中学受験で思い出すこと
noteほぼ毎日更新を目標に書いていこうとすると、
前回みたいにテーマにそぐわないものも出てきてしまいます。
なるべく、将来のビジョンにつながるるものにしたいと思ってはいます。
とはいえ今回のタイトルはは、中学受験…。
この時期になると思い出さざるを得ない。
また私も我が子の受験のことをゆくゆくは考える立場になりました。
そこで、この場を借りて、自分自身の経験を振り返りたいと思います。
私は中学受験に失敗しました。
滑り止めとして受けた、一番低いレベルの学校にしか受からず、
母にかなり暴言、暴力を受けました。
(そのレベルの低い学校に入学後、
最初の定期テストで成績が悪かった時も、
かなりきつく言われました。)
第一希望どころか、母が行かせたかった学校に1つも受からず、
12歳の私としても自分なりにも 悔しく悲しかったと思います。
けれどもそんな感情を認識する余裕もなく。
母も同様に悲しく悔しかったのでしょう、
その感情を私に思い切りぶつけてきました。
今覚えているのは、
(4年生の夏頃から塾に行っていたので)
2年半、何やってきたの、
とか、
⚪︎⚪︎に行くくらいなら、××中(地元の受験しなくてもいける中学)に行こうか、
とか。
父がいないところで、私に感情を思い切りぶつけていたように思います。
××中と言われた時は、それだけは嫌だと泣いて親に訴えた記憶があります。
地元の小学校では、私は学年でトップの成績で、
受験している事も皆知っている。
かろうじて1つは引っかかったのに、
受験のために勉強してきたことを全否定された、
そんな絶望感を抱きました。
親に暴言を浴びせられた子どもは、
自分はダメだと思い込み、IQが低くなる傾向があると言います。
私もそんなふうになったように思ってしまいます。
母は、私に暴言、暴力を浴びせた後、
時々自己嫌悪に陥るのか、優しくなる瞬間がありました。
(あとで気づいたのですが、その波ががちょうど1ヵ月に1回だったので、生理の周期に関係していたと思います)
それでもまた結局、
△△(弟の名前)には、あんたの二の舞にならないようにしなきゃ、
などと、布団で私の背中を叩きながら言っていました。
マンションの隣のおうちに住んでいた、私と同学年で同じ塾に行っていた子は、
希望通りトップクラスの中学に受かったので、
その事も母のプライドを傷付けたのだと思います。
4年生の時の初めての定期テストで、
ほかの教室も含め、その塾全体でいきなり1位をとった子が、
先生からは、どこの学校も問題なく受かると言われていた子が、
自分の誇りであり、真面目に勉強し続けてくれていると信じていた子が、
その子がだめだったので、
母は相当なショックだったのでしょう。
でも私は絶対に母のようにはなりたくない。
我が子が希望した学校に受からなくても、
頑張っていた事知っているよ、
と声をかけられる親でありたい。
今はいいばぁちゃんをしている母とは、
もうきっと今後話題にすらならないと思われる、
母とのネガティブな思い出トップ2のうちの、1つでした。
虐待された子は、親になると自分の子にも同じ事を繰り返す、なんて話は、
私にとって絶望以外の何ものでもないのですが。
私は絶対にそんなことしないようにしなきゃいけない。
強く強く、思っています。
母がその時そうなったのは、色々と他にも要因はあったと思いますが、
専業主婦の母にとって、子どもの事以外に一生懸命になれることがなかった事もあったと思います。
なので私は、我が子が中学受験する頃には、
自分が思い描いていたような仕事をして、
子に過度な期待を抱かず、
自分のやりたいことに夢中になれているような、
そんな私でいたいと思っています。