歴史・人物伝~松陰先生編⑮松陰の同志であり続けた入江九一と野村靖
歴史・人物伝~松陰先生編の第15回です。松下村塾の門下生で忘れてはならない二人、入江九一と野村靖を紹介します。
入江九一と野村靖の兄弟
松下村塾で教えていたとはいえ、吉田松陰は指導者だけの道を進んでいたわけではありません。詳しくは次回触れたいと思いますが、松陰は倒幕を最終目標として、老中の暗殺計画を企てるのです。
あまりにも無謀な計画に、久坂玄瑞や高杉晋作ら大部分の弟子たちが反対しますが、入江九一と野村靖の兄弟だけは計画に賛同しました。松陰は大いに喜び、「本当の同志は君たちだけだ」とまで言っています。
九一と靖は、足軽だった入江家に生まれ、九一が家督を相続し、靖は親戚の野村家を継承しました。二人そろって松下村塾に入塾し、兄の九一は久坂、高杉、吉田稔麿と並ぶ「四天王」に名を連ねています。
九一は、安政の大獄で処刑された松陰の意思を継ぎ、老中暗殺計画を実行しようとして牢獄に入れられます。その後、久坂らとともに禁門の変に出兵しますが、戦いの最中に戦死してしまうのです。
弟の靖も、兄と共に松陰の意思を継ごうとして牢獄に入れられますが、後に許されて長州藩の一員として倒幕に尽力。明治政府では内務大臣や逓信大臣を務めました。
亡き同志・金子重輔と重ね合わせて
松陰は、自分の計画に賛同してくれた九一と靖を「同志」と呼んでいました。さらに靖に宛てた手紙に「金子重之助(重輔)は死んでいなかった」と喜びを語っているいるのです。
ここで改めて金子重輔について紹介します。重輔は、松陰と共にペリー来航に合わせて密航を企て、その罪で捕らえられて獄死しました。松陰にとって重輔は一番弟子であり、同時に「同志」だったのです。
松陰に教えを請い、学んだ人物はたくさんいますが、松陰は「自分と志を同じくする人物」を探していたのかもしれません。計画に賛同した九一と靖を亡き同志の重輔に重ね合わせた気持ちも、よく分かります。