龍神考(3) ー龍神と神道の禊祓ー
神仏と人間を繋ぐ存在とも云われる龍神様は水神でもあることから、身体の大半が水分である私たち人間の誰にも龍神様はすでに宿っている、また宿りうる。
それは、お釈迦様が悟りを開かれる時に「龍王」と呼ばれる蛇神たちが登場することが暗示しており、学術研究が真言を唱え続けた後のお坊さん方の血液の浄化を発見したことからも窺われる、ーというのが前回のまとめでした。
これは真言だけでなく、般若心経その他のお経をお唱えすることによっても同じ効果があると推測できます。
そして同じことは、神道の祝詞(のりと)や大祓詞(おおはらえし)についても言うことができるでしょう。神社では祝詞は宮司や神職が奏上しますが、神社によっては夏越(なごし)や年越(としこし)の大祓で参列者たちも一緒に大祓詞をお唱えすることができます。
また、神社では祭典を始めるにあたり、神職と参列者が心身を清める禊祓のために、まず修祓(しゅばつ)というものがおこなわれます。
神職が祓詞(はらえことば)を奏上した後、通常は麻と紙垂(しで)を付けた榊=大麻(おおぬさ)を神職や参列者の前で振りますが、私が拝観してきた中では、特別な祭典ではさらに塩湯(えんとう)を榊の小枝で振りかけるようです。
大麻を振ることによって起きる風と榊の小枝で振りかけられる塩湯。風とお湯(水)も龍神様が司どるものです。境内に龍神様が祀られていなくとも、また龍神様の彫刻や彫像がなくとも、神々のお祭りを始める前に私たちは龍神様のご神徳を仰ぐ格好になっていると言うことができるのではないでしょうか?
このような祭典の始め方がいつの時代に始まったのかは知りませんが、風や水(特に塩水)が心身の浄化に有効であることが経験的に知られており、それが後世に「龍」の概念が日本に入ってきてそのご神徳として統合され、風と水の浄化の力が「龍」の姿で視覚化され、「手水舎」と呼ばれる場所や拝殿の「破風」と呼ばれる場所に龍神様の彫刻や彫像が登場したりすることになったのではないでしょうか?
以上は文献等で調べたものではなく、すでに同様の指摘をおこなっている研究者がいるかも知りません。
ただこのように考えてみると、龍神様のご神徳と神社祭祀の修祓、境内における龍神様の彫刻や彫像の配置に論理的な整合性が見えてくるのではないかという、現時点の私の仮説です。
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