歴史・人物伝~新選組上洛編④ついに京の都に入る
江戸から中山道を進んでいた浪士組は、10数日かけて京に到着しました。幕府の管理下にあるとはいえ、物々しい武装集団がやって来たことを人々はどんな目で見ていたのでしょうか?
浪士組が荷を下ろしたのは京都市の南西部にあたる壬生村です。京都御所や祇園といった中心地からは遠い場所で、近藤勇らが故郷の多摩を思い浮かべるような郊外の散村だったようです。
一行は村内の郷士宅などに分宿し、近藤のグループは芹沢鴨のグループとともに八木邸と前川邸に滞在します。近藤と芹沢が同宿した理由はよく分かりませんが、このことが後の新選組結成につながっていくのです。
八木邸には当時、為三郎という少年がいました。八木為三郎は老後、作家の子母沢寛の聞き取りに応じ、当時の思い出を語ります。それが「新選組遺聞」という著書になり、新選組の実像を知る資料となりました。
「新選組遺聞」には、近藤、芹沢をはじめ、土方歳三、沖田総司らがどんな人物だったのかが書かれています。壬生村の大人たちには恐ろしい集団でしたが、為三郎少年は好奇心を持って見ていたのでしょう。
京に到着し、休む間もなく近藤や芹沢をはじめ、浪士組の主だった面々が集められます。そこで、浪士組結成を幕府に提案した清川八郎から「本当の目的」を聞かされるのです。
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