noteを始めた経緯×自己紹介
世の中に何かしらの価値を提供したい。
人と関わる中で少しずつ見えてきた私の答えが、誰かの救いになったら嬉しい。
noteを始めた経緯はシンプル。これだけです。
ではなぜ、そう思うようになったのか。
それは、とある小さな出来事がキッカケです。
自己紹介を踏まえて綴っていきます。
自己紹介
母子家庭に生まれ、母は適応障害が原因で身体を壊し、私が高3の頃に他界。自分のやりたいことを模索する中で、自己肯定感の低さや考え方の癖に違和感を覚えました。
何故こんなにも人が怖いのか、否、人の反応が怖いのか。
私がやるよりも、きっともっと上手にできる人がいるから、私はこの場所にいない方が良い。
大学時代、教員を目指しながらボランティアや無料塾の講師をしていた私は、当時そんなことを考えていました。
自分に自信が持てない子どもたちに、「あなたは間違っていない。そのままでとても素敵。大丈夫。」なんて言葉をかけながら、当の私に自己肯定感が無く、とにかく矛盾だらけの毎日でした。
ちいさな女の子が教えてくれたこと
そんなある日、私の価値観を変える出来事が起こります。
当時大学3年生だった私は学童保育のボランティアをしていました。
いつものように教室でお絵描きをしていると、小学1年生の女の子がふと私の顔を見上げました。
「先生?」
「ん?どうしたの?」
「先生、お母さんいないの?」
それはあまりに唐突で、質問の意味を理解するまでに暫く時間を要しました。
「なんで?」と聞き返すわけでもなく、
「どうしたの?」ととぼけるわけでもなく。
咄嗟にでた答えは
「うん、いないよ。」
その子の頭を撫でながら、頼りない笑顔で答えたことを覚えています。
毎日友だちと遊びながらも寂しそうな顔を見せるその子に、どうにかして愛情を感じてほしいと積極的に関わり続けたからでしょうか。
言葉にできない何かが伝わってしまったのだろうかと、先生として恥ずかしさを感じつつ、どこか救われた気持ちでした。
それまで私は、「自分が関わるよりも、もっと優秀な人が関わった方がこの子たちの為になるのではないか」と、自分の価値を見出せずにいました。
しかしその女の子のお陰で、はじめて、私にしか救えない子どももいるのだと、何か確信めいた希望を覚えました。
図らずも、自分の価値を感じたのです。
後に大学の教授にそのことを話すと、
「学校に色んな先生がいて良いのは、色んな生徒を救うためなんですよ」と、教えてくれました。
誰かの力になりたい
これが、わたしにも何かできると感じたひとつの出来事。大切な出来事です。
そんな、私の周りの素敵な人たちのお陰で気づけたことを、これから少しずつ私の言葉で投稿していきます。
それが巡り巡って誰かの力になりますように。
そしてもっとたくさんの人が愛と受容に包まれまれますように。
それがこのnoteを書く目的です。
もしかしたら世論とは反対のことを言っているかもしれません、それは違うと異を唱える方もいるかもしれません、でも間違いなく私が目で見て肌で感じて出した、大事な答えです。
その時は、ぜひ、そう思った経緯も合わせて聞かせて下さい。
それもまた正しい答えなんだと、新たに一歩前進することができます。
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