自己が本来の自己だと自覚したといいます。

無意識の秘密は、ときには心の闇と呼ばれることもあります。

この無意識を『三四郎』では「偉大なる闇夜」と評価しています。

無意識は心の90パーセントを占有し意識は10パーセントだと言われています。

最近の脳科学の論点の一つに、人間の意識や理性に選択の自由が有るのか、無いのかと言う問題があります。

いわゆる無意識に決定権が有るのか、意識的な理性はその無意識の決定に追従するだけなのかと言う疑問であります。

脳科学者は無意識は自己の主権者と主張する人もいるようです。

夏目漱石の人生を振り返るとその姿が見えてきます。


催眠暗示

「暗示」と言えば殆どの人は催眠暗示を頭に浮かべのではないでしょうか。

催眠暗示は個人の意思を無視した行動を命令して実行させる事ができます。

確かに人間を取り巻く環境は「暗示」で満ち溢れています。

好んで選択した行動が「暗示」によるもので有る事が多いのです。

知らない間に「暗示」に誘導されているのです。

文化や習慣さえも「暗示」の要素を持っています。

「暗示」は人類に取って必要でもあります。

「暗示」は人間に取って不可抗力なのか、選択の自由は有るのか結論は出ていないようです。

この問題をミクロでは無く、マクロの立場から考えて見たいと思います。

長い人生を対象に「暗示」がどの様に影響するのか。どの様にすれば「暗示」から自由に成れるのかを考えてみます。

人間は生まれて直ぐに環境に規制されます。

その環境の条件を自らの選択で選ぶ事は出来ないのです。

親子の関係から家族、地域社会、学校、国を選択できないのです

個人差は勿論生まれると直ぐに存在します。

結論から言えばそれでも選択の自由は存在していると考えられます。

夏目漱石の幼少年期は過酷で劣悪な生活環境にありました。

其の漱石が如何にして作家に成ったのか、その意思決定、行動選択の過程が『虞美人草』に書かれているのです。

人間に選択の自由が有ることの証明なのです。

漱石は不合理な環境に反抗もしました。

有る時は強い流れに諦め順応するだけでした。

それでも漱石は勇気と熱意で自由を勝ち取って来たのです。

自由とは思うままに生きる事では無く、自己の人生に立ちはだかる大きな障害を教訓にする事なのです。

『虞美人草』の最終章で「悲劇は喜劇より偉大である。」と言います。

究極の自己実現、大きな人生の目標達成には、社会に順応するだけではなく、悲劇と思われる事態は自己選択の誤りを知らせてくれるセンサーと考えるのです。

漱石は悲劇とは「ふざけたるものが急に襟を正すから偉大なのである。」といいます。

漱石は青年期になるとそれまでの劣悪な生活から学生生活で自由を手にいれました。

それが魔境のほほ笑みだと知らずに自由だと錯覚したのでした。

自由と言うバイアスほど厄介なものは有りません。

それとは逆に漱石は無意識に身を任せることに拠って本来の自己を発見するのです。

無意識は理性的な意識に対する否定的な作用を意味するものでは無く、漱石にとっては偉大な財産で有ったのです

理性が必ずしも正しいとは限らないのです。

バイアスによって歪むのです。

無意識にも耳を貸す事から漱石の自己実現が完成したのです。

漱石が年とともにどのように心の変化があったのか次回で述べます。

今回はこれまでとします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

参照は青空文庫です。


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