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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「光る君へ」紫式部と清少納言の再会

大河ドラマ「光る君へ」も物語は後半に入り、藤原道長が一族の繁栄を画策するようになってきて、クライマックスと思われる「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」の歌へと進んでいます。


さて、6日の放送では、冒頭に紫式部(まひろ)清少納言(ききょう)が再会した場面で始まりました。そこには昔のような友達関係ではなく、女流作家として、そして女房としてのプライドをぶつけるききょうの姿が見られました。

まひろの方は、ききょうに対して昔の友情のまま接し、なんと「あなたが彰子様のサロンにいたら、サロンも華やかになる」と誘いの言葉まで投げかけます。しかし、ききょうは即座に拒否しました。

ききょうの本心は、枕草子によって定子の面影をつなぎとめていた一条天皇の心を、源氏物語が奪い去っていったことへの恨み言・・・源氏物語憎しの思いを親友だったまひろに直接ぶつけたかったのでしょう。


史実を紐解けば、紫式部は「紫式部日記」のなかで清少納言の人物像を痛烈に批判しています。書き出しでいきなり「したり顔にいみじう侍りける人」と言い切り、学才についても「まだいと足らぬこと多かり」と辛らつです。

かなり上から目線での物言いをしていますが、あるいは意図的にそう書き記した可能性もあります。清少納言を批判することで、定子時代を華やかに綴った枕草子の世界を否定したかったのかもしれません。

一方で、清少納言が紫式部をどう思っていたのかについては、何も残されていません。

当時、清少納言は宮中を下がった引退した身であり、紫式部という人物をよく知らなかったのかもしれません。源氏物語は読んでいただろうと推察されますが、だからといってわざわざ感想を書き残そうとも思っていなかったのでしょう。

私個人の見解ですが、紫式部が長編小説作家であるのに対し、清少納言はエッセイストという印象があり、同じ女流作家ではあっても、そもそも執筆スタイルが違うので比較のしようがないな、という感じですね(笑)


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マイケルオズ@日々挑戦する還暦兄さん(フリーランスライター)
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