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【実録】ペットロスとの戦い?について

【実録】ペットロスとの戦い?について

「100人下僕(飼い主さん)がいれば、100通りのペットロスの回復の仕方がある」とは、どこのペットの本を読んでも書いてあることでしょう。
実際、同じような境遇や、同じペットさんを飼っていた方でさえ、回復の仕方は人それぞれです。
「あ、なんか回復したかも?」と思っても、また次の日にはぶり返したり、良い日もあれば、悪い日もあり、悲しくなったり治ったり、そんな感じがペットロスだと思います。

だから、私もまだ完全にペットロスから回復したのかどうかは、分かりません。

今は、こんな風に文章を書けていても、またいつかぶり返して、停滞するかもしれないです。未来は誰にも分かりません。

でも、今までの半年くらいの間で、自分がどんな風にペットロスと戦っていたか。それを、忘備録も兼ねて書いておこうかな、と考えました。

病気のペットさんを抱えていらっしゃる方、今、まさにペットロスの只中にあって苦しんでいらっしゃる方、または、未来の自分がまた暗闇に落ちた時のために。
ここに、れんれんとの別れから現在までを書いておこうと思います。


【呆然期】看取り後すぐの1ヶ月頃

れんれんが虹の橋に旅立ってすぐの頃は、確かに悲しくて毎日涙は出ましたが、それとは別に、どこか看病をやり切った、という充足感というか、清々しい気持ちを感じていました。

『あれだけ頑張って看病もして、きっとれんれんも満足して旅立ってくれたよね』

そんな気持ちがありました。
まだ、れんれんが毎日近くに居ないことへの現実感もありませんでした。(実際、まだ近くに居てくれたようにも思います)

なんとなく頭がふわふわしていて、現実味もなくて・・・命より大切な猫さまがいなくなっても、朝も夜も本当に来るものだなぁ、と、呑気にそんなことを感じたりしていました。

その頃に、そんなフワッとした気持ちのままに、れんれんの闘病日記ブログを書き始めました。
生々しい想い出を覚えているうちにカタチにしてあげなきゃ、と、そんな使命感に駆られていました。

【空虚期】人生に意味を感じられない日々

2ヶ月目に入った頃でしょうか。
新しい仕事が始まることになり、毎日充実しているはずなのに、どこか空虚な自分を感じ始めていました。

その少し前から、ブログ『れんれんの闘病日記』は、内容が辛くて書けなくなっていました。
仕事や雑事で忙しい毎日を送ったり、猫カフェで他の猫さまに奉仕して、気を紛らわしたりしていましたが、心のどこかがポッカリと大きな穴が空いているような気がして、自分の人生が他人事のように感じられたりするようになりました。

仕事に趣味に、毎日が充実しているはずなのに、充実感がない。
生きている実感が湧かない。
初夏に向けて、日差しもきつくなり、毎日慌ただしいのに、なんだか隙間風が自分の体の中を吹き抜けている。

そんな、なんとも言えない気分でした。
とにかく気持ちを紛らわそうと、仕事に熱を入れたり、好きなアーティストの曲を毎日聴いてみたり、いろいろなドラマを観たりと、なるべく物事を考えずにいようとしていた気がします。

そして、もふもふが恋しくなると、可愛い猫さまの動画を観たり、猫カフェでご奉仕したりすることで、なんとか満足感を得ようとしていました。
確かに、その場は気持ちが安らぎます。でも、少し時間が経つと、また空虚な気持ちが襲ってきて、私の中を寂しい風が通り抜けていくのです。
そんな日々がしばらく続いていました。

それでも、その頃はまだ「自分はペットロスを乗り越えている」と信じていましたから、寂しい気持ちは誰もが感じる仕方のないことで、いつか、もっと優しい落ち着いた気持ちになれるだろうと、たかを括っていました。

次の未来にくる、恐ろしい時期のことも知らずに。


【絶望期】襲い来る圧倒的な喪失感

それは、いつ頃から感じていたのでしょうか。
自分でも分かりません。

夏が近くなり、夜、暑くて、その夏初めて部屋のエアコンを付けました。
「今年は暑い夏になるっていうし、れんれんは経験しなくて良かったかもなぁ」
呑気にそう思いながら、エアコンの温度を、去年までのクセで28度に設定しようとして・・・もうれんれんがいないから、温度を気にすることもないんだ、と、ハタと気付きました。

その少し前から、仕事で遅くなった日も「もうれんれん居ないから、急いで帰らなくっていいんだなぁ」と思ったり、マンションの部屋への階段を登りながら「玄関を開けても、もうれんれんが待ってることはないんだなぁ」とか、「もう、自由に旅行も行けるし、お出かけも楽しめるし、帰りの時間を気にすることもないんだなぁ」と、たびたび思ったりしていました。

でも、そのエアコンを付けたときに、不意に、れんれんが部屋に居ないということが、恐ろしいくらいの現実感を持って襲ってきて、耐えきれなくなってしまったのです。
私はそのまま、エアコンの温度を下げることも出来ずに、リモコンを握りしめて、涙をボロボロ流していました。

それがトリガーだったのかもしれません。

毎朝毎晩、どこを見渡しても、れんれんがいない。
そんな、今までずっときちんと理解したと思っていて、頭では分かっているはずのことを、心が拒否してしまっていました。

あのふわふわの毛に触れたくても、もう触れることが出来ない。
長いもふもふの尻尾がピン、と立つ様を見ることも叶わない。
朝、うるさいくらいににゃあにゃあ鳴いて起こしてくれることもない。
窓辺でくつろぐ姿を、こんなにハッキリ思い起こせるのに、そこにれんれんの姿は居ない。

そんな全てが辛くて、不意に涙が止められなくなってしまうのです。
れんれんが恋しくて恋しくて、逢えないことが悲しくて悲しくて、感情が抑えられませんでした。

魂はそばにいるから、と自分に言い聞かせようとしても、その時はダメでした。
喪失感に打ちのめされてしまっていて、どうして君を触ることが出来ないのだろうと、涙が溢れてばかりでした。

そんな日々が、永遠かと思われるほどに続きました。
今でも当時のことを思い返すと、自然と涙が溢れてしまうほど、辛い体験でした。

2ヶ月くらい、そんな日々が続いたでしょうか。
どうにかしなければ、と、ペットロスの本などを読んだり、ライフハックについて考えたり、さまざまな努力をしましたが、すべて無駄でした。

今思えば、それこそ私に必要な時間だったのだと分かります。
悲しんで悲しんで、悲しみの底の底まで、突き抜けるまで悲しむ、そんな時間が、ペットロスにはやっぱり不可欠だったのです。

悲しみが足りなくて、遅れてやってきたのかも、と、今ならそう冷静に考えることが出来ますが、その当時は、「もう一生、この悲しみから逃れることは出来ないに違いない」と感じるほど、悲しみが溢れて止まらなかったのでした。

【回復期?】不意に取り戻した新しい日常と未来

悲しんで悲しんで悲しんで・・・それはいつ終わったのでしょうか。
5ヶ月目のれんれんの月命日が、いっぱいの悲しみとともに過ぎて、数日経った頃でした。

ある日、
「このままじゃ、私のせいで、れんれんが悲しんでしまう!」
と、不意に天から降ってきたように思いました。

あるペットロスの本にも、
「飼い主がいつまでも悲しんでばかりいると、ペットは尻尾を掴まれて天に帰れず、「死んじゃってごめんなさい」と悲しく泣いている」と読んだことも思い出しました。

同時に、今までれんれんや、その前に飼っていたむぎに貰った愛を、誰かに返していかなければ、私はまだ死ねない、と思いました。
もっともっと、今を元気に楽しく生きてあげなければ、私を愛してくれた猫さま達に立つ瀬がない!とハッとしました。

今更?という感じに浮かんだその考えは、たちまち、自分を立ち上がらせる強力な支えとなり、たどり着いた答えは、

『いつか、もう一度、猫さまと暮らしたい』

という、純粋な決意でした。
猫さまと暮らすには、住む家の条件、金銭的な問題、命を預かるという覚悟、最後まで看取るという決然とした意志と努力が必要です。
色々と、現実に問題はあります。結果はダメかもしれません。でも、信じることは自由なはずです。

いつの日か、部屋に猫さまがいて、自分がいる。
そういう未来を描いてもいいんじゃないかな。そう思ったとき、れんれんとむぎが、虹の橋の向こうから笑っているような気配が、確かにしました。

いつか僕たちが合図を送るから、その猫さまと暮らしてね。

そう、言ってくれている、その時、確かにそう感じました。
れんれんとむーちゃんがそんな風に言ってくれるなら、信じるよ。
こちらから、そう返事を送ると、今までの塞がれた真っ暗な未来が、不意に明るく楽しいものに感じられたのです。
自分を取り囲む世界が、急にぱあっと明るく輝いたのを感じました。
何もかもが自由になり、今まで苦しんでいたすべてが、キレイに浄化されるように思えました。

そして・・・今があります。


【まとめ】大げさかもしれないけれど。

そんなこんなで、とりあえずの現在は、ペットロスの苦しみからは解放されている私です。

またきっと、悲しみや苦しみは襲ってくると思います。

れんれんを失った事実は揺るぎようがないし、その寂しさが無くなった訳ではないですから。
でも、もう大丈夫な気がしています。れんれんとむぎとの『約束』が、私を支えてくれていますから。

それが本当に叶うのかどうかは、もちろん分かりません。
未来のことなんて、神様にだって分かりはしないのです。だったら、楽しい未来を思い描きたいです。
れんれんとむーちゃんが言ってくれたことを信じて生きていたい。それが今の私の想いです。

同時に、待っているだけではダメだということも強く感じています。
今の自分をもっと変えてバージョンアップさせたい。色々な経験をして、チャレンジして、未来を楽しく生きていきたい。そして、周りの人たちに優しくありたい。

今まで悲しみで見えていなかったことを、次々と思い描くことが出来ています。
簡単に実現できるわけではないと分かってはいますが、未来を思い描くことは自由です。そして、そのためには、初動が大事だということも学びました。
考えるだけではなく、毎日のちょっとづつの行動が、いつかの『未来』に繋がる、ということです。

このnoteを始めよう、と思い立ったのも、その行動の1つでした。

毎日の色々な生活の中で、きっと毎日続けることは、難しくなっていくかもしれません。
でも、気持ちは前向きに持っていたいです。
ブログの『れんれんの闘病日記』も最後まで書いてあげたいし、他にも表現したいことが浮かんできました。

いつかの『未来』に辿り着くために、そして、『未来』の先のキラキラした生活のために、今も、ちゃんとキラキラ生きていたいのです。
毎日を大切にして、楽しんだり悲しんだり色々な感情と一緒に、日々の現実を一歩一歩、輝かせて生きていきたい。私はそう思いました。

今苦しんでいる誰かに、この想いがほんのカケラでも届きますように。
また、もしかして未来に、暗闇に落ちてしまった自分が、これを読んで、れんれんとむーちゃんとの『約束』を思い出してくれますように。

そう思って、今日のこのnoteを書きました。
では、またお会いできたら、嬉しいです。

まいまいこ

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まいまいこ
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