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(映画「花束みたいな恋をした」ネタバレ有りレビュー)クロノスタシスって知ってる?って歌詞を知らない僕。

菅田将暉と有村架純が演じた麦と絹が、初めて出会った夜にカラオケで熱唱し、缶ビールを飲みながら夜の甲州街道での会話でも歌詞が登場するきのこ帝国の「クロノスタシス」。僕はきのこ帝国というバンドを名前しか知らなかった。

このサブカルカップルのラブストーリーは、そういったカルチャーからは一見無縁そうな大物若手俳優であるお二人が演じている。本来ならば、それによってファンタジーレベルで嘘臭さを感じてもおかしくないのだが、超強力な製作陣によって繊細に紡ぎ出された作品全体の空気感と、ナチュラルなセリフからはそれを一切感じる事がない。同じサブカルチャーマシマシアブラオオメで生きてきた僕にとってこの映画は、“こんな僕みたいな奴でも二人みたいな超最高な恋愛してきたんだぜ?”という勘違い幻覚を見せ続けるドラッグ映画として、うちのテレビラックにブルーレイ・ディスクが置かれ続ける事になるだろう。

この映画の大きな魅力の一つとして、二人の好きな小説や音楽などの多くの固有名詞が多数登場し、日頃誰とも共有できなかった価値観や好みを夢中で語り合い、“自分が孤独ではなかった”という実感により、二人の心が重なっていくプロセスをはじめ、そういった恋愛の醍醐味の描き方にある。そこで扱われる固有名詞がサブカルチャーからピックアップされているだけであり、その固有名詞はどんなものにも置き換える事ができる為、この心が重なるプロセスに関しては老若男女全てが共感できる作りとなっている。

“始まりは終わりの始まり”という麦のセリフがある。観客に理想の恋愛模様を存分に見せつけ、ドップリと蜂蜜漬けになった頃合いに放たれるこのセリフから二人の関係に陰りが見え始め、予告編でも流されていたが、二人は関係の終止符へと歩み始める。この映画の結末に際し、観客がどう受け取るかによるところであるとは思うのだが、僕はハッピーエンドの映画と捉えている。僕自身、大っぴらにお話できる程の恋愛経験があるとは言えないのだが、恋愛というものは、長々ダラダラとなったとしても、相手を取っ替え引っ替えとなっていても(浮気、不倫は絶対ダメよ)、最後は悲しい思いをしても、人生を豊かにしてくれるものだと思うのだ。自身の未熟に気づいて成長したり、どんなクズ相手だったとしても、そんな相手を想っていた時間はきっと脳みそが溶けるように甘い時間もあったハズで、例えば天寿を全うし旅立つ間際に振り返ったとして、その時間がない方がよかったとは考えないと思うのだ。

カップルでは観ない方が良いと噂される映画だと聞いたが、僕個人としては付き合う前の二人にオススメしたい。公開終了直前に滑り込んで観てしまった為に「是非劇場へ!」とは言えないのだが、1、2年後にビデオオンデマンドで配信された頃に、学生男子は女子を口説く時に「あれ、すごく良いから絶対観た方がいいよ。」って頑張って話題に出してほしい。「花束みたいな恋をした」が二人を繋ぐ次の“固有名詞”となり得るかもしれない。

感動した、泣けた、俺も私もかつて麦と絹だったんだ!など、色々な感想があると思うが、僕の中でこの映画は“恋愛っていいもんだよね。”って気持ちを共有できる映画だと感じ取った。

余談であるが、絹と麦は設定上では僕より5歳下の設定である。バンドマンとして生きた僕がきのこ帝国の楽曲がわからない。もう、終電逃した夜道にほろ酔いの有村架純がしっとりした表情を浮かべなら「クロノスタシスって知ってる〜♪」と振ってきたって「知らないとキミが言う♪」と気の効いた返しができない程度にはジェネレーションギャップがあるのだ。こんなにこの映画に感銘を受けたって、脚光を浴びる二人とは同世代ではないオジサマだ。麦のように現実的に社会に溶け込む事もできず、絹のように偏った趣味趣向に理解ある彼女に出会う事もできぬままに、大阪市の端っこで未だ独りでサブカルクソ野郎をやっている。

2021.5.22

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