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「いのちのたび博物館」を訪れる

毎日、ほわほわと文章を書いていることが好きな私は、ジュラ紀、アンモナイト、恐竜の化石標本、などと聞くとハリウッドの恐竜映画のイメージばかりが浮かんでくる。でも、それらを収めるのが「いのちのたび博物館」という素敵な名前の博物館であるとなると、そこにあるであろう壮大な物語を、決してそのままにはしておけないという気持ちになる。

学校の先生は大切なことを教えてくれなかったし、本部長は理想を語るのが上手なだけじゃないかと、社会人になりたてのころはいろいろなことを誤解していた。しかし、働いてみてわかったのは、みんなよるべのない世界に答を求めて、薄暮の中で不安を抱えている同じ人間なのだということ。

一日の終わりにふと一番星を見上げている時は、たとえどこにいて誰といようと、ちょっとだけ寂しい。誰だってふと考えたことがあるのではないだろうか。「私たちはどこから来て、何者で、どこへ行くのか」ということを。

私たちはどうやって運ばれてきたのか、その生命の道筋を知ることは、いまこうして生きていること、つまり未来を考えることにも大きく関わってくる。

「いのちのたび博物館」は北九州市にある。スケジュール帳をめくり、福岡に用事がある日の前日に、下手な(でもそこそこに可愛い)恐竜の絵を描きこんだ。

いよいよその日がやってきた。まずは地球の誕生から、と覚悟をして展示場内に足を踏み入れると、鉱物研究者が難しい顔でいん石を、古生物学者が始祖鳥の化石をじっと見つめている…というような私の予想はあっという間に消え去った。視界いっぱいに迫ってくるのは、恐竜たちの骨格展示。

大きいものは全長35メートルもあるという。後ろのほうには、現代における大きな動物代表として、象やキリンも行進していた。誰もがその迫力に感嘆の声をあげ、館内はまるでテーマパークのように活気づいている。なるほど、確かに生命の神秘が静謐でなくてはならないという決まりはない。知らない子どもたちと一緒に、楽しく海洋生物の巨大な顎の骨に顔をつっこんだ。

現代の森の奥深くにも、川にも海にも空にも、どこにだって生命は宿っていて、どんなに小さなものたちにも長い身体の歴史がある。環境にじっくりと適応するための変化、突発的な状況に生き抜くための飛躍的な変化。進化の過程はありとあらゆる失敗と成功のうねりのあと、今に至る。

私たちは「偶然」とか「奇跡」という言葉でそれを片付けてしまいがちだけれど、きっとそこにはゆるぎない自然の設計図があるのだろうと感じた。何かを失うということと、何かを得るということは、ほとんどの場合、同じ設計図からできている。そう思うと、人生にも希望が持てるような気がする。

もともと意思さえもつながっている集合体だった私たちは、いま個体に分かれて喜んだり、苦しんだり、それらを作品に昇華したりして、それぞれの生を味わい、さいごにはまた土に還る。ずらりと並んだはく製の動物たちは、身体の記録をこの世に置き残し、おそらく魂となってそこへ旅立って行った。それはいったい、どこにあるのだろう。

生命も文学も詩も芸術も、きっと科学もなにもかも目的はひとつだ。いのちのバトンを渡しながら、人間の想像力を越えたところにある真理へとたどりつくこと。気が遠くなりそうなほど遥かな宇宙の一点に想いを馳せ、そして身近なところに目線を戻すと、ただひとつだけ分かることがあった。いま誰かと何かを分かち合うことができれば、私たちは誰も、最後の一人にはならない。

博物館を訪れて約一週間がたつ。このごろ夕立は私の知らない間に、ひそやかに降って去っていく。その濡れた地面の上で、自転車に乗った子どもがスリップしそうになるところを見かけた。あぶない!と思った瞬間、お父さんとお母さんの手が伸びてきて、ことなきを得て心からほっとした。信号待ちのドライバーも、犬の散歩をしていたあの人も、そして私も、いっせいに透明な手を差し出していた。なんとなく分かった。いのちを運ぶとは、きっとそういうことなんだ。


■いのちのたび博物館


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いつもスキ・フォローなど、ありがとうございます。いのちのたび博物館の入館料は、なんと大人500円。スペースワールドの隣です。大きな宇宙船のそばに恐竜の骨格があるなんて、ちょっとワクワクしませんか。

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西平麻依
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