QHHT〜ある殿の一生②〜
まずは自分の最も心地が良いと感じる場所にいる。
今回はどこか南国のエメラルドブルーに輝く
穏やかな海の中にある、白い砂浜の島にいる。
島の端っこには少しの草地があり
そこに一本の椰子の木が立っている。
海は只管に穏やかで
白波が立つこともなく
絶え間ないさざなみの
規則的な波音のみが聞こえている。
先程まで雲一つ無かった晴れ渡る青空に
一つの雲が湧いてくる。
白く綿菓子のような雲である。
雲に乗った。
何にも触れず何の感触もなく
ただただ心地がいい。
白く綿菓子のような雲は移動しながら色を変える。
桃色や金色に輝く雲。
包まれてふわふわと
野を越え山を越え海を越えて
何処かに向かう。
・・・・・・・・・
付いたのは山深い何処かの寺である。
何とも鮮やかな、そして大きな本堂がある。
黒い瓦葺きの屋根はどっしりと
その大きな本堂を包んでいる。
何にも汚されていない白壁に
朱色に塗られた太い柱が
その大きな本堂を支えている。
本堂には黒光りした縁側が回っている。
その板の上に立てば立つものを鮮やかに映すほど
良く磨き込まれた縁側である。
そこに少年は立っていた。
季節は夏であろうか。
歳の頃は6〜8歳。
だいぶ小柄で色白で細身の少年である。
金糸で川と鳥の柄が織り込まれた
薄い水色の狩衣を着
狩衣より少し濃い目の藍色に染められた
括り袴を履いている。
髪は後頭部で大きく八の字に結えられ
その真ん中に長く垂れている。
足元は裸足である。
その磨き込まれた縁側を歩く少年の前に
紫色の法衣を着て
黒地に金糸で豪奢な模様が描かれた
五条袈裟を掛けている
少年から見ると巨人と見紛う僧侶が現れた。
眼光鋭く立派な眉毛が深い目元をより深く見せている。
その見た目とは裏腹に柔らかく微笑んだ口元が
何かを話しかけている。
優しい声であるが何を言ってるかは分からない。
僧侶に促され少年は居室で今日も手習いをする。
僧侶が漢詩を読み、問答がなされる。
習字をし、写経をする。
時がくれば10畳ほどの居室に
黒い袈裟を着た若い僧侶が
食事を運んでくる。
白木の椀に雑穀の混じった飯
豆腐と菜葉の味噌汁
大ぶりな焼目指し
沢庵が三切れ
これが少年の夕食である。
量も内容も毎日さして変わらない。
ともすれば退屈な毎日に感じてしまう境遇であるが
少年にとっては心安らかな、学びの多い
穏やかな毎日である。
手習いの合間には若き僧侶と共に山に入り
山菜を摘み、キノコを取り
教授してくれる高僧達と
世の理について夜空を見ながら話した。
少年は僧侶になるべくして寺に預けられたのではない。
彼の父親はとある国の御家人であった。
その父親が外に作った子供が少年である。
しかし父親には既に後継となる息子がいた。
本妻への配慮から
父親は少年の母を側室として家に入れることはせず
しかし母親に育てさせる事もせず
生まれてすぐ臣下にその養育を任せた。
血の繋がった父とも母とも
生まれてこの方会ったことはない。
しかし自分がそういう生い立ちであることは
育ての親達から聞かされてきた。
であるからして、誰が実の父であるかは
少年の知る所である。
少年の望みは、出来得るならば
このまま一生を終えることであった。
自分が世に出る時は無いほうがいいと
既に少年は悟っていたのである。
自分の身の内を分かりすぎるほど理解している。
よって少年は我儘を言うこともなく
何に於いても聞き分けの良い
まるで悟りを開いた僧侶のような振る舞いを
するようになった。
それが自分の運命であり為すべきことだと
自分自身に言い聞かせていたのである。