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私たちは選択できるんだよ。本当はね。

子供の頃は何かと『選択しにくい世界』を生きていたように思う。自分の力では変えられないことが多かったからだ。

養われないと生きていけないし、ということは”良い子”にしないといけない。学校に通っていたら苦手な数学や体育の授業も受けなくちゃ行けないし、テストもある。席替えは完全に運でしかないし、班のメンバーの誰かがイヤなやつでもどうにかやりすごさなくちゃいけない。

改めて書き並べてみると一見自由な子供時代は『〜しなくちゃいけない』が多い期間だった。

でも、大人になれば今後の生き方というものを自分で決められるようになる。私たちは実は、『選択できる世界』の中にいるのだ。

『選択できる世界』の良いところは何と言ってもその自由さだろう。働きたい場所も、誰と付き合うかも、空いた時間に何をやるのかも全部自分で決められる。もちろんそれを手に入れるための努力と勇気は必須だけど。。

一方悪いところは、全部自己責任になることだろう。『選択できる世界』に突入した後に幸せを感じられていないのならそれは、自分が選択したものの何かに不具合があるということかもしれない。

それを自分で動いて軌道修正していかない限り不幸な状態は続くし、大丈夫?って優しく声をかけてくれる人はいても、誰も自分の代わりになって苦しんでくれはしない。自由の代償は、責任だ。

『選択しにくい世界』にいる方が楽だという人は多いし、自分は『選択できない世界』の住民だと思い込んでいる人だっている。だって、そしたら誰かが自分のために選んでくれるから。我慢と引き換えに、誰かの声に従ってさえいれば、自分で考えなくてもいいから。


でもね、一度きりの人生だから私は『選択できる世界』にちゃんと向き合って、自分で選べることを謳歌したいよって思うよ。


もちろん不具合はいつだって起こる。自分が足を踏み入れる環境が不快かもしれないし、親しくなった誰かは思っていた人と違うかもしれない。

でもそんな時は、自分の意志で修正できるから。また選択し直せばいいから。


どんなに苦しい状況に陥ろうが、自信が無くなって私ダメダメだ〜って思おうが、絶対に忘れちゃいけないのは、それでも私たちはいつだって自分で自分の道を選べるってことだ。


どこにいて何をして、誰がいたら幸せなのか。一度立ち止まって、ちゃんと考えてみよう。

私は自分の人生のハンドルはしっかり握りたいし、もし不快な場所に飛び込んでしまったら、ハンドルを切って幸せな方へと走っていきたいなって思う。


私の人生を幸せにしてあげられるのは、自分だけだよ。他の誰でもないよ。

だから自分を犠牲にする生き方をしないで、一度きりの人生を楽しんでね。



悩み、不自由を感じていたときの自分へ


メモ: 私たちは、選べる


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