歴史・人物伝~松陰先生編⑱松陰の遺言書「留魂録」を託し、託されて
歴史・人物伝~松陰先生編の第18回、最終話です。
吉田松陰が、数多い弟子の中でも「同志」と認めていた人物は、入江九一と野村靖の兄弟だけでした。明治になって、野村のもとに一人の元囚人が訪ねてきました。かつて、松陰と同じ江戸の獄舎にいた沼崎吉五郎です。
沼崎が携えていたのは、松陰が処刑直前に書いた「留魂録」でした。松陰は留魂録を2冊書き、1冊は長州に送り、もう1冊を沼崎に預けていたのです。当時の野村の感慨ぶりは想像に難くありません。
「留魂録」は、「身はたとひ・・・」で始まる句が冒頭で詠まれ、松陰が弟子や長州藩の人々に向けた遺言書です。取り調べの様子や獄中で出会った人のことなどを中心に綴っています。
その中で唯一、名前を挙げて呼びかけていた人物がいます。文中で「子遠」と書かれている入江九一です。
子遠もしよく同志と謀り、内外志をかなへ、このことをしてすこしく端緒あらしめば、吾れの志とするところもまた荒せずといふべし。
これは、かねてから入江と話し合っていた「尊攘堂」の建設について、「同志と相談し、実現に向けて努力してほしい。そうすれば自分の志も遂げられる」と書いています。
松陰は、沼崎に留魂録を預ける際、入江と野村についても話していただろうと思われます。想像の域を超えませんが、沼崎は「松陰先生の遺言書を託すのは、野村靖をおいて他にはない」と考えたのではないでしょうか。
吉田松陰の「留魂録」は、完全な形で山口県萩市の松陰神社に収蔵されています。松陰先生の教えは、現代にもしっかりと受け継がれているのです。
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