【悲報】昔はDTMが大嫌いでした
アノニマスDTM編集部でございます。
筆者はnoteで執筆を始めて、かれこれ4年経ちますが、今まで自己紹介という自己紹介をしてなかったことに気付きました。(←おそすんぎ
今、noteで #想像していなかった未来 というコンテストを開催しているので、これを機に自身の生い立ちや経歴について振り返り「アノニマスDTM編集部の中の人って、どんな人?」を明らかにしたいと思います。
学校は個性を磨く場所?
筆者が初めて音楽に触れるきっかけとなったのは、中学生の頃にバンドを組んだことでした。周りは音楽好きが多く、知らないアーティストや楽曲をおすすめされては聴いていました。そんな環境だったため、バンドを組む学生は他にも大勢いました。
催し事にバンド出演するために、学校帰りはみんなでスタジオに入って練習して、終わったらマックで談話する。そんな中学時代を過ごしていました。
高校では部活動にも励み、文化祭の実行委員もやっていたので、音楽ばかり楽しんでいた中学の頃よりは偏りなく、健全な学校生活を送っていたと思います。
2年生への進級が間近に迫る頃、相変わらず脳内がバンド畑の筆者は、母親に大学へは進まず、音楽の専門学校に行きたいと話を持ちかけましたが、猛烈に反対され、抵抗しても意味がないと察したので諦めました。
3年生になってからは登校頻度が少なくなり、推薦組や就職する友だちはこぞって青春を謳歌し、一般入試組は学校が終わったら塾通いという、よくある卒業生の構図が出来上がってました。
筆者はお察しの通り前者でしたので、最初から最後までバンド活動と学校生活を満喫していました。
今思えば、筆者の中学・高校は個性と自由を尊重する、いわゆる「ゆとり教育」の第一線を走っていたような学校だったので、音楽好きが多かったのは必然だったのかもしれません。
音楽とアートに耽る毎日
何の目標もないまま大学に進学した筆者は、同じ学科で仲良くなった同級生とバンドを組み、都内を中心に色んなライブハウスに出演するようになりました。
大学ではサークルに入っていませんでした。魅力的なサークルに出会えなかったのもありますが、友だち作り目的でサークルに入る人が多く、それに対する嫌悪感があったからです。バンド活動がない日はバイトに行くか、図書館に籠ってサイレント映画を観たり、アート著書を読んでました。
休日は地元のレトロ喫茶で煙草を吸いながら本を読んだり、古着屋巡りをするのが日課になっていて、訳もなく電車で遠出をして、人気のない駅に降りてはカフェや古着屋を探索してました。
高校時代の同級生は、みんなどういう生活を送っているのか、気になって連絡してみると、かたや個展の準備、かたやバンド活動が生活の軸になっている人もいて、価値観の変化は感じませんでしたが、同時に安心もしました。
同級生、それも筆者と仲が良かった友だちは美大や芸大に進学した人が多く、筆者は自身のバンドの他に美大に通っている同級生ともバンドを組んでいました。
美大生主催のイベントに参加してみると、バンド演奏以外にもファッションショーやお笑いコントの催しなどもあり、とてもユニークでした。観客は同世代と思われる人たちが多く、右を見れば金髪で風がわりなヘアスタイルの男子、左を見れば斬新なデザインの服を着た女子。出番が来る前に、雰囲気に飲まれて倒れそうでした。彼らは会話の内容や話し方も独特で、一般の学生とは少し感性がズレている印象を受けました。
でも、筆者はそんなコミュニティの中で楽しく意気投合してる同級生を見てて、羨ましいと感じる反面、「自分の方がもっと個性的だ!」と、内心変な対抗意識を燃やしていましたwww
DTMが嫌いになった瞬間
バンド活動をしていくうちに、デモ曲を作ろうと思い、メンバー間でお金を出し合ってMTRを購入しました。
すでに廃盤となってしまいましたが、ZOOMのR16は、当時の筆者には画期的なレコーディング機材でした。
MTRは筆者が私物化して、自宅でエレキギター、エレキベース、そして電子キーボードを繋ぎ、寝る間も惜しんで色んなパターンの楽曲をレコーディングしてました。
しかし、手動で何もかも操作しないといけないMTR特有の操作性に不満を感じるようになった矢先、Cubase LEのシリアルカードを化粧箱の中で見つけました。
「なんだこれ?」疑問に思いながら説明書を読んでいると、パソコンで作曲が出来る、そして更にはMTR経由でパソコンに音を録音出来ることも知り、早速試してみたのですが、設定方法がちんぷんかんぷんすぎて妥協しました。
パソコンの音楽制作は総じて「DTM」と呼ばれることを知り、DTMが大嫌いになりました。操作方法が分からなかったことに対する八つ当たりです。しまいにはバンド>DTMという優劣を勝手に付けました。
作曲の真髄は人の手で楽器を演奏することにある
コンピューターで作った音なんて所詮紛い物、生音には勝てない
パソコンでポチポチしてなんでも解決出来てしまうDTMを否定することで、自身を無理矢理納得させていました。
(※コンピューターの音が生音に勝てないという考え方は今も変わってません)
しばらくはMTR片手に作曲やアレンジを続けて、MTRラブなバンド人生を送りました。
DTMが好きになった瞬間
大学卒業後は就職せずに、古着屋と和菓子屋でアルバイトを始めました。
古着屋で働いて1年ほど経過した頃、オーナーに「アパレルブランドに応募してみたら?」と提案を受けました。コネで紹介してくれるのかと思いきや、全然そんな話ではなく、組織の中で働くことは今後良い経験になるという、至ってつまらない理由でした。当時、アパレルはブラックと言われる典型業種でしたが、ファッションが好きなら続けられると思い、試しに何社か応募してみることにしました。
提案してきておいて「そんな簡単に受からない」とハードルを上げてくるオーナーでしたが、4社受けて全部最終面接まで行き、落ちたのは1社だけだったので、オーナーに「そんな簡単に受からない、とは?」と言ってやりたかったです。
筆者は晴れてアパレルの人間になったわけですが、某百貨店勤務で、毎日スーツを着るという慣れない格好に加え、周りは美意識と鼻が高い部下殺しのエリート風社員ばかりで、人間不信になりそうでした。この頃はバンド活動になかなか時間を割けず、音楽は聴く方に専念して、余裕がある時は自宅で作曲をしていました。
そんなある日、スタバでノートパソコンを開いてノマドワーカーごっこがしたいと躍起になっていた筆者は、MacBook Proを衝動買いしました。(※現在も使っています)
MacBook Proに入っているGarageBandを興味半分で起動し、サンプル音源を再生すると、筆者の心で冬眠していた音楽魂が覚醒し、時間を忘れて作曲に没頭するようになりました。
「やば!」
「これだ!」
「天才?」
出てくる言葉は主にこの3つでした。
後日、筆者は勤めていたアパレル会社に退職届を出しました。外面の良い筆者からは「コイツ辞めるだろうな」という空気は感じられなかったようで、突然の出来事に上司は呆然としていました。
思いとどまるように長々説得された挙句、機嫌を取るためか、ちょっとお高い居酒屋にも連れられ、尚説得されました。
が、筆者の答えは...
「辞めます(・∀・)ノ」
退職届は直属の上司に出しましたが、人事からは何も連絡が来ないので、「もしやあいつ捨てた?!」問い詰めようと思いましたが、半月ほど経過して、ようやく人事から退職手続きの案内がきました。
DTM街道まっしぐらな社会人ライフ
アパレル会社を退職後は、楽器の小売会社に転職し、レコーディング機材やDTMソフトを扱う店舗で働くことになりました。アルバイトだったことから時間にも余裕が出来たので、バンド活動も積極的に行うようになりました。
それと同時にDTMスクールにも通い、多忙な日々が続きましたが、非常に充実していました。改めて、音楽が面白いとも実感しました。
以前はDTMを敵視していましたが、DTMのスキルや機材の知識を身につけていくうちに、どんどん好きになっていきました。制作環境をレベルアップしたいと考え、高額な機材やソフトにも手を出すようになります。
現在はミニマリストになったので、最低限の環境に落ち着いていますが、当時は200〜300万、もしくはそれ以上費やしたと思います。
出来ることが増えると人間欲深くなるもので、個人的にもDTMでお金を稼ごうと考えました。知り合いのバンドや歌い手のレコーディングに携わったり、SNSやクラウドソーシングを通して、個人やあらゆる業態の企業にBGM・SEの提供、あるいはオーディオ編集などを請け負いました。
依頼が溜まっている、バンド活動もある、寝る時間がない、仕事も行かないといけない。そんなハードな毎日でした。
この頃の筆者は、恐らく人生の中で最もハングリーでした。というより、DTMはデジタルが絡む分、コンピューターやネットワーク関連の知識が多少は必要になるのと、調べれば調べるほど興味を惹かれる関連項目が出てくるので、「知りたい」という意欲が止まらなかったのです。
寝る前もスマホでネットサーフィンして、気になったことを調べ、ついでに関連情報も見てしまうという悪循環に陥ってました。睡眠は2〜3時間摂れれば十分な方でした。
仕事でもプライベートでもDTMに時間を費やし、それがやがて生活の軸となっていき、DTMスクールや仕事を通して実際にプロの現場でお手伝いする機会を頂けたり、貴重な出会いがあったり、とても有意義な経験を積めました。
アノニマスDTM編集部
ふとしたきっかけから音楽業界に携わり、今の筆者がいます。簡潔に書いたつもりですが、思いの外、文字数が多くなってしまいました。あしからず。
読者の皆さんが筆者のことをどんな経歴の持ち主とイメージしていたか分かりませんが、音楽学校の出身者でもなければ、プロミュージシャンやエンジニアとして活躍していたわけでもありません。DTMに詳しい音楽マニアとでも言っておきましょう。
一時はDTMが大嫌いだったにも関わらず、ブログを書くぐらいDTMを好きになるとは、筆者自身予想もしていなかったです。
社会人駆け出しの頃は、なんとなく仕事とバンド活動を並行していましたが、DTMの良さに気づいた瞬間にこの道を突っ走って行こうと決心しました。
今でもDTM関連の仕事をやりつつ、IT・WEB業界に携わる人生を送っていますが、不思議なもので、異なる業態でも、そこで得た知識やスキルはDTMに活かせることが多くあり、逆もまた然りです。そこから新しい発想が生まれたりするので、仕事って面白いな〜と感じます。
そんな筆者ですが、これからもDTMの記事をたくさん書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。