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大好きな人を明日も大好きでいるために

大好きな人を明日も大好きでいたいから、いつだって大好きな人には笑っていてほしい。

働く母の姿を見て思ったことと、私が働いてみて感じたことを綴ります。

今までと、これからの、大好きな人に伝えたい話です。

はたらくお母さん

「おっかぁが帰ってくるまで待ってる!」

早く寝なさいと言う祖母に
母の帰りを待ちたいとワガママを言うのが
幼い頃の、私の日課だった


…ガラガラガラッ

叩いたらガシャンと壊れてしまいそうな、田舎特有の玄関の音


「おかえりー!」

客間を通って玄関に駆け寄った時
スッと鼻を抜けるのは
冷たい風の匂いと混ざった、歯医者さんの匂い


私の母の匂いは、歯医者さんの匂い
病院とは少し違う、とてもさわやかな匂い
今でも歯科衛生士さんとすれ違うとすぐにわかる。
大好きな母の匂いだ。


さっきまで毛布にくるまって、石油ストーブの前を陣取っていた私は、
鼻が痛くなってようやく、外の寒さを知る


「寒っ!」


思わず声を上げる


「なんだべ、まだ起きてたのがー!」


東北訛りがきつい母は
遅い時間まで起きていた私を叱る


眠気の限界と母の帰宅との攻防戦を毎日のように繰り返していたから
寝る前に大好きなお母さんの顔を見れたことが何より嬉しくて
ちょっとだけ叱られることなんてどうでもよかった。


「おっかぁのごど待ってだの!」


「わがったがら、早ぐ寝らいん!」
笑いながら、母は答える。


「おやすみー!!」


寝る前にお母さんが帰ってきた!今日はラッキーな日だ!


なんて。


その日の幸運をその日の終わりに噛み締めて布団に入る。


もし、いつもより早く帰ってきて、お風呂で歌うお母さんの声が聞けたらもっとラッキー!

それよりも早く帰ってきて、一緒にお風呂に入れたら最高にラッキー!


そんな毎日。


本当に幸せだった。
例え裕福でなくても、例え母と喋る時間が短くても、思い切り笑う母が大好きだった。

少しずつ嫌いになったこと

私がもっともっと小さい頃に両親は離婚し、
母は歯科衛生士として働きながら、私たち姉妹を育ててくれた。


今思えば、毎日あんな時間まで働いて、時には休日出勤もこなし
休みの日に家事をする母は、あまりに働き過ぎていてた。


母の役職は主任。
家族の大黒柱は母。
子育ての責任を持つのも母。


気を抜ける場所はあったのだろうかと、今更になって思う。



程なくして母は、体調を崩した。



診断結果は適応障害。
原因は働きすぎ。オーバーヒート。
当然といえば当然の結果。


その少し前から母は、他の歯科助手さんの愚痴をこぼしていた。


きっと、働きすぎただけではなく、人間関係のストレスもあったのだろう。


母に優しくなかったであろう職場の人たちを、最高に恨んだ。


それからすぐに、生活保護を受給するようになった。


母はうつ病も患っていた。

元気だったのに。


大好きだったのに。




周りからの理解も得られなかった。


それから毎日、母と姉が喧嘩をするようになり、どちらかが必ずヒステリーをおこした。


大好きだったのに。

綺麗な笑顔だったのに。


少しずつ、嫌いになった。



きっといつか治るんだと思っていたけど、
母は私が高校の頃に他界した。



ただただ悲しかった。

その頃には既に、社会に出て働くことがリアルになりはじめていたから、


社会って厳しくて、冷たくて、怖くて、それでも自分の力で歩いていかないといけない場所なんだと思っていた。
社会に負けちゃいけない。
嫌な人がいても負けちゃいけない。


社会のことなんてちっとも知らないのに、その時にはすでに、私は社会を睨みつけていた。

はたらくわたし

社会人になった私は、いくら社会に揉まれても強くいられるよう、たくさんの事を経験したかったから、完全歩合給で営業をすることにした。


完全歩合給。がんばったらがんばった分だけ報酬がもらえる。


いくら教育制度が充実している会社だったとはいえ、どうやらちょっと舐めてたらしい。


最初の2ヶ月で徹底的にノウハウを叩き込み、研修期間が終わると毎日のように現実が襲ってきた。


今日も取れなかった。明日は取れるのだろうか。


成約を取ってきても、次は取れるのだろうかと、また不安に襲われる。


毎日必死だった。



そんな中、地元にいる姉がくも膜下出血で倒れた。


まだまだ、仕事が軌道に乗る前の出来事だった。



毎週のように見舞いに行く日々が始まる。



東京から新幹線で帰るほどの財力なんてあるわけもなく、夜行バスで往復するようになり、週の半分は寝不足。

営業にも身が入らない。



交通費と休んだ分を補うための生活費で、蓄えていた貯金は尽きた。
現実世界は本当に残酷で、どんなにしんどくても、できなかったら報酬は下がる。



あー。

むりかも。

働くの。





しんど。








そう、毎日のように呟いた。






営業先でめいっぱい涙を堪え、休憩の時間には、堰を切ったように泣く。



そして、目の腫れがバレないようにまた

仕事に戻る。



そろそろ、仕事中に泣くかもな。
泣いてももう、どうでも良いかもな。


そう、思いはじめた頃だった。


私の側ではたらく人たち



その日も私は、人目を盗んで泣いた。


仕事に戻ろうとした時だった。

「おつかれー!パン食べよ!」



その会社に誘ってくれた先輩と、面倒見の良い先輩2人が声をかけてくれた。


「最近、しんどそうにしてるの知ってるよ!
このまま仕事してもしんどいだけだからさ、休もう!お茶しよう!今日寒いし!」



涙が止まらなかった。


優しい。


私の周りの人たちはあまりにも優しい。



優しい上に、逃げても、甘えても良いんだって教えてくれる。


その一件の後も、たびたび気にかけてくれて、
会社にいるいろんな人の、いろんな話を教えてくれた。


今週トップのあの人は先月までスランプで、つい最近までひとり旅に行ってたって話。

怖い顔してるあの人は、本当は優しくてシャイで不器用だから、みんなから愛されてるって話。


いつもヒーローみたいなあの人が、入ってすぐは成績不振で、ずっと辞めるって言ってたって話。


いろんなことを教えられ、落ち着いて社内を見てみると、様々なバックグラウンドの人がいて、毎日いろんな表情をしていることに気づいた。


いつもカッコイイあの人は、時折情けない顔で後輩に愚痴をこぼしている。


中卒で社会に出て職を転々とし、この会社でやっと成果を出したあの人は、今日も少しだけ遅刻してくる。


いつも自由で適当なあの人は、将来放送作家になるために、実は人知れず努力をしている。




働いて、はじめてわかった。


社会って、いろんな人がいていいんだ。





社会ってもっと、狭くて冷たくて、厳しいのかと思ってた。
社会人になったら、人前で泣いちゃいけなくて、甘えちゃいけないもんだと思ってた。


向き合い続けなきゃいけない理由なんかなくて
泣きたくなったら泣いてよくて、
頑張ろうって、また思えた時に頑張れば良い。
もう無理って思ったら、逃げれば良い。


私が想像した以上に、世界は優しいんだと、強く思うことができた。


自分がちゃんと幸せでいるための選択肢なんて沢山あるんだと知った。


わたしの中に芽生えた、確固たる事実だった。

大好きな人へ




ふと、思い出した。




母が幸せでいることが、私にとってのいちばんの幸せだったことを。


働いていても、働いていなくても。
裕福でも、貧乏でも。
とにかく、笑っていてほしかった。


決して朝から晩までじゃなくて良い。
ちょっとだけ叱られるのなんてどうでも良い。
笑って、早く寝なさいって。


明日も言ってほしかったんだ。




生きれば生きるほど、働けば働くほど、
毎日のように新しい世界が私の目の前にやってくる。
そんな新しい世界を知るほどに、
なんだ、こんな優しい考え方する人もいるんだなぁって。
こんな生き方があっても良いんだなぁって


これを選んでも良いんだって
あれを選んでも良いんだって


私にたくさんの逃げる場所を与えてくれる


働いたら働くだけ新しい世界を知ることができて、
新しい世界はその度に美しい選択肢を与えてくれる。


世界ってこんなにも広い。


なんでもアリだ。



だから空の上にいる母に教えてあげたい。
逃げたって良いよ。泣いたって良いよ。
とにかく、お母さんが幸せなことが、私のいちばんの幸せだから。




はたらくって


なんだろう。




それは


自分と、そばにいる人を


世界一幸せにするための方法のひとつ



あしたも、そばにいる人に優しくできるように。


大好きな人に伝えたい。


自分を大事にすることが、そばにいる人を幸せにする1番の方法なんだよって。


大好きな人を明日も大好きでいられるように。


はたらくって、きっとすごく綺麗だ。

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