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大人になって必要な賢さはテストで100点を取ることではない:私が思う賢さの定義

海外に行くと、色んな生き方をしてきた日本人と出会ったりする。

以前ある女の子が

最近ワーホリビザで色んな国を旅してきた女の人に出会ったんだよね。

すごいなぁとは思ったけど、何も考えてなさそうだし、なんか行き当たりばったりで生きてる感じがするし、地に足つけずにふわふわしてるな〜って思った。

高卒だからなのかな、大卒の人はちゃんとしてる人が多いし、なんだか落ち着く。

と言っていた。


昔の私ならこの話を聞いて「え」ってモヤモヤしたと思う。

でも世界には色んな価値観を持っている人がいるし、どれが正解とかどれが間違っているとかはない。相手の価値観に「え」と思うのは、それが間違っているからではなく、それが自分好みではないからだ。

だから私は自分にない視点を持つ彼女の話を「ほう、その心は」と思いながら興味深く聞いた。

彼女にとって賢さとは学生時代にテストで100点を取れちゃうような人で、学歴のある人らしい。


長年教育関連のお仕事をしてきたからというのもあると思う。塾や学校で勤務していると大人たちはテストの点数がいい生徒を優秀だと褒める。そんな環境にいると、賢さの定義がそうなるのも無理はないと思う。

その後心の中で密かにこの会話をピン留めして、私が思う賢さとはなんだろう?と自分なりの答えを改めて考えてみた。

その結果

私が思う賢さとは勉強の出来や学歴の高さではなく、生きる力の強さだという結論に達した。

人物に例えるならユーチューバーのヒカルさんのような人が、私にとって賢さの頂点にいる人。

「この人、TOEIC満点なんだよ」「この人、東大卒なんだよ」と紹介された人に対して、私は賢いというよりも、勉強がものすごーーーく得意な人なんだろうなという印象を抱く。

私が「うわあ…この人すごく賢い」と思う人の特徴を詳細に言語化すると、こんな感じになる:



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